カテゴリー: ザウバーF1チーム

  • ガブリエル・ボルトレト アウディF1参戦で実感した変化「もう別のチーム」

    ガブリエル・ボルトレト アウディF1参戦で実感した変化「もう別のチーム」

    ガブリエル・ボルトレトは、アウディがF1に参戦してザウバーを引き継いで以降、チームが「まったく異なる状況」になったと語った。特に大きく変わったのは、資金面だけではなく、チーム全体のメンタリティだという。

    アウディは2026年のF1新パワーユニット規則導入に合わせてワークス参戦を開始。長年F1に参戦してきたザウバーを買収し、ヒンウィルのシャシー部門とノイブルクのパワーユニット部門を軸に、将来的なトップチーム入りを目指すプロジェクトを本格始動させた。

    「現実として今はまったく違う状況」
    ボルトレトは、過去18カ月ほどでザウバーからアウディへと移行していく過程を間近で見てきた。そのなかで最も強く感じているのが、チーム内部の意識の変化だ。

    「そうだね、本当に違いを感じる。特にメンタリティは大きく変わった」

    「昨年までのチーム、そしてそれ以前の長い歴史に対しては大きな敬意を持っている。でも、実際のところ、僕たちは今まったく違う状況にいる」

    ザウバーは長いF1参戦歴を持つ一方、近年はトップチームと比較して予算やリソースに制約があり、競争力を高めるうえで厳しい状況に置かれていた。

    しかし、アウディという大手自動車メーカーが全面的にプロジェクトを支える現在、その前提自体が変わったとボルトレトは説明する。

    「僕たちにはアウディの支援がある。メーカーとして参戦していて、自分たちでエンジンも作っている。アウディから多くの資金的なサポートも受けている」

    「だから、過去のザウバーが経験していたかもしれないような意味で、僕たちは苦しんでいるわけではない。そして、メンタリティも変わる。僕たちは将来、大きなことを成し遂げたいと思っている」

    明確になったアウディF1の目標
    潤沢な資金やメーカーとしての技術基盤だけでなく、それによって働くスタッフの姿勢にも変化が表れているという。

    アウディはF1参戦を単なるブランド活動として位置づけているわけではない。将来的にタイトルを争うことを目標に掲げ、そのためにヒンウィルとノイブルクの両拠点で体制強化を進めている。

    ボルトレトは、その目標がチーム内部で明確に共有されていることが重要だと考えている。

    「チーム内では目標が明確になっている。そして、その目標を達成するために取り組んでいる」

    「昨年から今年にかけて、本当に違いを感じる。みんなの振る舞い方もそうだし、仕事への取り組み方も変わっている」

    アウディへの移行によって変わったのは、マシンに投入できる予算や設備だけではない。チームが何を目指し、そのためにどう働くのかという組織文化そのものが変化しつつあるとボルトレトは感じている。

    ガブリエル・ボルトレト(アウディF1)

    初のF1パワーユニット開発を評価
    アウディF1プロジェクトの大きな特徴が、パワーユニットを自社開発する完全なワークス体制であることだ。

    ドイツ・ノイブルクではF1用パワーユニットの開発が進められており、ヒンウィルのシャシー部門とともにアウディのF1活動を支える重要な拠点となっている。

    ボルトレトは、前年までは直接一緒に仕事をしていなかったノイブルクのスタッフが加わったことで、組織の規模と可能性が大きく広がったと語る。

    「今ではノイブルクにも素晴らしいチームがある。昨年は基本的に一緒に仕事をしていなかった人たちが、そこでパワーユニットを作っている」

    「新しいレギュレーションの初年度に、しかも初めてF1エンジンを作って、彼らが成し遂げたことは、僕の意見では本当に素晴らしいことだ」

    2026年のF1ではパワーユニット規則が全面的に刷新され、アウディにとってはその新規則への対応とF1用パワーユニットの初開発を同時に進めるという大きな挑戦となった。

    その状況を考えれば、初年度から実戦で戦えるパワーユニットを完成させたこと自体をボルトレトは高く評価している。

    「まだ遅れている」課題も冷静に認識
    一方で、ボルトレトは現在のアウディがすでに目標とするレベルへ到達したとは考えていない。

    チームには改善すべき部分が残されており、特にトップ勢とのギャップを縮めるには継続的な開発が必要になる。

    「もちろん、まだ改善しなければならないことは分かっている。もっと良くしていく必要がある。僕たちが遅れていることも分かっている」

    それでも、F1参戦初年度に自社製パワーユニットを投入するという仕事の難しさを考えれば、現在までの成果を過小評価すべきではないと強調した。

    「彼らがやったことは簡単ではない。本当に称賛したい」

    「これからもプッシュし続けて、このやり方で仕事を続けていく。そして将来、僕たちは大きなことを成し遂げられると思っている」

    ザウバー時代には予算やリソース面で制約を抱えていたヒンウィルのチームだが、アウディのワークス参戦によって置かれた環境は大きく変わった。ボルトレトが強調するのは、単に資金が増えたという変化ではなく、それによって目標と働き方、そしてチーム全体の意識まで変わったという点だ。

    まだトップ勢との差を認めるアウディだが、自社製パワーユニットを含む完全ワークス体制を構築した初年度を土台として、長期的な目標であるF1のトップチーム入りに向けたプロジェクトを進めている。

  • アウディF1は勝つために誕生 ビノット「ブランド変更だけでは勝てない」

    アウディF1は勝つために誕生 ビノット「ブランド変更だけでは勝てない」

    アウディF1プロジェクトを率いるマッティア・ビノットは、チームが将来的なタイトル獲得を目標に掲げる一方で、短期間で競争力を完成させることはできないと強調した。

    シャシー面ではすでに高いポテンシャルが確認されているものの、パワーユニット開発や人材、設備、組織体制の構築にはまだ時間が必要だという。

    フェラーリでチーム代表やパワーユニット部門の責任者を務めたビノットは、アウディの組織拡大、2026年F1パワーユニット規則、追加開発機会制度のADUO、圧縮比を巡る議論、次世代エンジン、ドライバー体制、イギリスの技術拠点、そして2030年までの長期目標について語った。

    アウディF1の拡張計画は予定どおり進行
    アウディは数年にわたる準備期間を経て、2026年からワークスチームとしてF1に参戦している。ビノットによると、現在の拡張計画は当初設定したスケジュールに沿って進められている。

    「順調だ。我々が定めた計画に沿って進んでおり、現時点までに設定していた目標に関しては、すべて予定どおりだ」

    「最も重要なプロジェクトはすべて始動している。もちろん、始動したからといって、すでに完成しているという意味ではない。まだ構築しなければならないものは多いが、すべて計画していたとおりに組み立てられている」

    アストンマーティンやウィリアムズのように、組織を拡大しているチームが一時的にパフォーマンス面で代償を払うケースもある。しかし、ビノットは他チームとの単純な比較を避け、アウディには独自の事情があると説明した。

    「他のチームとは比較したくない。僕が知っているのは我々のプロジェクトであり、他のチームの内情ではないからだ」

    「アウディは非常に明確な野心を持って生まれた。それは勝てるチームになることだ。その意味で、我々の道のりは特別なものになる」

    「短期的に何らかの代償を払っていると言うより、奇跡を期待することはできないと言った方が正しい」

    「ブランドとカラーを変えるだけでは勝てない」
    ビノットは、アウディという名称やワークス体制への移行だけで、組織の能力が即座に変わるわけではないと強調した。

    「必要な人材、ツール、スペースがすべてそろっていないのであれば、一日で並外れた結果を求めることはできない」

    「実際のところ、現在の我々は、昨年のザウバーに、今まさに構築しているものを追加している段階だ」

    「オーナーやブランド、マシンのカラーリングを変えたからといって、突然300人のスタッフが増え、新しい施設や優れたツールが手に入るわけではない。本当の挑戦はまさにそこにある」

