カテゴリー: ミハエル・シューマッハ

  • メルセデスGP 「ドライバーには均等にテスト日を分け与える」

    メルセデスGP 「ドライバーには均等にテスト日を分け与える」

    メルセデスGPのノルベルト・ハウグは、シーズン前のプレシーズンテストの日程をレースドライバーに均等に分配することを明らかにした。

    メルセデスGPは、3月中旬のシーズン開幕までにバレンシア、ヘレス、ヘレス、バルセロナという4つのプレシーズンテストへの参加を予定しているが、2010年にF1復帰を果たすミハエル・シューマッハが、15日間のテスト日の大半でドライブをするとの推測が広まっていた。

    しかし、ノルベルト・ハウグはその噂を否定。テストはミハエル・シューマッハとニコ・ロズベルグに均等に与えるとしている。

    「いいや。テストは両方のドライバーに公平に分けられると考えている」

  • ミハエル・シューマッハ、41歳の誕生日を迎える

    ミハエル・シューマッハ、41歳の誕生日を迎える

    ミハエル・シューマッハが、41歳の誕生日を迎えた。

    ミハエル・シューマッハは、1969年1月3日にドイツのフルト・ヘルムールハイムで生まれる。4歳からカートを始め、88年からF3に参戦し、90年にドイツF3チャンピオンを獲得。マカオGPではミカ・ハッキネンを下し優勝。

    1991年のベルギーGPでメルセデスの支援によりジョーダンからスポット参戦しF1デビュー。次戦からベネトンのレギュラーシートを獲得し、翌年のベルギーGPでF1初優勝を果たす。

    1994年にはドイツ人初のF1ワールドチャンピオンに輝き、翌年も2年連続でタイトルを獲得する。

    1996年には名門フェラーリへ移籍。翌年にベネトンからロス・ブラウンとロリー・バーンを獲得して体制を整え、2000〜2004年に5年連続でワールドチャンピオンを獲得。2002年には17戦中11勝をあげ、全レースで表彰台を獲得するなど圧倒的な強さをみせた。

    通算91勝、7度のワールドチャンピオンを獲得し、2006年に現役を引退。現役引退後は、フェラーリのアドバイザーを務め、市販車の開発などに貢献。

    2009年には負傷したフェリペ・マッサの代役としてF1復帰が期待されたが、2月に起こしたバイク事故による首の負傷により復帰を断念していた。

    2009年12月23日、メルセデスGPから4年シーズンぶりにF1復帰することが発表される。2010年のF1グリッドでは最年長ドライバーとなる。

    関連:
    ・メルセデスGP、ミハエル・シューマッハの起用を正式発表 – 2009年12月23日
    ・ミハエル・シューマッハ F1記録
    ・ミハエル・シューマッハ 引退会見 (2006年イタリアGP)

  • ニコ・ロズベルグ、シューマッハのドライビング戦術を批判

    ニコ・ロズベルグ、シューマッハのドライビング戦術を批判

    ニコ・ロズベルグは、2010年にメルセデスGPでチームメイトになるミハエル・シューマッハのドライビング戦術を批判している。

    ロズベルグは、ミハエル・シューマッハが“勝つためならどんな犠牲をも払う”という疑わしいドライビング戦術を正当化したと語る。

    「それを始めたのはミハエル・シューマッハだ。スパで、ミカ・ハッキネンが彼をオーバーテイクしようとしたとき、彼はハッキネンをコース脇に追いやった」

    「追い抜こうと決めた人がいるときに、前にいる人が動くのは非常に危険だ。やってはいけない。それが危険な問題だと初めて覚えたね」

    F1で91勝を挙げ、7度のワールドチャンピンに輝いたミハエル・シューマッハだが、パドックではそのドライビング戦略に批判的な意見があるのも事実。

    シューマッハが初めてワールドチャンピオンを決めた1994年の最終戦オーストラリアGPでは、タイトルを争っていたデイモン・ヒルの攻撃を防ごうとして接触。この接触でデイモン・ヒルはリタイアを余儀なくされ、物議を醸した。

