カテゴリー: ロータス

  • チーム・ロータス、象徴的なF1チームが終焉を迎えた日

    チーム・ロータス、象徴的なF1チームが終焉を迎えた日

    ロータスは、かつてF1世界選手権の象徴的なF1チームだったが、1995年1月17日に従業員に解雇を告げ、チームは消滅した。

    1960年代から1970年代にかけて、チーム・ロータスは現在のF1で言うとメルセデスまたはレッドブル・レーシングでだった。チームには最高のドライバーがいて、最高の車に乗り、史上最高のデザイナーがチームをグランプリの勝利や時計仕掛けのような世界選手権の成功に導いてきた。

    1963年のジム・クラークによる最初のタイトルと1978年のマリオ・アンドレッティによる最後の成功の間に、チーム・ロータスはドライバーズタイトルを6回獲得し、コンストラクターズタイトルも7回獲得。ジョン・プレイヤー・スペシャルの黒と金、キャメルのイエローなどのマシンカラーリングは今でも人気だ。

    また、ホンダのF1エンジンを搭載し、中嶋悟を起用したことで日本にも馴染みが深い。低迷期にも田宮模型、コマツ、塩野義製薬など複数の日本企業がスポンサーを務めたことがあった。

    その最後の成功から45年経った今でも、チャンピオンシップでロータスを上回っているのは、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、メルセデスだけだ。

    しかし、1982年のコーリン・チャップマンの死後、ロータスに終焉の始まりが訪れた。

    1980年代半ばから後半にかけて、アイルトン・セナやネルソン・ピケらがグランプリでさらに勝利を収めたが、コーリン・チャップマンが亡くなった後、チームはチャンピオンシップの成功に近づくことはできませんでした。

    F1がハイテクで商業化された1990年代に入ると、ロータスはグランプリレースの輝かしい過去の遺物として置き去りにされ、1994年に向かってよろめいた。

    しかし、深刻な財政難により、チームは1月17日に1995年にレースを行わないことを発表し、F1史上最高のチームの1つの物語に終止符を打った。

    2010年になると、ロータスの名前がF1に戻ってきたが、これはマレーシアの運営によるものであり、元のタイトル獲得チームとはほとんど共通点がなかった。彼らはポイントを獲得できず、ケータハムとして再バッジされ、2014年末にF1を去った。

    しかし、2011年には、「ロータス」の名前で2つのチームが運営されているという奇妙な状況があった。

    マレーシアの取り組みに加えて、ロータスのロードカー部門がルノーF1チームのタイトルスポンサーになることを選択したため、「ロータス・ルノーGP」を名乗った。

    この特定のロータスのバッジを付けられたチーム(後にルノー、そして、現在のアルピーヌF1チーム)は、2012年と2013年にキミ・ライコネンが黒と金のチームで2勝を挙げ、より多くの成功を収めた。

  • パストール・マルドナド 「ロータスF1は間違った移籍先だった」

    パストール・マルドナド 「ロータスF1は間違った移籍先だった」

    パストール・マルドナドは、2014年と2015年にロータスF1に所属していたときに、チームがいかに酷い状況であったについて語った。

    ウィリアムズF1で最初の3シーズンを過ごした後、パストール・マルドナドは、2014年にキミ・ライコネンの後任としてロータスF1に移籍した。ロータスF1は過去2年間で定期的に表彰台を獲得し、レースに勝ったこともあったため、素晴らしい移籍のように思えた。

    パストール・マルドナドは、その理由により、チームについていたスポンサーにとって、もうひとつの選択肢だったフォース・インディアではなく、ロータスF1を選んだと語る。

    「当時、フォース・インディアとロータスの2つの選択肢があった」とパストール・マルドナドは語った。

    「それは非常に論理的な選択だった。僕の国のビッグネームやブランドがチームを後援していた。ユニリーバ、コカコーラ、マイクロソフトなど、たくさんの優良で興味深いスポンサーがいた」