    高い目標を掲げながら、現実的な成長速度も受け入れなければならない。それが現在のアウディが置かれている状況だという。

    「一方には非常に高い野心があり、もう一方では成長には時間がかかるという事実を受け入れる必要がある」

    「僕自身、できるだけ早く結果を出し、このチームに何ができるのかを示したいと思っている。しかし、短期的には、現在持っているリソースで可能なことしかできない」

    「忍耐強くならなければならないし、ある程度のフラストレーションを管理することも学ばなければならない」

    シャシーはトップ4級もパワーユニットは発展途上
    ビノットは以前、アウディのシャシーがF1でトップ4に入る水準にあるとの見方を示していた。一方、パワーユニットについては、参入初年度から一定の遅れが生じることを想定していたという。

    「パワーユニットに関しては驚いていない。完全に新しい能力と知識を構築しているため、ある程度の遅れを抱えてスタートすることは分かっていた」

    「これは長期的なプロジェクトだ。数シーズンのうちに、アウディがトップレベルのパワーユニットを手にすることになると確信している」

    対照的に、シャシー部門の進歩には大きな手応えを感じている。

    「シャシーについては非常に満足している。このプロジェクトの構築を数年前に始め、現在は最初の成果が見え始めている」

    「このチームがすでに成し遂げたことは大きな成功であり、自信を与えてくれる。勝てるチームをつくるために必要な人材がいることを意味している」

    現在のアウディが純粋な競争力で4番手なのか、5番手なのかを明確に判断することは難しい。それでも、コーナリング性能については他チームのドライバーからも高く評価されているという。

    「現在の競争力が4番手なのか5番手なのかを判断するのは難しい。しかし、他チームのドライバーのコメントを聞くだけでもいい。誰もが我々のマシンはコーナーで非常に強いと認めている」

    「データ分析でもそれは確認できる。ストレートで失っているものの大部分を、コーナーで取り戻すことができている」

    勝者のメンタリティとは組織文化
    ビノットはアウディ加入後、繰り返し「勝者のメンタリティ」の重要性を語ってきた。ただし、その言葉は精神論ではなく、組織の文化や人間関係、連携の質を意味している。

    「勝者のメンタリティという表現は頻繁に使われる。しかし、最終的には文化であり、人々がどのように一緒に働き、どのように関わり合うかということだ」

    「現在、シャシー部門とパワーユニット部門を合わせると、我々も他のF1トップチームと同じように1000人を超える組織になっている」

    規模が同程度になれば、最終的な差を生むのは人数ではなく、組織としての機能性になる。

    「最終的な違いを決めるのは、人間関係の質、部門間の調整、そして全員が同じ方向へ進む能力だ」

    「僕にとって勝者のメンタリティとは、全員に野心的な挑戦を受け入れてもらい、共通の目標に向かって一緒に働けるようにすることだ」

    ADUO本来の目的は後れたメーカーの救済
    ビノットはフェラーリ時代にエンジン部門を率いた経験を持つ。その立場から、2026年に導入されたパワーユニットの追加開発機会制度ADUOについても見解を示した。

    ADUOは、各パワーユニットメーカーの性能を一定期間ごとに評価し、基準を下回ったメーカーに追加の開発機会を与える制度である。

    「FIAが行った作業を疑問視するつもりはない。FIAには評価に必要なツールとデータがすべてそろっている。もちろん、どのような測定システムにも避けられない限界はある」

    「ただし、ADUOの本来の目的が何だったのかを思い出すことは重要だと思う」

    制度が最初に議論された段階では、新規則の導入直後に大きく出遅れたメーカーを救済するセーフティネットとして構想されていた。

    「最初にこの制度が議論されたとき、その考え方は一種のセーフティネットだった」

    「規則サイクルの序盤でメーカーが大きく後れた場合、規則が事実上凍結され、開発の可能性もほとんどない状況では、その不利を5年間にわたって抱え続ける危険がある」

    そのために導入されたのが、パワーユニット性能の収束を促す仕組みだった。

    「そこからパフォーマンス・コンバージェンスという概念が生まれた。後れたメーカーに、追いつくためのより大きな可能性を与えるものだ」

    「基本的にはシャシーや空力ですでに採用されている原則と同じだ。選手権で下位にいるチームには、より多くの風洞使用時間が与えられる」

    「同様に、パワーユニットで後れたメーカーには、他メーカーとの差を縮め、選手権をより均衡させるための追加開発機会が与えられる」

    アウディ F1

    コース上の性能だけでは実力を測れない
    ビノットが問題視しているのは、ADUOの評価が実際にコース上で発揮されたパフォーマンスを中心に行われる点だ。

    総合的に優れたマシンを持つチームは、パワーユニットを常に最大出力で使用する必要がない可能性がある。その場合、本来は高いポテンシャルを持つパワーユニットでも、評価上は性能が低く見える恐れがある。

    「僕の考えでは、限界はコース上で発揮されたパフォーマンスだけを測定していることだ」

    「マシン全体に優位性があれば、パワーユニットのポテンシャルを完全に引き出さずに走ることができる」

    「例えば、メルセデスがより高いポテンシャルを持つエンジンを持っていたとしても、マシンによる優位性があれば、限界まで使う必要がなかった可能性がある」

    「仮にそうであれば、追加の開発マージンまで得られた可能性がある」

    ビノットは、パワーユニットの本当の能力をより正確に評価できるよう、制度を再検討する必要があると主張する。

    「その点で規則を見直す必要があると思う」

    「ADUOの本来の意図は、本当に後れたメーカーを助けることだった。パワーユニットの実際のポテンシャルを評価することが難しくなるような状況を生み出すことではない」

    圧縮比のグレーゾーンは2027年規則で明確化
    2026年のF1では、パワーユニットの圧縮比を巡る規則解釈も議論の対象になった。ビノットによると、この論争が以前ほど大きく取り上げられなくなったのは、2027年に向けた規則変更について合意が形成されたためだ。

    「最終的に規則変更について合意したため、議論は少し落ち着いた」

    「今年中の対応も予定されていたが、本当に重要な変更は2027年に関するものだ。そのため、この問題はある意味で沈静化した」

    技術者、メーカー、チームの間では、2027年から圧縮比に関する規則上のグレーゾーンが明確化されるとの共通認識がある。

    「技術者、メーカー、チームは、グレーゾーンを明確にする規則上の目標があることを理解している」

    「圧縮比が技術的なアドバンテージになり得ることは明らかだ。しかし、2027年からは規則がこの領域をより明確に扱うことも分かっている」

    「それまでの間、現在アドバンテージを持っているメーカーは、当然ながら2026年もそれを最大限に活用しようとするだろう」

    次世代F1エンジンでアウディは効率を重視
    F1ではすでに、2030年代に導入する可能性がある次世代パワーユニットについて議論が始まりつつある。自然吸気V8を支持する案がある一方、アウディはターボを維持する方向を望んでいるとも伝えられている。

    ただし、ビノットは現時点で正式な議論は始まっていないと説明した。

    「現在はまだ正式な議論が存在していない」

    「まずアウディは、FIAや他のメーカーと同じテーブルに着き、どのような選択肢があるのかを理解したい。そして、全員で最善のフォーマットをつくることに貢献したい」

    「何が最善の解決策なのか。それこそが、これから議論すべきテーマだ」

    アウディが重視しているのは、パワーユニットの効率と市販車への技術移転である。

    「アウディは常に効率の重要性を支持してきた」

    「高効率なエンジンを実現する技術は、その後、市販車にも応用される。効率について話すとき、それは燃料消費、排出量、モータースポーツと量産車の間の技術移転を意味する」

    一方で、現行パワーユニットの複雑さや重量、コストは、次世代規則で改善すべき課題になる。

    「本当の挑戦は、高い効率を維持しながら、より複雑ではなく、より軽く、持続可能なコストで運用できるF1エンジンをどのように設計するかを理解することだ」

    FIAとメーカーの双方が必要
    2026年の新パワーユニット規則は、導入初期にメーカー間の性能差や複数の技術論争を生んだ。こうした経験が次の規則策定に影響する可能性について、ビノットはFIAが議論を主導すべきだと述べた。