    1997年の最終戦ヨーロッパGPでもジェック・ヴィルヌーヴとの接触が故意と判断され、ランキングを剥奪されている。

    また2006年のモナコGP予選では、ラスカスコーナー出口にマシンを止め、フェルナンド・アロンソのアタックを妨害したとしてペナルティを受けている。

    ニコ・ロズベルグは、そのような行為が後に続くドライバーに悪影響を与えたと考えている。

    「インテルラゴスでバリチェロ、ウェバー、そして小林がまさに同じことをした」

    「ウェバーによって、ライコネンはフロントウィングを失ったし、小林によって中嶋は大きくコースオフした。もっと最悪になる可能性だってあった。そのような事故は、実際に自分自身、マーシャルや他の人を傷つける可能性があるんだ。ルイスはバリチェロにタイヤをぶつけられた。3度もあったんだ。許されないことだね」

  • フェラーリ 「シューマッハの復帰はF1にとって素晴らしいこと」

    フェラーリ 「シューマッハの復帰はF1にとって素晴らしいこと」

    フェラーリのチーム代表であるステファノ・ドメニカリは、ミハエル・シューマッハのメルセデスGP移籍のニュースに非常に落胆したが、F1にとってシューマッハの移籍は素晴らしいニュースだと語る。

    ミハエル・シューマッハは、フェラーリとの14年間の関係を終え、メルセデスGPと3年契約を結び2010年にF1復帰する。

    ステファノ・ドメニカリは、ミハエル・シューマッハのニュースを受け入れるのは簡単ではなかったと認める。

    「関係は形式的なものではないんだ」とLa Stampa紙にドメニカリはコメント。

    「彼の頭の中には願望があった。彼は新たなスポーツへの挑戦に取り組むことを望んでいたが、フェラーリには空席がなかった」

    「非常に落ち込んだし、打ち消すことは困難だった。しかし、我々は前に進まなければならない」

    だが、ステファノ・ドメニカリはシューマッハの復帰がF1にとって大きな後押しになると考えている。

    「彼の復帰は、F1にとって素晴らしいニュースだ。彼はチャンピオンシップへの関心を高め、新しい観客を惹きつけ、ショーを改善させてくれるだろう」

    ドメニカリは、来年のイタリアGPが来てても、フェラーリファンはミハエル・シューマッハがフェラーリと達成した全てを忘れないと考えている。

    「控え目にいっても“失望した”というファンからの手紙をたくさん受け取って驚いた。イタリアGPはずっと先だ。フェラーリのファンは感謝すると確信している。歴史は消えることはない」

    ステファノ・ドメニアリは、来年からフェルナンド・アロンソが加入することによってフェラーリが士気を高めていると主張する。

    「彼は12月中旬もここにいた。それからも、シミュレーションでのマシンパフォーマンスについて毎日電話してきている。彼の加入はみんなの士気を高めている」

  • セバスチャン・ベッテル 「シューマッハ・ブームはすぐに収まる」

    セバスチャン・ベッテル 「シューマッハ・ブームはすぐに収まる」

    セバスチャン・ベッテルは、シーズンが始まる頃にはミハエル・シューマッハ復帰の目新しさはなくなって、グリッドでのシューマッハの存在はすぐに日常的なものになるだろうと考えている。

    同じドイツ人でミハエル・シューマッハの後継者と呼ばれたセバスチャン・ベッテルは、シューマッハのF1復帰を歓迎しており、彼がこのような決断をしたか理解できると語る。