    しかし、深刻な財政難によりチームは負のスパイラルに陥り、最終的には計画通りに進まなかった。

    その時代を振り返り、パストール・マルドナドは、主要なスタッフを維持したり、シミュレーターにすべてのサーキットデータを組み込む余裕がなかったと語る。

    「11月の終わりから1月の初めの間に、完全に異なるチームになった」とパストール・マルドナドは続けた。。

    「エリック・ブーリエはチームを去り、全員が去っていた。人が少なく、ストレスが多く、どうしたらいいのかわからなかった」

    「シミュレーターを再びアクティブ化するための資金がなかったため、シミュレーターは停止していた。また、シミュレーターも、ロードする必要のある各トラックのコストが2万ユーロだったため、2~3個の回路しか使用できなかった」

    さらに悪いことに、ロータスF1は、ルノーのF1エンジンに多くの信頼性の問題を抱えていた。これは、同じパワーユニットでレッドブルがレースに勝っていたという事実によってさらにイライラさせた。

    「構造的、機械的、またはパワーユニットの問題で壊れたため、シーズンの途中でフィニッシュラインに到達できなかった」とパストール・マルドナドは語った。

    「それらはレースに勝ち、メルセデスとレースをすることができたが、僕たちはマシンを動かすことさえできなかった。遅いうわけではなく、エンジンが始動しなかった」

    「それはチームに大きな負担をかけたし、当時そこにいるのは気分がいいものではなかった」

    2年間で29ポイントを獲得したパストール・マルドナドは、チームが再びルノーになった2015年の終わりに契約を切られた。

    「チームがルノーになったとき、とどまることができないことは分かっていた」とパストール・マルドナドは結論付けた。

    「でも、僕はそれを理解していなかった。ある日、彼らはイエスと言い、次の日はノーと言った。ずっと災害でだった」

  • キミ・ライコネンの活躍がロータスF1を破産寸前に追い込んだ?

    キミ・ライコネンの活躍がロータスF1を破産寸前に追い込んだ?

    キミ・ライコネンのロータスF1時代の活躍はチームを破産寸前に追い込んだとフィンランド人ジャーナリストのヘイキ・コルタがF1公式サイトで語った。

    2009年にフェラーリを去ったキミ・ライコネンは、F1を離れ、WRCやNASCARに参戦していたが、2021年にロータスF1でカムバックを果たした。ライコネンの能力は高く評価されていたが、この冒険が大きな成功につながるとは誰も考えていなかった。

    ロータスF1への加入にはキミ・ライコネン自身も疑問を抱いていた。2010年末でルノーはF1から撤退し、もはやファクトリーチームではなくなっていた。

    しかし、2012年にキミ・ライコネンは最終的に1勝と7回の表彰台を獲得してチャンピオンシップを3位で終えた。2013年にもキミ・ライコネンはオーストラリアGPで勝利を挙げてシーズンをスタートするなど、2年間で2勝と13回の表彰台を獲得して390ポイントを獲得した。

    だが、舞台裏ではキミ・ライコネンのパフォーマンスはロータスF1にまったく良い結果をもたらさなかった。パフォーマンス条項で定められたボーナスによってチームは破産寸前に追い込まれた。

    ヘイキ・クルタは「2011年のドイツGPでライコネンのF1復帰計画を初めて耳にした」とF1公式サイトの The Real Kimi Raikkonen – a Finnish perspective of the Iceman に寄稿した。

    「当時、ウィリアムズと交渉が行われていたが、その秋の終わりに、彼はロータスと契約を結んだことが明らかになり、私は契約のニュースをすぐに報告しました。

    「彼がその間にいかに早く適応できたかを見るのは驚くべきことだった。2012年の第4戦バーレーンGPで彼はすでにロータスF1で2位でフィニッシュしていた。そして、11月4日のアブダビの夕明かりでの勝利のことはずっと忘れないだろう。特にクリスマスプレゼントとしてもらった“Leave Me Alone”パーカーを着ているときはね」