    「規制当局であるFIAには、この議論を導く役割があると思う」

    「F1にはメーカーが必要であり、メーカーにもF1が必要だ」

    「最終的には、これまでと同じように、単なる妥協ではなく、全員にとって可能な限り最善の解決策を見つけなければならない」

    ヒュルケンベルグとボルトレトを高く評価
    アウディは経験豊富なニコ・ヒュルケンベルグと若手のガブリエル・ボルトレトを起用している。両者は2027年も残留する可能性が高いとみられている。

    ただし、ビノットは2人を単純に「若手とベテラン」の組み合わせとして見るべきではないと語った。

    「このコンビは、若手とベテランの組み合わせとして表現されることが多い。しかし、僕は非常に速い2人のドライバーだと表現したい」

    「年齢よりも先に、僕にとって重要なのは速さだ」

    「若手と経験豊富なドライバーをそろえていても、競争力がなければ意味はない」

    「僕には非常に速い2人のドライバーがいると思っている。それには満足している。2人とも自分たちの価値を示しており、非常に良い仕事をしている」

    フェラーリとアウディで責任の重さは変わらない
    ビノットは長年、フェラーリで大きなプレッシャーの中に置かれてきた。現在は世界有数の自動車グループを背景に持つアウディのF1プロジェクトを率いているが、責任から生じるプレッシャーの本質は変わらないという。

    「プレッシャーは常に責任と結びついていると思う」

    「ブランドに対する責任、結果に対する責任、一緒に働く人々に対する責任がある」

    「その観点では、フェラーリとアウディで大きく変わることはない」

    プレッシャーへの向き合い方は人によって異なる。ビノットは外部の報道から距離を取り、組織の仕事に集中する方法を選んでいる。

    「それぞれが自分なりの方法でプレッシャーを管理している」

    「僕は単純に、ジャーナリストの記事をあまり読まず、やらなければならない仕事に集中するようにしている」

    技術論争もF1の競争の一部
    2026年シーズンは、ADUO、圧縮比、規則解釈を巡る論争が相次いだ。ビノットは、こうした話題がメディアによって増幅されているだけではなく、実際の技術競争が背景にあると指摘する。

    「現在の競争は、あらゆる分野で行われている」

    「コース上で競争するだけでなく、技術面や規則面でも競争している」

    「今年のように、シャシーとパワーユニットの両方で完全に新しい規則が導入されれば、全員があらゆる細部や解釈の可能性を利用しようとするのは避けられない」

    論争が生じるのは、それだけ各チームやメーカーが技術的、スポーツ的に激しく競っている証拠でもある。

    「論争が起きるのは自然なことだ。しかし、それは本当の技術的、スポーツ的な戦いが存在しているからだ」

    「最終的には、それもポジティブな側面だと思う」

    ビノットが特に驚いたのは、大幅な規則変更が行われたにもかかわらず、シーズン序盤から複数のチームが上位争いに加わっていることだった。

    「過去とは大きく異なる規則が導入されたにもかかわらず、わずか数戦の段階ですでに多くのチームがポールポジションや優勝を争えていることには驚いた」

    「見ていて素晴らしいスペクタクルだ」

    イギリス拠点は人材獲得のための技術アンテナ
    アウディはスイスのヒンウィルをシャシー部門の中心拠点としながら、イギリスにもサテライト拠点を設置している。

    ビノットによると、イギリス拠点の主な目的は、F1関連企業や人材が集中する地域で、新たな技術者を採用しやすくすることにある。

    「我々のシャシー拠点はスイスにあり、それは長所であると同時に短所でもある」

    「一度スイスに人材を呼び込むことができれば、その人が離れることは少ない。非常に安定しており、生活の質も高い」

    「一方で、地理的な位置によって、新しい人材を引きつけることはより難しくなる」

    イギリスのモータースポーツ産業に近い場所へ拠点を置くことで、人材や技術情報へのアクセスを改善できる。

    「イギリスに一種の技術アンテナを置くことで、専門知識や技術により近づき、優秀な人材を見つけやすくなる」

    2030年にF1タイトルを争えるチームへ
    アウディの長期目標は、2026年や2027年の短期的な成績だけを基準に設定されているわけではない。ビノットは2030年を重要な基準として挙げた。

    「実際には、2026年や2027年よりもはるか先を見据えた目標を定めている」

    「我々の基準は2030年だ。選手権を争えるチームをつくりたい」

    2030年までの道のりには、いくつかの重要な段階がある。ビノットは、そのひとつが2028年になるとの見通しを示した。

    「この道のりの中には、重要なステップがあることも理解している」

    「我々にとって最初の大きな段階は、おそらく2028年になる。そこで、さらに大きな質的進歩を遂げたい」

    そのため、2026年と2027年は、純粋なレース結果だけで評価するシーズンではなく、組織を構築する期間として位置づけられている。

    「2026年と2027年は、スポーツ面の結果だけで判断される年というより、主に構築の年だと考えている」

    「この段階で僕が最も見たいのは、会社と組織が成長していることだ」

    サーキットの約100人を1400人が支える
    グランプリの現場で働くスタッフは、アウディF1プロジェクト全体の一部にすぎない。ビノットによると、シャシーとパワーユニットを合わせた組織全体では約1400人が働いている。

    「サーキットで働いているのは100人強だが、その背後では、シャシーとパワーユニットを合わせて約1400人が毎日働いている」

    「多くの場合、人々が見ているのはサーキットへ行くチームだけだ。しかし、それはプロジェクトの目に見える部分にすぎない」

    ビノットはレース結果をケーキの上に載せる飾りに例え、まずはそれを支える組織を完成させなければならないと説明した。

    「サーキットはケーキの上の飾りだ。しかし、その前にケーキそのものをつくらなければならない」

    「僕にとって、今後2年間で最も重要な成果は、組織の成長に関するものになる」

    アウディは勝利とF1タイトルを最終目標に掲げているが、ビノットはブランド変更だけでその目標に到達できるとは考えていない。2026年と2027年を組織構築の期間、2028年を次の成長段階と位置づけ、2030年に選手権を争える体制を完成させることが、アウディF1プロジェクトの長期的な道筋となっている。

  • アウディF1に残る“ザウバー体質” レッドブル出身スタッフが懸念

    アウディF1に残る“ザウバー体質” レッドブル出身スタッフが懸念

    2026年からザウバーを引き継ぐ形でF1に参戦したアウディは、新たなワークス体制として大きな期待を背負っている。しかしチーム内部では、過去の体質が完全には払拭されていないとの懸念も浮上している。

    レッドブルやメルセデスから招いた新スタッフの一部は、チーム内にいまだ「ザウバー時代のメンタリティ」が残っていると感じているという。プロジェクトは立ち上げ段階にあり、組織文化の転換には時間が必要とみられている。

    ザウバーを母体とするアウディF1プロジェクト
    2026年、アウディはザウバーを引き継ぐ形でF1に参入し、パワーユニット供給も含めたワークス体制を構築した。チームには、チーム代表のジョナサン・ウィートリー、CEOのマッティア・ビノットが加わり、ドライバーにはニコ・ヒュルケンベルグとガブリエル・ボルトレトを起用している。

    アウディは将来的にタイトル争いに加わることを目標としているが、プロジェクトはまだ初期段階にあり、組織としての完成度を高める必要がある。

    レッドブル出身スタッフが指摘する“ザウバーのメンタリティ”
    プレシーズンテストではいくつかの問題が発生したものの、アウディは比較的多くの周回を重ね、マシンR26の走行データを積み上げることができた。

    しかしジャーナリストのジュリアンネ・セラゾーリは、チームに加入したレッドブルやメルセデス出身のスタッフが、いまだ「ザウバーのメンタリティ」を感じ取っていると指摘している。

