タグ: ミハエル・シューマッハ

  • ラルフ・シューマッハの息子デビッドがF4でシングルシーターデビュー

    ラルフ・シューマッハの息子デビッドがF4でシングルシーターデビュー

    元F1ドライバーであるラルフ・シューマッハの息子デビッド・シューマッハが、F4 UAE選手権でプロドライバーとしてのキャリアをスタートさせることになった。

    デビッド・シューマッハ(16歳)は、今週末アブダビで開催されるF4 UAE選手権の第2戦でBWTがスポンサードするTeam US Racingから参戦。各カテゴリーで有名なピンクのマシンでシングルシーターでのキャリアをスタートさせる。

    昨年、ドイツのカート選手権で準優勝したデビッド・シューマッハは「フォーミュラ4マシンでついにレースができることを楽しみにしている」とコメント。

    「去年、2018年シーズンに備えてUS Racingとテストをしていたので、レースのためにクルマに飛び乗るのが待ち切れない」

    「F4 UAEは、ドイツでのF4シーズンにむけた準備には素晴らしいウインタープログラムだし、F1グランプリサーキットでの最初のレースになるので、さらに特別だ」

    「今週末は僕にとって新しいものにトライすることが重要だ。レースに勝つことができれば素晴らしいだろうけど、このクルマのハンドリングについてできる限り多くのことを学び、グリップレベルに慣れて、スタートの練習をして、出来る限り自分のドライビングを洗練させることが重要だ」

    言うまでもなく、デビッド・シューマッハにとって7度のワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは伯父であり、F3に参戦するミック・シューマッハは従兄弟とあたる。

    David Schumacher

  • ミハエル・シューマッハのカートサーキットが閉鎖

    ミハエル・シューマッハのカートサーキットが閉鎖

    ミハエル・シューマッハの有名なカートサーキットが閉鎖されることになった。

    ケルンから約30キロ離れたケルペンに位置する「Michael SCHUMACHER KART CENTER」のある土地は、ドイツ企業RWEによって2020年から石炭採掘の土地に指定された。

    ミハエル・シューマッハの弟で自身もケルペンでレースキャリアをスタートしたラルフ・シューマッハは「新しいカートトラックが作られることはないだろう」と Kolner Express にコメント。

    「RWEと共同調査をしているが、新しい土地は見つかっていない」

    「残念だ。ここの伝統と青少年育成の成功の両方が同時に死んでしまう」

    ミハエル・シューマッハは、トラックの3分の2を所有しているが、マネージャーを務めるザビーネ・ケームは「家族は開発の最新状況を得ています」と述べた。

  • パパラッチ、ミハエル・シューマッハの現状を追うも記事化に躊躇

    パパラッチ、ミハエル・シューマッハの現状を追うも記事化に躊躇

    報道機関は今でもミハエル・シューマッハの現状を伝えるために取材を続けているが、記事化には二の足を踏んでいる。

    ミハエル・シューマッハがスキー事故で重傷を負ってから4年の月日が流れ、ファンは今月3日のミハエル・シューマッハの49歳の誕生日を悲しみとともに迎えた。

    友人のセバスチャン・ベッテルもその悲しみを語る。「僕は彼が理にかなっていないことを言っているのを聞いたことがない。彼はいつもすべてをコントロールしていた」とセバスチャン・ベッテルは La Gazzetta dello Sport に語った。

    「カート、レース・オブ・チャンピオンズの相棒、F1カーに乗っているかに関わらずね。彼は自分の状況を常に把握していたという印象がある」

    L’Equipe の報道によると、ミハエル・シューマッハは、スイスの邸宅の敷地内の小さな家に移って専門の治療を受けているという。

    また、フランスの報道によると、2人のジャーナリストがジュネーブ湖畔に取材にいったが、ミハエル・シューマッハのセキュリティに止められ、職務質問を受けたと言う。

    あるパパラッチは「我々の仕事は何が起こっているかを追うことだ」とコメント。

    「我々は何枚か写真を撮ったが、我々のデーターベースには追加しないことに決めた。あのような状況にある人物の写真を公開するのは出版社のイメージを損なうだけだ」

    長年ミハエル・シューマッハのマネージャーを務めるザビーネ・ケームは、スキー事故から4年が経過した今もシューマッハの容体について非公開にしている理由を改めて説明した。