    「彼の復帰はF1にとって素晴らしいことだよ」とベッテルはGazzetta dello Sportにコメント。

    「今、明らかに会話の主題になっているよね。世界中がそれについて話している」

    「でも、再びエンジンが動き出してシーズンが始まれば、もっと集中するべき重要なことがあると思うよ」

    ベッテルは、シューマッハの年齢が体力的に不利になるとの見方を否定。シューマッハは、2010年シーズンが開始することには41歳になっている。

    「その点は、彼にとって簡単ではないだろうね」

    「でも、彼をみればまだ本当に素晴らしい状態だ。彼はずっと活動していた。もちろん、多くはクルマのパフォーマンスに依存するだろうね。少なくともどうなるかはバーレーンGPまで待ってみようよ」

    ベッテルは、シューマッハがチームメイトのニコ・ロズベルグにどれくらい匹敵するかに興味をそそられている。

    「ミハエルとニコの大きな年齢差はとても面白いよね。シューミは多くの経験を持ち込むし、チームは大きなアドバンテージを得られるだろう」

    ベッテルとシューマッハは友人だが、ベッテルはシューマッハがF1復帰を計画していたことに気付かなかったと語る。

    「誰もそれを真剣に信じてはいなかったよね。数週間前、ケルペンでのカートレースで一緒になって彼を少しからかったけど、彼は何も言いたくなさそうだった。彼が夏に復帰を断念したのは首に問題があったからだけど、すっかり良くなっているようだったよ」

  • フェラーリ副社長 「シューマッハは裏切り者ではない」

    フェラーリ副社長 「シューマッハは裏切り者ではない」

    フェラーリの副社長ピエロ・フェラーリは、メルセデスGPでF1復帰するミハエル・シューマッハが、フェラーリを裏切ったとの主張を否定した。

    フェラーリの創設者エンツォ・フェラーリの息子であるピエロ・フェラーリは「ミハエルは我が社のシンボルになっていたので、我々が少し失望したのは本当だ」
    とGazzetta dello Sportに語った。

    「彼には留まっていて欲しかったが、私はその(裏切りという)表現は使わないだろう。彼はレースをすることを望み、フェラーリには彼が再びレースができる条件がなかった」

    ピエロ・フェラーリは、40歳でF1復帰を決めたミハエル・シューマッハが成功する速さを持っているだろうと語る。

    「彼の競争力はマシン次第だろう。偉大なドライバーだったマリオ・アンドレッティは50歳を過ぎるまでレーシングを続けた。シューミは天才だったし、天才のままだ。彼は10年に一人のドライバーだ」

    またピエロ・フェラーリは、フェラーリがミハエル・シューマッハを起用するためにフェルナンド・アロンソとフェリペ・マッサの放出を検討する理由はなかったと主張した。

    「いいや、私はスポーツにおけるカムバックを信じていない。以前のチームに戻ったコーチやサッカー選手の話だがね。時間は進んでいくものだ」

    「それは別にして、我々が雇ったアロンソは偶然ワールドチャンピオンになったわけではない。そして実際に彼はすでにミハエルに挑戦して勝っている。そして、我々にはミハエルの傍でで成熟したマッサもいる」

    「2009年マシンはあまりよくなかったが、良いマシンを造ることができれば、満足感を得られると確信している。言い換えれば、ドライバーが原因で我々がレースやがタイトルを逃すことはない」

    ピエロ・フェラーリは、彼の伝説的な父親であるエンツォ・フェラーリでも、シューマッハの決断を受け入れただろうと信じている。

    「少し昔を振り返ってみよう。私は、ロレンツォ・バンディーニととても親しかったので、彼が1967年にモンテカルロで亡くなったときにはとても辛かった」

    「そのとき、父は、私に彼のポリシーに沿ったいくつかのアドバイスをしてくれた。『レーシングドライバーとあまり親密になってはならない。なぜならこのような結果になるか、別のチームに移籍してしまうからだ。たとえ非常に重要であっても、彼らは従業員なのだ』」