    「最初のバルセロナテストはうまくいかなかった。毎日問題が起きていたが、同じ問題ではなかった」

    「その後のバーレーンではそれらを解決し、別の問題も出たが、シーズン全体にとって深刻なものではない」

    「ガブリエル・ボルトレトはその点に満足していた。問題が出るたびに解決策を見つけていたからだ」

    「しかしレッドブルやメルセデスから来た人々の中には、“ザウバーのメンタリティ”がまだ見えると言う者もいる。まだ勝つためのメンタリティがない。こうしたものを作り上げるには時間がかかる」

    アウディ F1 ザウバー

    過去の投資不足が残す影響
    ザウバーはF1の最後の数シーズンでグリッド後方に沈むことが多く、2025年にはニコ・ヒュルケンベルグがシルバーストンで表彰台を獲得したものの、依然として競争力は限定的だった。

    元F1ドライバーのデビッド・クルサードも、ザウバーがF1参戦の歴史でわずか1勝しか挙げていないことを挙げ、「平凡さ」と批判したことがある。

    ジョナサン・ウィートリーも、ヒンウィル拠点の投資不足によりアウディは2026年に「大きな不利」を抱えていると認めている。

    アウディは2030年頃までにタイトル争いに加わることを目標としているが、過去のザウバー時代の文化や体制を完全に刷新できるかが、今後のプロジェクト成功の鍵となりそうだ。

    Source: F1 OVERSTEER

  • アウディF1が示した前進 ヒンウィルの空力“特殊部隊”の役割

    アウディF1が示した前進 ヒンウィルの空力“特殊部隊”の役割

    アウディは初の正式なF1シーズンを迎えるにあたり、2025年にトラック上で達成した進歩によって、その信頼性を大きく高めている。その背景には、技術責任者のジェームス・キーが「スペシャルフォース(特殊部隊)」と呼ぶ空力チームの存在がある。このチームは、2025年マシンの競争力を劇的に向上させた。この呼称は、困難なスタートを切ったザウバーC45の改善を任された、約10名の小規模な空力エンジニア集団に対して使われている。

    彼らの成功した取り組みによって、このマシンはF1の極めて競争の激しいミッドフィールドにおける本物の争い手へと変貌した。これは重要な意味を持つ。なぜなら、それはBMW撤退後の長年にわたる投資不足を経て、追い上げる立場にあったチームが、開発ツールに対する理解と微調整の深さを増してきた結果だからだ。

    2025年シーズンを迎えるにあたり、ザウバーの2024年マシンがシーズン終盤に見せた改善は、より低く、より硬いセットアップで走らせるというコンセプトへの転換を示しており、正しい方向に進んでいることを裏付けるものだと期待されていた。2024年にプルロッド構成へと変更されたフロントサスペンションや空力面にもさらなる洗練が加えられ、その進歩を定着させるための進化型となるはずだった。

    バーレーンで行われた前年のプレシーズンテストで走行したマシンは、開幕戦オーストラリアに向けて空力アップグレードが投入されることが前提だったものの、深刻な問題がすぐに明らかになった。これは、2024年序盤に相関問題が浮上したときとまったく同じ状況だった。

    「残念ながら、トラックに出た途端、マシンはシミュレーターやデータから予想していた挙動とはまったく違っていた」とキーはThe Raceに語っている。

    「『どうしてまた同じことをやってしまったんだ?』という感じだった」

    「今回は別の理由によるものだったが、プロセスの失敗だったのは確かで、我々があまりにも脆弱だったことを示していた。相関の問題が再び起きていた」

    「だが、チームの功績として評価すべきなのは、我々が本当に何をしたいのかを特定できたことだ。この話は、本が一冊書けるほどだ。会議の数も、頭を抱えたり、机を叩いたりした回数も膨大で、我々全員にとって途方もなくフラストレーションの溜まるものだった。しかし、とにかく団結した」

    「私が非常にポジティブだと感じたのは、優秀な若手空力エンジニアのグループがいたことだ。彼らに『26年マシンが大きな主軸になるが、君たちは25年マシンのためのスペシャルフォースだ』と言った。非常に才能ある若い空力エンジニアが約10人いて、その挑戦を与えた」

    「彼らは不安になったり、ストレスを感じたりするどころか、『表彰台を獲りたい。やってやろう』という挑戦として受け止めた。その姿勢とチームスピリットが、問題を解決へ導いた大きな要因だった。信念と粘り強さがチームにもたらすものを示す、素晴らしい実例だった」

    それには莫大な専門知識も必要だった。シーズン中盤、スペイン、オーストリア、イギリスの各グランプリで導入された3段階のフロアアップグレードは、大幅な改善をもたらした。これらはダウンフォースを増加させただけでなく、空力的なロバスト性を大きく高め、気流の失速や渦の破綻が起きにくくなり、その結果として一貫性が増し、ドライバーにとって扱いやすいマシンとなった。これによって、ザウバーは有能なミッドフィールド勢となり、ニコ・ヒュルケンベルグがシルバーストンで有名な表彰台を獲得するに至った。

    アウディ F1

    空力のロバスト性を取り戻すための戦い
    これは、細部の限界領域で作業を行う必要があったという点で、非常に印象的だった。アンダーフロア空力の複雑さと不安定さ、そして無数の高エネルギーで相互に影響し合う渦は、極めて大きな課題である。周囲の環境条件、路面の不完全さ、バンプ、その他数え切れない要因が、さらなる困難を生み出す。ザウバーが得たような成果を出すためには、そうした細部の奥深くまで踏み込む必要があった。

    「根本的には、流体物理学と、何が機能して何が機能しないかという話だ」と、2023年9月に技術責任者に就任したキーは語る。

    「私が着任した当初、我々が弱かったのは、私が『空力のロバスト性』と呼んでいる部分、つまり本当に機能するものを作り出す力だった。それを判断するための基準が圧倒的に足りなかった。風洞では相関が取れても、このテーマにはあまりにも多くの要素がある」

    「ツールの使い方、相関の取り方、その他多くの要素、そして前提としている仮定――そうしたものが少し弱く、一部は時代遅れだった。それが、おそらく最も大きな学びであり、その後の開発にも貢献している」

    「非常にポジティブだったのは、バルセロナに向けて正しい方向性を認識できた後、それが非常に迅速にフォローアップされたことだ。2レース後には次のステップがあり、その後さらにもう一段階があった。非常に速いペースで展開していった」

    その後、チームは2026年に最大限集中する必要性から開発を停止したが、マシンを安定したポイント獲得圏内に押し上げることには成功していた。もしザウバーがこれほどの進歩を遂げていなければ、アウディの将来性に対する疑念ははるかに大きなものになっていただろう。これは、このチームが確実に改善を遂げていることを示す、紛れもない証拠である。

    キーによれば、2025年マシンについても、レギュレーションが安定していれば投入できたはずのまったく新しいマシンについても、実現できなかったさらなる改良案が数多くあったという。それは、開発ツールと空力理解において、本物の進歩があったことを示している。ルールは完全に変わったが、基礎となる科学への理解は、2026年プロジェクトを支える土台となっている。

    それに加えて、スタッフ数の増加、昨夏に開設されたイギリスのテクニカルセンター、そしてスイス・ヒンウィルのファクトリー設備を改善するための投資を考えれば、ザウバーが長年にわたる投資不足から追いつきつつあることは明らかだ。

    こうした開発面での進歩と、トラックサイドでの実行力という点でのチームの鋭さの向上が組み合わさり、2023年や2024年と比べて、ザウバーは大きく前進している。

    「それは2つの良い例だ」と、アウディF1プロジェクトの責任者であるマッティア・ビノットはThe Raceに語っている。

    「チームにエネルギーがあり、良い結果を出し始めると、自信はどんどん高まっていく」

    「ジョナサン(ウィートリー、チーム代表)の下でトラックにいるレースチームは、多くの自信をもたらしてくれた。それは非常に重要だ。そしてファクトリーに戻ると、我々は非常に若いチームなので、若いエンジニアたちが好奇心を持ち、勇敢で、学ぶ意欲があり、目標に向かって前進しようとしている姿を見ることを誇りに思っている。素晴らしいことだ」