    「事故が起こる前、彼は私に『計画を立てろと電話するのはやめてほしい。姿を消していたい』と言っていました。秘密にしておくことが彼の願いだったのです。今、私が何も話さないのはそれが理由です」とザビーネ・ケームは L’Equipe に語った。

  • ミック・シューマッハ、2018年もヨーロッパF3選手権に参戦へ

    ミック・シューマッハ、2018年もヨーロッパF3選手権に参戦へ

    ミック・シューマッハは、2018年もヨーロッパF3選手権に参戦し、2年目のシーズンを迎えることになるようだ。

    7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハの息子ミック(18歳)は、今年プレマからヨーロッパF3選手権に初参戦。12位でシーズンを終えた。

    La Gazzetta dello Sport は、今後数日でプレマがミック・シューマッハと2018年の契約に合意すると報道。

    かつてフェラーリでミハエル・シューマッハのエンジニアを務めたルカ・バルディセッリは、ミック・シューマッハと働いていることを嬉しく思うと語る。

    「ミハエルの息子と仕事をするのはとても感動的なことだった。多くの点で彼は父親を思い出させた」とルカ・バルディセッリはコメント。

    「何度か無線で彼のことをミハエルと呼んでしまったことさえあったくらいだ」

    一方、長年ミハエル・シューマッハのマネージャーを務めるザビーネ・ケームは、スキー事故から4年が経過した今もシューマッハの容体について非公開にしている理由を改めて説明した。

    「事故が起こる前、彼は私に『計画を立てろと電話するのはやめてほしい。姿を消していたい』と言っていました。秘密にしておくことが彼の願いだったのです。今、私が何も話さないのはそれが理由です」とザビーネ・ケームは L’Equipe に語った。

  • ミハエル・シューマッハ、49歳の誕生日

    ミハエル・シューマッハ、49歳の誕生日

    ミハエル・シューマッハが、1月3日(水)に49歳の誕生日を迎えた。

    7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、2013年12月29日にフランス・グルノーブルのメリベル・リゾートでスキーを楽しんでいる最中に転倒して頭を岩に強打して頭部に重傷を負い、現在もスイスの自宅で療養を続けている。

    事故から4年の月日が流れたが、2014年9月にスイスの自宅での療養を開始したとの情報以降、ミハエル・シューマッハの容体は、プライバシーを守るという家族の意向により、非公開とされている。

    Happy Birthday to Michael Schumacher!

  • フェルナンド・アロンソ 「シューマッハから貰ったヘルメットは宝物」

    フェルナンド・アロンソ 「シューマッハから貰ったヘルメットは宝物」

    フェルナンド・アロンソが、7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハに深い敬意を表した。

    ルノー時代の2005年と2006年にミハエル・シューマッハ(当時フェラーリ))を倒してF1ワールドチャンピオンを2連覇したフェルナンド・アロンソは、シューマッハは“最大のライバル”だと語る。

    「彼は厳しい競争相手だった。それが最初に思い浮かぶことだ。彼は非常に速く、時に威圧的だった。それは事実だ。コース上だけでなくね」とフェルナンド・アロンソはコメント。

    「シューマッハは、過去も現在も、そして、これからもずっとそう思っていく人物のひとりだ。彼が自分の方に歩いてくると、彼が特別な人であることがわかった」

    ミハエル・シューマッハは、アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ミカ・ハッキネンといったF1の伝説的なドライバーを打ち負かした。

    ミハエル・シューマッハが圧倒的な強さを見せたのは最高のクルマを持っていたからだという意見を持つ者が多いが、フェルナンド・アロンソは必ずしもそうではなかったと語る。

    「彼は時に予想を上回るパフォーマンスを発揮していた。ブリヂストンとミシュランのパフォーマンスに差があった2006年のレースでさえね。ミシュランの方が優れていた時代だった」