  • マルク・ジェネ 「シューマッハは3台目のフェラーリに乗っていただろう」

    マルク・ジェネ 「シューマッハは3台目のフェラーリに乗っていただろう」

    フェラーリのテストドライバーであるマルク・ジェネは、規約が変更されていたらミハエル・シューマッハは2010年にフェラーリからF1復帰していただろうと語る。

    ミハエル・シューマッハは、14年間のフェラーリとの関係し、2010年からメルセデスGPでレースをする契約を結んだ。

    マルク・ジェネは、フェラーリが来年ミハエル・シューマッハをサードカーで出走できるように規約変更を推進してとEl Mund紙のコラムに投稿。

    「彼が違う色のクルマに乗っているのを見ることはフェラーリの僕たちを間違いなく悲しませる。彼は僕たちの最高の歴史だからね」

    「レギュレーションがサードカーを許可していたら、ミハエルは来年僕たちと一緒にいたと確信している」

    「でも、そうはならなかった。僕たちは彼を称賛し、彼を恐れ、そして彼を負かすために頑張らなくてはならない。僕たちはフェラーリでその準備を整えているし、誰もそれを疑っていない。アロンソとマッサはとても力強いチームになる」

  • ミハエル・シューマッハ F1記録

    ミハエル・シューマッハ F1記録

    ミハエル・シューマッハは、2010年に新たなF1の記録へと挑戦する。

    1991年にF1デビューを果たしたミハエル・シューマッハは、引退する2006年末までに7度のF1ワールドチャンピオン、通算91勝という記録だけではなく、F1の歴史のなかで数々の記録を打ち立てている。

    41歳でF1復帰するミハエル・シューマッハが、この先伸ばしていくであろう記録をまとめてみる。

    ミハエル・シューマッハ 保有記録

    ・ドライバーズチャンピオン 7回
     - 5年連続ドライバーズチャンピオン

    ・優勝 91回
     - 年間優勝 13回

    ・ポールポジション獲得 68回

    ・ファステストラップ 76回

    ・ポールトゥウィン 40回
     - 連続ポールトゥウィン 6回

    ・ハットトリック 22回 (ポールポジション、ファステストラップ、優勝)
     - 年間ハットトリック 5回

    ・表彰台 154回
     - 連続表彰台 19回
     - 年間表彰台 17回(2002年に全戦表彰台)

    ・入賞 190回
     - 連続入賞 23回

    ・通算獲得ポイント 1369点
     - 年間獲得ポイント 148点

    ・完走 197回
     - 年間全レース完走(史上6人目) 

    ・開幕連続優勝 5回

  • フラビオ・ブリアトーレ 「シューマッハは再び勝てる」

    フラビオ・ブリアトーレ 「シューマッハは再び勝てる」

    ミハエル・シューマッハのF1復帰について、元F1チーム代表のフラビオ・ブリアトーレは、2010年にメルセデスGPのマシンに競争力があれば、シューマッハが再び勝つチャンスがあると考えている。