    この「スペシャルフォース」の成功は、示唆に富んだ一場面である。それ自体が再現可能なものではないが、特にビノット体制の下で、このチームが本物の前進の勢いを築き上げ、F1の頂点へ向かう急な上り坂を登る能力を少なくとも示したことの象徴だ。今後1年も厳しい戦いになるだろうが、昨年トラック内外で示された活力は、2030年の世界選手権争いという野心に向けて、このチームを良い位置に立たせている。

    今日においては非常に野心的な目標だが、わずか12か月前であれば、ばかげていると思われていただろう。そして、それこそが進歩の定義なのである。

  • ザウバーF1 30年の軌跡 歴史を彩った名場面と象徴的リバリー

    ザウバーF1 30年の軌跡 歴史を彩った名場面と象徴的リバリー

    アウディとして新たな章を開く準備を進めるザウバー。その前に、30年にわたるF1参戦の歴史の中で生まれた、節目となるリザルトや画期的な勝利、そしてファンに愛された印象的なリバリーの数々を振り返る。

    1993年にF1グリッドへ参戦して以来、ザウバーは複数の時代を通じて常に存在感を放ち続けてきた。表彰台獲得やジャイアントキリング、象徴的なドライバーラインアップ、そして個性的なペイントワークまで、ヒンウィルを拠点とするこのチームは、F1という舞台に確かな足跡を残してきた。

    創設者ペーター・ザウバーは、ザウバー時代最後のレースとなったアブダビGPのパドックに姿を見せ、ニコ・ヒュルケンベルグとガブリエル・ボルトレトが、キック・ザウバーの2台を最後にチェッカーまで運んだ。2026年からアウディへと生まれ変わる今こそ、ザウバーのF1での歩みを彩った、最も記憶に残る瞬間とルックスを祝う時だ。

    1993年 チャンピオンシップ初参戦
    ザウバーの名は、1993年3月のシーズン開幕戦南アフリカGPで、ザウバーC12とともにF1に鮮烈なデビューを果たした。他カテゴリーでの成功を経て参戦したスイスのチームは、トップレベルでも通用する存在であることを、すぐに示してみせた。

    トラック上では、JJ・レートが印象的なデビューパフォーマンスを披露し、キャラミで5位に入ると、続くイモラでは4位を獲得。この結果は、ザウバーを一気にライバルたちの中で認知させ、確立された強豪と渡り合えるチームの登場を告げるものだった。

    一方で、C12はその見た目でも強烈な存在感を放っていた。広告を最小限に抑えた大胆なブラックリバリーは、当時のグリッドの中でも際立っており、1990年代を代表する最も特徴的なデザインのひとつとして、瞬く間に語り草となった。

    ザウバー F1 1993年カール・ヴェンドリンガーとJJ・レートは、1993年のデビューシーズンで、ザウバーをコンストラクターズランキング7位へ導いた。

    1995年 初の表彰台
    F1参戦から3シーズンを待たずして、ザウバーは1995年イタリアGPで大きなブレイクスルーを果たす。ハインツ=ハラルド・フレンツェンが10番手スタートから3位まで順位を上げ、14台がリタイアする展開を巧みに生かして、自身とザウバーにとって初の表彰台を獲得した。

    このシーズンをさらに印象深いものにしたのが、レッドブルとのパートナーシップだ。後にF1参戦を果たす以前のレッドブルとの協力関係により、白と青を基調とした、ひと目でそれと分かるリバリーが誕生した。このカラーリングでの表彰台獲得は、レッドブルにとっても重要な節目であり、モータースポーツプロジェクト初期の象徴的成果のひとつとなった。

    ザウバー F1 1995年C14は、レッドブルがF1で主要スポンサーとして名を連ねた最初のザウバー車だった。

    2001年 最高位となるコンストラクターズ成績(当時)
    2001年シーズンを前に、ザウバーは当時21歳のルーキー、キミ・ライコネンと契約し、大きな話題を呼んだ。経験不足を指摘する声も多かったが、若きフィンランド人は冷静な走りを重ね、その批判をすぐに黙らせた。一方、チームメイトのニック・ハイドフェルドは安定感と確実なポイント獲得でチームを支えた。

    ザウバーC20は、限られた予算にもかかわらず、スピードと信頼性を兼ね備え、ジョーダン、BAR、ベネトンといったチームを抑えて、コンストラクターズランキング4位という快挙を成し遂げた。ハイライトはブラジルGPでのハイドフェルドで、雨の中、9番手から3位まで順位を上げ、自身初の表彰台を獲得した。

    リバリー面でも、ザウバーは自信を深めていた。1990年代半ばから続くレッドブルの濃いブルーに加え、1997年から導入された鮮やかなペトロナスのシアンがサイドに配され、グリッドの中で本当に目を引く外観を作り上げていた。

    ザウバー F1 2001年ドイツ人ドライバーのニック・ハイドフェルドは、F1参戦2年目にして、この年ザウバー唯一の表彰台を第3戦ブラジルGPで獲得した。

    2003年 劇的な表彰台カムバック
    比較的静かなシーズンとなった2003年だが、アメリカGP(インディアナポリス)では忘れがたいハイライトが生まれた。難しいコンディションの中、フレンツェンが完璧なタイミングでウエットタイヤに交換し、15番手から3位まで一気に順位を上げた。

    このカムバックは、ザウバー史上屈指のパフォーマンスのひとつであり、フレンツェンにとっては通算18回目、そして最後のF1表彰台となった。彼の前にいたのは、ミハエル・シューマッハとキミ・ライコネンだけだった。

    チームメイトのハイドフェルドも5位でフィニッシュし、シーズンベストリザルトを記録。このダブル入賞により、ザウバー・ペトロナスは、わずか1週末でコンストラクターズランキングを9位から5位へと押し上げるという、驚異的な成果を成し遂げた。

    ザウバー F1 2003年ザウバーは1997年から2005年にかけて、ブルーとシアンの組み合わせを継続して使用した。

    2007年 ザウバー史上最高のコンストラクターズ順位
    2006年、ザウバーはドイツの自動車メーカーBMWと提携し、BMWザウバーとしてグリッドに再登場した。ジャック・ヴィルヌーヴとフェリペ・マッサで臨んだ2005年の不振を受け、チームは立て直しを図り、ハイドフェルドと、シーズン第12戦以降にヴィルヌーヴの後任として起用されたロバート・クビサが、それぞれ表彰台を獲得するなど、堅実なシーズンを送った。しかし、本当の飛躍はその先に待っていた。

    2007年、フェラーリとマクラーレンは熾烈なタイトル争いを繰り広げていたが、ザウバーはその隙を突くように安定した戦いを続けた。ハイドフェルドがシーズンを通して獲得した表彰台は2回にとどまったものの、26回ものポイントフィニッシュを積み重ねたことが大きな強みとなった。さらに、スパイ行為問題によるマクラーレンのコンストラクターズランキング失格もあり、ザウバーは最終的にランキング2位という、チーム史上最高の成績を手にした。

    この年のアメリカGPでは、若きセバスチャン・ベッテルがザウバーからF1デビューを果たした。カナダGPでのクビサの大クラッシュを受けての起用だったが、F1マシンでの走行経験がほとんどない中で8位入賞を果たし、早くも才能の片鱗を見せた。ベッテルは第11戦以降、トロ・ロッソへ移籍し、その後のキャリアは周知の通りである。

    ザウバー F1 2007年BMWは洗練されたホワイトリバリーとともに、ザウバーに「ベスト・オブ・ザ・レスト」と呼ばれるだけの競争力をもたらした。

    2008年 ロバート・クビサ、カナダで初優勝
    ザウバーの歴史の中でも、最も感情を揺さぶる瞬間のひとつが、2008年カナダGPで訪れた。ロバート・クビサがF1初、そして結果的に唯一となる勝利を挙げ、BMWザウバーにとってもコンストラクターとしての初勝利となった。