    「例えば、金曜日にフェラーリは競争力がなかったのに、予選では彼が2番手にいた。それは信じられないことだし、本当に競争的で、とても厳しい競争相手だった。本当に偉大で素晴らしいドライバーだ。他の人では無理な劣ったクルマでもどうにかすることができる数少ない一人だ」
    2006年のフェラーリでの最後のレースで、ミハエル・シューマッハはフェルナンド・アロンソに彼のヘルメットをプレゼントした。

    「ミハエルから貰ったヘルメットはずっと宝物だ。彼は僕が戦ったなかで間違いなく最も偉大なドライバーだからね。僕はいつも彼のことをお手本として仰いでいた」

    「僕たちが同じ時に同じ機材を使っていたら、どんなことが起こっていただろう。興味は尽きない。彼は信じられないようなレースドライバーで、信じられないくらい競争力のある厳しいライバルであり、素晴らしい男だった」

    ミハエル・シューマッハがスキー事故に遭ってから4年の月日が流れた12月29日、フェルナンド・アロンソは2005年に鈴鹿サーキットで開催された日本GPで130Rのアウトからミハエル・シューマッハをオーバーテイクした動画をリツートし、「これを恋しく思う。ミハエルを恋しく思う」と投稿している。

  • ミハエル・シューマッハ、スキー事故から4年

    ミハエル・シューマッハ、スキー事故から4年

    ミハエル・シューマッハがスキー事故に遭ってから4年の月日が流れた。

    2013年12月29日、7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、フランス・グルノーブルのメリベル・リゾートでのスキー中に転倒事故を起こし、頭部に重傷を負った。2014年9月にスイスの自宅での療養を開始したとの状況以降、家族はシューマッハの容体については非公開にしている。

    事故から4年が経った29日(金)、フェルナンド・アロンソとデイモン・ヒルらがミハエル・シューマッハへの敬意を示した。

    フェルナンド・アロンソは、2005年に鈴鹿サーキットで開催された日本GPで130Rのアウトからミハエル・シューマッハをオーバーテイクした動画をリツートし、「これを恋しく思う。ミハエルを恋しく思う」と投稿。

    この投稿にジェンソン・バトンは「特別な時間だったね、相棒」とリツイートしている。

    フェリペ・マッサはF1公式サイトの動画で「ミハエルは僕の先生だった。彼はとても素敵だったし、ずっと僕に親切にしてくれた。彼が引退することを決めたとき、彼は僕に大きなチャンスを与えてくれた」とコメント。

    このコメントに対し、デイモン・ヒルは「彼は僕にはそれほど親切ではなかったよ! でも、僕は彼を許すことにする。お互いをもっと良く知ることができなかったのは残念だ。本当に残念だよ」とTwitterで語った。

  • フェリペ・マッサ 「ミハエル・シューマッハは僕の先生だった」

    フェリペ・マッサ 「ミハエル・シューマッハは僕の先生だった」

    フェリペ・マッサが、自身のF1キャリアをプロのドライバーとして、そして、一人の人間として振り返った。

    フェリペ・マッサは16年のF1キャリアで269戦を戦い、11勝、16回のポールポジション、30回の表彰台を獲得した。2002年にザウバーでF1デビューを果たしたフェリペ・マッサは、2006年にルーベンス・バリチェロに代わってフェラーリに加入。彼が“先生”だと慕うミハエル・シューマッハとチームメイトになった。

    「彼(シューマッハ)は僕の先生だった。彼はとても素敵だったし、ずっと僕に親切にしてくれた。彼が引退することを決めたとき、彼は僕に大きなチャンスを与えてくれた」

    「初優勝は2006年。ブラジルのホームでだった。ブラジルには、いつも多くのタイトルや勝利を獲得したドライバーがいた。セナは僕にとって王様だったし、優勝できたときは驚きべき気持ちだった」

    フェリペ・マッサは、2008年にホームでの最終戦でルイス・ハミルトンにわずか1ポイント差でワールドチャンピオンを逃した。だが、最大限を尽くして優勝できたことで悔いはないと語る。