    フラビオ・ブリアトーレは、ミハエル・シューマッハがベネトンで1994年と1995年に最初の2つのワールドチャンピンを獲得したときにチーム代表を務めていた。

    ブリアトーレは、シューマッハは勝てると信じていなければF1復帰はしなかっただろうと話し、レースに勝つかは与えられるクルマ次第だと語った。

    「(シューマッハの復帰は)F1にとって素晴らしいことだと思う」とフラビオ・ブリアトーレは“Gazzetta dello Sport”にコメント。

    「彼はずっと復帰のことを考えていたと思うし、まだ速く走れると確信したので復帰を決めたのだと思う」

    シューマッハの年齢について質問されたフラビオ・ブリアトーレは次のように述べた。今年F1最年少デビューを果たしたハイメ・アルグエルスアリとは20歳も離れている。

    「レースに勝てるクルマがあれば、あまり問題ではないだろう」

    「昨シーズンはそれをはっきりさせた。ワールドチャンピオンになったドライバーが必ずしもその場で最高というわけではないからね」

    またブリアトーレは、シューマッハが引退する準備が整うまえにF1を去ったと感じていたと語る。

    「健康だったら、昨シーズン、すでにフェラーリで復帰していたと思う」

    「ミハエルは、ただ普通の生活を送ることはできないレーシングドライバーのカテゴリーに属している。レースから離れることはできないんだ」

    「前から思っていたのだが、彼が3年前に辞めたとき、引退する準備ができていなかったんだと思う。彼はもう2〜3シーズン競争力があっただろう」

    しかし、ブリアトーレは、シューマッハが再びワールドチャンピオンに挑戦できるかどうかは予測できないと語る。

    「わからない。たとえば、私は来年はアロンソとマッサのいるフェラーリがかなり強いと思っている」

    「ただ言えるのは、ロス(ブラウン)は彼を良く知っているし、メルセデスはずっと彼を追いかけていたということだ。しかし、繰り返し言うが、クルマが重要だ」

    ベネトン時代のミハエル・シューマッハとフラビオ・ブリアトーレ

    ミハエル・シューマッハ、フラビオ・ブリアトーレ、ロス・ブラウン、J.J.レート(1994年) フラビオ・ブリアトーレとミハエル・シューマッハ(1995年)

  • ミハエル・シューマッハ 引退会見 (2006年イタリアGP)

    ミハエル・シューマッハ 引退会見 (2006年イタリアGP)

    2010年にメルセデスGPでF1復帰することが決定したミハエル・シューマッハ。シューマッハの復帰を記念して、ここで現役引退を表明した2006年のイタリアGP決勝レース後のプレスカンファレンスでのコメントを振り返ってみる。

    ミハエル・シューマッハ
    今日は僕にとって、とても意味深い日になりました。今回、このような形で優勝できて良かったです。チャンピオンシップも大きな目標ですが、僕自身、今後についてもいろいろと考えてきました。僕の今後についてはたくさんの話し合いを重ねてきました。そして、この時点でファンの皆さん、モータースポーツ関係者にきちんと僕の方からお話すべきと考えました。

    まず、少し時間がかかったことをお許しください。僕達も一番よいタイミングを検討してきて、今日の日になりました。簡単に言うと、モンツァでレースをするのはこれが最後になります。チームと話し合った結果、今シーズン限りで引退することを決意しました。

    振り返ってみると、本当にモータースポーツの世界に入って30年以上、信じられないような素晴らしい経験をさせてもらいました。うまくいったときも、いかなかったときも、すべてが貴重な体験でした。おかげで充実した時を過ごすことができました。特に、家族には大変感謝しています。父親、亡くなった母親、そしていつも支えてくれた妻と子供達。家族の支え、協力なしには、とてもこの厳しいスポーツで、戦い、生き残り、結果を出すことはできなかったと思います。家族だけでなく、ベネトン時代からの仲間にも感謝しています。そしてフェラーリに来てからは、たくさんの素晴らしい同僚、友人にめぐり合い、友情を育むことができました。その中で、こうした決断を下すことは容易なことではありませんでした。エンジニアの仲間、友人のことを考えると、後ろ髪を引かれる思いでした。しかし、いつかはこの日が来るわけですから、仕方のないことだと思っています。今がその決断の時だと感じました。

    また、チームメイトのマッサにも影響するので、僕の身の振り方をこの段階で決めておく必要があると感じました。彼は素晴らしいドライバーで、チームメイトとしても協力してくれました。彼が今後のことを考える上で、やはり僕が先にはっきりと決めてあげておく必要があると感じました。それでこのような決断をしました。また、僕の後任について、チームの方から正式な発表があると思いますが、僕も既にそのドライバーの名前を聞かされています。大変よい選択だと感じました。あとは、残りの3戦に全力を尽くすだけです。よい形で終わらせることができればと思いますし、もちろんチャンピオンシップも狙います。今日の優勝は、その目標に向けて大きな一歩になりました。今まで僕を支え、見守ってくれた多くの方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。

    (2006年9月10日 イタリアGP)