    この勝利が特別だった理由は、前年に同じジル・ヴィルヌーヴ・サーキットで、クビサが大事故に見舞われていたことにある。マシンは原形をとどめないほど大破したが、彼は幸運にも足首の捻挫だけで済んだ。そして翌年、恐怖や迷いを一切感じさせることなく、F1.08で同地に戻ってきた。

    後にクビサはこのように振り返っている。

    「クラッシュのことは頭になかった。何も考えていなかった。ただやるべき仕事があっただけだ」

    土曜日にはフロントローを獲得し、日曜日の決勝では完璧なレース運びを披露。戦略やパフォーマンスで他車が苦しむ中、クビサは一切のミスを犯さず、堂々の優勝を果たした。チームメイトのハイドフェルドも2位で続き、ザウバーにとって信じがたい1-2フィニッシュが完成した。

    この勝利と1-2は、BMWザウバーをまったく新しい領域へと押し上げた。この日、チェッカーを最初に受けたことで、クビサはドライバーズランキング首位に立ち、チームとして初めてその位置を経験することになった。最終的にクビサはランキング3位でシーズンを終えたが、カナダでの勝利は今もチームにとって特別な記憶として残っている。

    ザウバー F1 2008年ロバート・クビサは、F1で1勝にとどまる才能ではなかったが、その回復力と精神力により、モータースポーツ界の象徴的存在となった。

    2012年 4度の表彰台
    2008年の成功の後、ザウバーは再び厳しい時期を迎えた。新レギュレーションへの対応に苦しみ、2009年にはマレーシアとブラジルで表彰台を獲得したものの、コンストラクターズランキングは6位に後退。その後、BMWはF1撤退を決断し、チームは再びペーター・ザウバーの手に戻った。続く2シーズンも低迷が続いたが、2012年に転機が訪れる。

    セルジオ・ペレスは、マレーシアGPでの2位フィニッシュによって大きな注目を集め、その後カナダでも再び表彰台を獲得した。ザウバーC31は全体的に競争力を備えており、結果の安定性には欠けたものの、ペレスと小林可夢偉は、イタリアGPと日本GPでも表彰台に上がった。特に日本GPでの小林の3位は、母国での快挙として大きな歓声に包まれた。

    この年、ザウバーは合計4回の表彰台を獲得し、メルセデスを上回る成績を残した。これは間違いなく、チーム史上最も成功したシーズンのひとつである。

    ザウバー F1 2012年セルジオ・ペレスは多くのメキシコ企業スポンサーをチームにもたらし、ザウバーはスペインGP後にチェルシーFCとも提携した。

    2015年 改善と大胆な新リバリー
    2014年に無得点でシーズンを終えたザウバーは、2015年に大きな改善を果たした。改良型C34を投入し、コンストラクターズランキング8位へ浮上。ルーキーのフェリペ・ナッセは、開幕戦オーストラリアGPで5位入賞という鮮烈なデビューを飾り、マーカス・エリクソンも8位で続いて、ダブルポイントを獲得した。

    全19戦中9戦でポイントを獲得するという安定した成績は、前年からの劇的な進歩を示しており、チーム内部に将来への自信を取り戻させた。

    しかし、このシーズンで最も話題を集めたのは、その大胆なブルーとイエローの新リバリーだった。ナッセのブラジル系スポンサー「ブランコ・ド・ブラジル」と、チェルシーFCからの追加支援によって生まれたこのカラーリングは、復調するザウバーに新たなアイデンティティを与えた。

    ザウバー F1 2015年フェリペ・ナッセはアイルトン・セナに敬意を表して12番を使用し、リバリーにも南米らしい雰囲気をもたらした。

    2018年 ルーキーのルクレール台頭と「ザウバー」への別れ
    フレデリック・バスールがチーム代表に就任した2018年、ザウバーは再び急速な復調を遂げた。フェラーリ製パワーユニットを搭載したC37は、時に競争力を発揮し、ルーキーのシャルル・ルクレールがシーズンの主役となった。

    ルクレールは、チームが獲得した48ポイントのうち39ポイントを一人で稼ぎ出し、シーズン最高位6位を記録。強烈な印象を残した。この年は、当時としてはザウバー名義での最後のシーズンでもあり、次なるリブランドを前にした力強い別れとなった。

    C37のリバリーは、白を基調に赤と黒を配したクラシックなデザインで、グリッド上でも特に愛されたもののひとつだった。ザウバーとしての最終章にふさわしい装いだったと言える。

    ザウバー F1 2018年C37のリバリーは、ザウバーの歴史の中でも特に高い人気を誇った。

    2022年 アルファロメオとしての再生
    リブランド後、アルファロメオとして迎えた2022年は、チームにとって実りあるシーズンとなった。バルテリ・ボッタスが中心となり、56ポイント中49ポイントを獲得。開幕9戦中7戦でポイントフィニッシュを記録した。ルーキーの周冠宇も安定した走りで貢献し、チームはコンストラクターズランキング6位、10年ぶりとなる好成績を収めた。

    シーズン終盤には、2026年からアウディのワークスチームとなることが正式に発表され、新たな時代への期待が一気に高まった。

    ザウバー F1 2022年アルファロメオ時代のリバリーは、歴代でも屈指のファンフェイバリットとして語られている。

    2024/25年 最終章
    ザウバー最後のリバリーは、ネオングリーンとブラックを大胆に組み合わせたデザインで、グリッド上で強烈な存在感を放った。市街地レースの照明の下でも、デイレースでも際立ち、瞬時に記憶に残るルックスとなった。

    2024年は厳しいシーズンとなり、C44はスピード不足に苦しみ、序盤はピットストップのトラブルにも悩まされた。しかし、シーズン終盤には競争力を取り戻し、カタールGPで周冠宇が8位に入り、チーム唯一のポイントを獲得した。

    2025年には、ニコ・ヒュルケンベルグとルーキーのガブリエル・ボルトレトが、チームをコンストラクターズランキング9位、70ポイントへと押し上げた。これは前年の4ポイントからの大躍進だった。ヒュルケンベルグは、2025年イギリスGPでF1参戦15年目にして初の表彰台を獲得し、ザウバーにとって、そしてチーム時代最後にふさわしい、忘れがたいフィナーレをもたらした。

    ザウバー F1 2025年ニコ・ヒュルケンベルグの2025年の表彰台は、彼自身初であり、ザウバーにとって最後の表彰台となった。
  • ザウバーF1最後の記憶 創設者ペーター・ザウバーが語る33年

    ザウバーF1最後の記憶 創設者ペーター・ザウバーが語る33年

    ペーター・ザウバーは今月初め、長年F1に名を連ねてきたザウバーの最後のレースを見届けた。

    33シーズンにわたってF1に名を刻んできたザウバーの名は、2026年F1シーズンを前に姿を消し、チームはアウディの時代へと移行する。その節目にあたり、創設者であるペーター・ザウバーが、自身のモータースポーツ人生を振り返った。

    ペーター・ザウバーは1970年、モータースポーツ活動を開始した。最初に製作したマシンは「C1」と名付けられ、その「C」は妻クリスティアーネの名前に由来する。1リッターのフォード・コスワース製エンジンを搭載し、スイス・ヒルクライム選手権に参戦したのがすべての始まりだった。

    それから23年後の1993年、ザウバーは「C12」でF1に参戦する。ドライバーはカール・ヴェンドリンガーとJJ・レートの2人で、全16戦中6戦でポイントを獲得した。

    しかし、ザウバーにとって特別な年として強く印象に残っているのは、2001年、2008年、そして2012年の3シーズンだという。2012年は、スイスのファクトリーから20年以上率いてきたチーム運営の第一線から、決定的に身を引いた年でもあった。

    「勝利は重要だ」2008年モントリオールの1-2フィニッシュ
    「ひとつは、BMWと一緒に成し遂げたモントリオールでの1-2フィニッシュだ。いや、BMWが我々と一緒に、というべきかもしれない。なぜなら、レースに勝つことは重要だからだ」