    「2008年の失望の助けになったのは最終戦で優勝できたことだ。それ以上のことはできなかったからね」とフェリペ・マッサはコメント。

    「僕の気持ちを人々に伝えることもできた。自分が達成したすべてのことを誇りに思っている」

    2009年のハンガリーGPの予選では命を脅かす重傷を負ったが、2010年にカムバックを果たした。

    「ドライバーとして、事故後も変わりはなかったと思う。変わったことは、以前よりも生きることにより敬意を払うようになったことかな。大きな事故を起こす前は、自分には決してそのようなことが起こることはないと考えるものだ」

    「大きな事故に合って、人生が変わる可能性があることを理解する瞬間を経て、生きることにより大きなリスペクトを払うことができる。今は自分の人生を愛しているし、他の人たちのことを以前よりもレスペクトしている」

    2013年にはウィリアムズに移籍。2016年に一度引退を表明したが、メルセデスに移籍したバルテリ・ボッタスの代わりとして電撃復帰。そして、今年のブラジルGP前に2度目のF1引退を発表した。

    Felipe Massa’s F1 journey – in his own words

  • ジャン・トッド 「ミハエル・シューマッハは今もなお戦っている」

    ジャン・トッド 「ミハエル・シューマッハは今もなお戦っている」

    FIA会長のジャン・トッドは、友人でF1レジェンドのミハエル・シューマッハに感動的なメッセージを捧げた。

    FIAは4日(月)にモータースポーツ殿堂を設立し、33名のF1ワールドチャンピオンの殿堂入りを祝った。パリのフランス自動車クラブの本部で催された式典には9名のF1ワールドチャンピオン、代表者、家族らが一堂に会した。

    ジャン・トッドは、7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハが式典の場にいないことが寂しいとスピーチで述べた。

    「我々はミハエルがこの場にいなことを寂しく思っている」とジャン・トッドがコメント。

    「彼はそこにいて、今もなお戦っている。私はファミリービジネスを運営するザビーネがここにいることを嬉しく思う」

    「今夜は(息子の)ミックにも来て欲しかったが、彼はスペインでテストをしていおり、(妻の)コリーナはアメリカにいる」

    「戦いは続いている。ミハエルは非常に特別な男であり、モータースポーツにとって特別な男だ。彼は私にとって特別な男であり、友人だ」

    ミハエル・シューマッハの代理として出席した長年のマネージャーであるザビーネ・ケームは「私は今夜のイベントには役不足ですね」とスピーチ。

    「我々全員が、マイケルがここにいるべきであることをわかっていますし、彼もここにいたかったと確信しています」

    「彼は常にこの部屋の全員に最大の敬意を払っていましたし、彼はとても光栄だと思います。ミハエルを特別な存在にして、彼を成功させてくれたのは、この部屋にいる皆さんと同じく、スポーツへの愛と情熱でした」

    関連:FIA殿堂設立…33名のF1ワールドチャンピオンが殿堂入り

  • ミハエル・シューマッハの2001年F1優勝マシンが約8億4000万円で落札

    ミハエル・シューマッハの2001年F1優勝マシンが約8億4000万円で落札

    ミハエル・シューマッハが最後にF1モナコGPを制したフェラーリの2001年F1マシン『F2001』がニューヨークで実施されたオークションで750万4000ドル(約8億4000万円)で落札。これまでオークションに出品されたなかで最も価値の高い近代F1マシンとなった。

    ミハエル・シューマッハが2001年に4回目のタイトルを獲得したフェラーリ F2001のシャシー#211は、マンハッタンで開催れたオークション“Sotheby’s Contemporary Art Evening Sale”に出品された。

    推定金額は400万ドル(約4億5,000万円)とされていたが、最終価格はそれを大きく上回り、750万4000ドルまでつり上がった。落札額の一部は、元オーナーからミハエル・シューマッハのキープ・ファイティング基金に寄付される。

    このマシンは、2001年にミハエル・シューマッハが最後にF1モナコGPを制したマシンとして有名であるだけでなく、ハンガリーGPで4度目のタイトルを決めたマシンでもある。このシーズン、ミハエル・シューマッハは17戦で9勝を挙げて、2位となったデビッド・クルサードのほぼ2倍のポイントを獲得し、フェラーリで2年連続、自身4度目のタイトルを獲得している。