    そう語ったペーター・ザウバーが指しているのは、2008年F1カナダGPでのロバート・クビサとニック・ハイドフェルドによるワン・ツー・フィニッシュだった。

    「最も重要だったのは2001年」ルーキー2人での躍進
    しかし、彼自身が「最も重要だった」と振り返るのは、2001年のシーズンだ。

    「私にとって最も重要だったのは、2001年にコンストラクターズランキング4位を獲得したことだ。ニックとキミという、ほぼ2人のルーキーと一緒に、だ」

    その前年、プロストとの厳しいシーズンを経たあとでの結果だった。

    「この2人で4位を獲得できたのは、本当に素晴らしかった」

    この4位は、ザウバーがF1に参戦してから最初の14年間で最高位の成績であり、期待を大きく上回るものだった。

    「もちろん驚きはあった。でも、キミはその年、本当に素晴らしいドライバーだった。ニックはより完成されたドライバーだったが、この組み合わせがとても良かった。そして、もちろんマシンも悪くなかった。良いマシンが必要なんだ」

    2012年 引退の年に残した4度の表彰台
    さらにザウバーは、自身が一線を退いた2012年についても振り返る。

    「そして、私自身の終わりの年だ。2012年には4回の表彰台があり、2回は2位だった。その中にはモンツァでフェラーリを破ったレースも含まれている」

    当時のザウバーはフェラーリ製パワーユニットを搭載しており、その母体を本拠地で打ち破った結果は、強い印象を残した。

    ザウバーF1チーム

    アブダビで迎えた最後のレース
    82歳のペーター・ザウバーは、今月初めにアブダビを訪れ、自身の組織としての最後のレースを見届けた。過去2年間、チームはステークとパートナーシップを組んでいた。

    「特別な瞬間だった」と語りつつも、「それほど感情的ではなかった」とも明かす。

    「1年以上前から、この時が来ることは分かっていたからね」

    それでも、振り返れば「ひとつではない」数多くの思い出があったという。これらの言葉は、RacingNews365の独占インタビューの中で語られたものだ。

    「最も楽しかったドライバーは?」その答えは
    最後に、これまで一緒に仕事をしてきた中で、最も楽しかったドライバーを問われたペーター・ザウバーは、ひとりに絞ることを避けた。

    「ひとりを選ぶことはできない。誰もが特別だった。特別に良い、という意味ではないかもしれないが、特別だったんだ」

    こうしてザウバーの名はF1のグリッドから姿を消し、来季からはアウディが新たな時代を切り開くことになる。だが、その礎を築いたペーター・ザウバーの足跡は、F1の歴史の中に確かに刻まれている。

  • ガブリエル・ボルトレト、2026年アウディF1元年に「プレッシャーは感じない」

    ガブリエル・ボルトレト、2026年アウディF1元年に「プレッシャーは感じない」

    ガブリエル・ボルトレトは、F1デビューシーズンを「学びの多い一年だった」と振り返りつつ、2026年に控えるアウディF1としての新体制についても冷静な見方を示した。

    2025年シーズンは最終的にランキング19位に終わったが、同僚のニコ・ヒュルケンベルグとの比較では、結果以上に中身の濃いシーズンだったことが数字からも浮かび上がる。

    予選ではグランプリ予選が12対12、スプリント予選も3対3と完全なイーブン。決勝でもヒュルケンベルグが12回、ボルトレトが11回と僅差で、バーレーンGPでのヒュルケンベルグ失格を除けば、ほぼ互角の戦いを演じた。

    ボルトレト自身がシーズンのハイライトに挙げたのはハンガリーGPだった。

    「Q3で素晴らしい予選ができて、1周目にすぐ良いオーバーテイクも決められた。その後はタイヤマネジメントもうまくいって、P6でフィニッシュできた。純粋な速さがあって、本当に楽しいレースだった」

    このほかにも、初ポイントを獲得したオーストリア、モンツァ、スパを印象深いレースとして挙げている。

    ルーキーとして挑んだF1の世界では、ドライビングだけでなく、マシン理解という面でも大きな成長があったという。

    「今年受け取った情報量、エンジニアから学んだこと、データを勉強して一緒に作業したこと、そのすべてが素晴らしかった。正直、昨年のポストシーズンテストの時点では、自分がマシンに何を求めているのか全く分かっていなかった」

    「最近エンジニアに『去年のテストでのフィーリングを覚えている?』と聞かれたけど、『今それを聞かないでくれ』って答えた。あの頃は理解がなさすぎて、間違ったフィードバックをしたくなかったからだ。今思えば、それも大事な成長だったと思う」

    ガブリエル・ボルトレト アウディ F1

    2026年は新レギュレーション元年であり、ザウバーはアウディのワークスチームとして新たなスタートを切る。ボルトレトにとってはF1での2年目となり、もはやルーキーではない立場だ。だが、本人は「プレッシャー」という言葉には慎重だ。

    「“プレッシャー”とは言わないかな。ルーキーシーズンだから許されることは確かにあるけど、それでも来年も学ぶことは本当に多い。まだF1で2年目だし、15年や20年走っている人たちがいる世界だからね」

    一方で、アウディというブランドが加わることによる責任の重さは強く意識している。

    「アウディが来ることで、責任が増えるのは間違いない。これは新しいプロジェクトで、新世代のマシンの始まりだ。いつか世界タイトルを争えるようなクルマとパワーユニットを作るために、良い意味でのプレッシャーは確実に感じることになると思う」

    F1での基礎固めを終え、次なるステージへ向かうボルトレト。2026年のアウディF1元年は、彼にとって単なる「2年目」以上の意味を持つシーズンとなりそうだ。

  • 「想像以上に若かった」ウィートリー語るザウバーF1の現実とアウディの野心

    「想像以上に若かった」ウィートリー語るザウバーF1の現実とアウディの野心

    ジョナサン・ウィートリーは長年、レッドブル・レーシングでスポーティングディレクターを務めてきたが、その職を離れ、ザウバーF1チームに加わった。現在はチーム代表として職務にあたり、このチームは2026年からアウディF1チームへと姿を変える予定だ。

    スポーティングディレクター出身者がチーム代表として成功を収める例は多い。ウィートリーも、アンドレア・ステラ(マクラーレンF1チーム)、そしてレッドブルの新代表であるローラン・メキースと並び、その系譜に連なる存在だ。

    「私は心の底から、チームの力を信じてきた。我々が向かうべき方向性のもとに人々を結集させ、各自が自分の役割を完全に理解し、何ができて何ができないのか、いつ責任を果たすべきなのか、そしてチーム内のコミュニケーションがどのように機能するのかを明確にする。その力を信じている」とウィートリーは語る。

    若手発掘と育成、その経験をザウバーへ
    フィナンシャル・タイムズのインタビューで、ウィートリーは自身がチームにもたらした最優先事項を明かしている。

    「私が持ち込んだのは、若い才能を見極め、育成し、組織の中で成長させていくことに関する膨大な経験だ。」

    Revolutとの大型契約が象徴する変化
    スポンサー獲得を巡る競争は、コース上の戦いと同じくらい激しい。最近の例が、英国のデジタル銀行であるRevolutだ。複数チームが交渉を進めたが、最終的に2026年からの契約を勝ち取ったのはアウディだった。

    この契約は年間およそ6,000万ドル規模とされ、F1としては異例のスピードでまとまった。最初の話し合いは今年3月、最終署名はその2か月後だったという。

    「我々は既存の秩序を揺さぶりたい。どうやって? 互いから何を学べるのか? Revolutは我々を限界以上に押し上げ、我々もRevolutを押し上げる。同じ道を歩んでいる。」

    若く、未経験だが情熱に満ちたチーム
    ウィートリー加入以降、ザウバーはパフォーマンスを向上させ、13年ぶりの表彰台も獲得した。ただし彼は、勝利を信じる意識をチーム全体に根付かせる必要性も理解している。

    「ザウバーに来て驚いたのは、チームがこれほど若いことだった。経験不足は多いが、同時に情熱も非常に大きい。長年サバイバルモードで戦ってきたチームで、グリッドに2台並べるだけでも、ときに並外れた偉業だった。」

    アウディ ザウバーF1チーム

    アウディの野心と“勝てる”という確信
    「我々の野心はそれをはるかに超えている。アウディの目標は、10年末までにレースに勝ち、選手権を争うことだ。謙虚さは忘れないが、マッティアと私は、どうすれば最強の相手を倒し、世界選手権を勝ち取れるのかを正確に理解している。」

    ヒュルケンベルグの表彰台が示した“可能性”
    7月のイギリスGPで、ニコ・ヒュルケンベルグが獲得した表彰台は、アウディに待ち受ける課題の大きさと同時に、成功がもたらす喜びと一体感を浮き彫りにした。

    「チェッカー後、ピットウォールに座りながら『今日は本当に良いレースだった。10の判断をして、10すべてが正しかった。堅実な結果だ』と考えていた。振り返ると、背後で感情が爆発しているのを見て、その意味の大きさに気づいた。」

    「こうした瞬間は今でも鳥肌が立つ。あの喜びと感情の爆発が、私をさらにチームに近づけてくれた。彼らは今、自分たちにもできるのだと分かっている。」

  • ヒュルケンベルグ F1ルーキーのボルトレトから「多くの点で学ぶことがあった」

    ヒュルケンベルグ F1ルーキーのボルトレトから「多くの点で学ぶことがあった」

    ニコ・ヒュルケンベルグ(ザウバー)は、2025年F1シーズンを通じて、ルーキーのチームメイトであるガブリエル・ボルトレトから「多くの点で学ぶことがあった」と認めた。

    2010年にF1デビューを果たし、今回が12回目のフル参戦シーズンとなった38歳のヒュルケンベルグは、経験値という点では大きく上回っている。それでも彼は、若きブラジル人ドライバーが見せたパフォーマンスを「印象的だった」と率直に評価している。

    シーズン全体の獲得ポイントでは、ヒュルケンベルグが51ポイント、ボルトレトが19ポイントと差はあるが、その約半分はイギリスGPでの自身初表彰台によるものだ。一方で予選に目を向けると、両者の差は非常に小さく、決勝用グリッドを決める予選では12対12の完全なタイとなっている。

    さらに詳しく見ると、シーズン後半にヒュルケンベルグが1周のパフォーマンスを向上させ、ボルトレトがやや調子を落とすまでの間は、ドイツ人ドライバーが6勝11敗と後れを取っていた。最終的にはその差が埋まり、互角の成績に落ち着いた形だ。

    F1では、初年度からチームメイト同士で多くを学び合うのが常とされているが、ヒュルケンベルグはこのシーズン、その関係が一方通行ではなかったことを強調する。

    「もちろんだ。ルーキーだからといって、パフォーマンスを発揮できないとか、クルマの走らせ方を知らないということはない。我々は誰しも、どこかでルーキーだったし、F1では必ずスタート地点がある」

    そう語ったうえで、ボルトレトの強みについても具体的に言及した。なお、このチームは来季からアウディとしてF1に参戦する予定だ。

    「確かに、ガビはドライビング面が本当に印象的だった。ドライビングインプットやドライビングテクニックの部分でもね。ああいう点は、彼が本当に強いところだ」

    「正直に言って、今年は彼から学んだ場面が本当にたくさんあった。お互いにデータを見ながら、いい意味で刺激し合っている。だから、そうだね。本当にその通りだ」

    ベテランとルーキーという立場の違いを超え、互いに影響を与え合った一年だったことが、ヒュルケンベルグの言葉からははっきりと伝わってくる。

  • ニコ・ヒュルケンベルグ 幻に終わった移籍がF1キャリアを変えていた可能性

    ニコ・ヒュルケンベルグ 幻に終わった移籍がF1キャリアを変えていた可能性

    ニコ・ヒュルケンベルグのF1キャリアは、長年表に出ることのなかった2つの重要なチャンスが実現していれば、まったく異なるものになっていた可能性がある。ここ数か月で明らかになった証言は、このドイツ人ドライバーが、はるかに輝かしい運命にどれほど近づいていたかを浮き彫りにしている。

    今年初め、ヘルムート・マルコは、ヒュルケンベルグが2021年にレッドブルでマックス・フェルスタッペンのチームメイトになる寸前だったことを明かした。

    新型コロナウイルス流行期に、直前代役として印象的な走りを見せたことで、アレクサンダー・アルボンの後任候補の最終リストに名を連ねていたという。しかし、2020年サヒールGPでセルジオ・ペレスが優勝したことで、レッドブルの決断は固まった。

    もしその選択が実現していたらキャリアはどう変わっていたかと問われても、現在ザウバーに所属するヒュルケンベルグは、憶測をきっぱりと否定する。

    「正直、あまり考えない。僕は夢想家タイプじゃないからね」

    「違う展開にはなっていたと思うけど、実現しなかった。それだけの話だ。かなり近いチャンスはいくつかあったけど、最終的には関係ない。今の自分がいて、起きたことは起きたことだ」

    その契約がどれほど現実的だったのかと重ねて問われると、彼は相変わらず現実的な答えを返した。

    「明らかに、十分近かったとは言えないね」

    現在38歳となったベテランのヒュルケンベルグは、それでもキャリアの中でも屈指の充実したシーズンを送っている。シルバーストンでは、雨と混乱に見舞われたレースの中で、200戦以上を経てついにF1初表彰台を獲得。その瞬間はパドック全体から祝福を受けた。

    もう一つの幻 メルセデス2013年
    しかし、語られるべき逸話はそれだけではない。F1界の象徴的存在であり、かつてメルセデスのチーム代表を務めたロス・ブラウンは、ヒュルケンベルグが2013年のメルセデスのシート候補にも挙がっていたことを明かした。当時、メルセデスは2度目の引退を決めたミハエル・シューマッハの後任を探していた。

    結果は周知の通り、メルセデスはルイス・ハミルトンを獲得し、2014年から2021年にかけてコンストラクターズ8連覇、ドライバーズ7冠という前例のない王朝を築いた。しかし、歴史は違う形を取る可能性もあった。

    「メルセデスにいた当時、我々はニコを起用する寸前だった。ルイスが2013年にどうするか、まだ分からなかったからだ」とブラウンはF1公式サイトに語っている。

    「契約交渉がなかなかまとまらず、ニコは待機していた。彼はその間、とても成熟した態度で接してくれた。私は状況をできるだけ率直に説明していた。可能性はあるが、すべてはルイスの決断次第だとね。ルイスがサインした時点で、ニコには続けられないことを説明する必要があった」

    この英国人エンジニアは、ヒュルケンベルグと働くことを心から楽しみにしていたとも認めている。

    「本当に楽しみにしていた。彼は素晴らしいドライバーだと思う。とても成熟していて、バランスが取れている。良いキャリアを築いてきた。これほど長い間、素晴らしいパフォーマンスを見せてきたにもかかわらず、シルバーストンが初表彰台だったというのは想像しづらい」

    そして、称賛を込めてこう締めくくった。

    「本当に見ていて気持ちのいい瞬間だったし、個人的にも彼のことをよく知っているから、特にうれしかった。シーズンにとっても良い結果だった」

    最終的に、ニコ・ヒュルケンベルグのキャリアは、メルセデスやレッドブルという“黄金の道”を進むことはなかった。それでも、パドックの多くは口をそろえて評価する。彼のキャリアは決して劣るものではないと。

    トップチームに乗ることはなかったが、ヒュルケンベルグは別の形で自身の物語を築いた。長いキャリア、粘り強さ、そして完全には実を結ばなかったチャンスすら逃さず、ついに輝きを放ったその姿は、アウディF1での未来へとつながっていく。