    「ライコネンはロータスでの2年間で390ポイントを獲得した。チームボスのジェラール・ロペスがそうなるとは考えていなかったのは確かだ。なぜなら、彼はキミと1ポイントごとに50,000ユーロのボーナスを支払う契約を結んでおり、ほぼ破産に至った。そのボーナスだけでライコネンは1950万ユーロを稼いだ」

    だが、2013年シーズン中、キミ・ライコネンには何の支払いもなく、シーズン終了時にチームを離れ、2014年にフェラーリと契約を結んでいる。一方、ロータスF1は2014年に財政難に陥り、2015年末でルノーが再びチームを買い戻している。

    キミ・ライコネンの鈍い個性は、皮肉にも彼をF1の最も愛すべきキャラクターの1人にしている。ヘイキ・クルタは過去20年間に数え切れないほどのインタビューしたことでラインコネンをよく知っている。

    ヘイキ・クルタは、マクラーレンのチームの元オフィシャル雑誌である Racing Line のtためのキミ・ライコネンとのインタビューを振り返る。

    「ライコネンは、F1に参加した中で最も正直なドライバーであると言っても過言ではない」とヘイキ・クルタは語った。

    「彼は政治をせず、時々鈍すぎると思われる方法で質問に答える。そして、彼に馬鹿げていると思うことについて質問すれば、すぐにそれについて知ることができる」

    「そのような率直さは、マクラーレンの広報担当から2004年に新車MP4-19をテストした初日にインタビューを依頼されたときに一回で明らかになりました。記事はチームの以前の公式雑誌であるレーシングラインに関するものだった」

    「マシンは2003年11月にコースを走っていたが、ライコネンは1月まで運転していなかった。彼が初めて運転したのは3か月の冬季休暇から戻ったときだった。それで、私は『新車の第一印象はどうでしたか?』と尋ねた。『完全にクソだね』とキミ・ライコネンはフィンランド語でぼやけた」

    「もちろん、私はこのメッセージを雑誌で伝えることはできなかったので、英語でマシンはキミが望んでいたとおりではなかったと書いた…それでも、それは事実だったがね」

    「MP4-19はシーズンの最初の7戦のうち6戦でリタイアし、改良されたMP4-19Bが到着したとき、彼は8ポイントしか獲得していなかった」

  • F1マシン列伝:ロータス E22 “奇想天外な2本牙ノーズが残した傷跡”

    F1マシン列伝:ロータス E22 “奇想天外な2本牙ノーズが残した傷跡”

    ロータスF1チームの2014年F1マシン『ロータス E22』は“2本牙ノーズ”を採用。だが、決して競争力を発揮することなく、その奇想天外なノーズ形状だけがF1史に残されることになった。

    2014年のF1レギュレーションでは、安全面の理由から断面積が小さく、高さも約300mm低い位置に取り付けられる“ひとつのノーズ先端”が義務付けられた。

    ロータス E22は、“ひとつのノーズ先端”という規約に従うため、長さが異なる二本の牙が供えられた。つまり、長い方のノーズが義務づけられた先端であり、もう一方の牙はノーズ先端とは見なされないよう短くした。両方の牙は衝突吸収構造、フロントウィングのステー、さらにターニング・ベーンとして機能する。

    通常であれば、規約の抜け穴をついたソリューションには他チームが抗議するものだが、2014年は多くのコンセプトが見られ、FIAが合法と判断したことについて大きな批判は起きなかった。フェラーリのテクニカルディレクターを務めていたジェームズ・アリソンは「クルマの先端分のデザインはそれほど重要ではない」と語った。

    しかし、その奇妙なルックスから想像できるようにロータス E22は競争力を見せなかった。そもそも、財政難によってプレシーズンテスト1回目に参加できないなど開発が遅れていたことに加え、ルノーのF1パワーユニットは競争力と信頼性に欠けていた。さらに合法的なアクティブサスペンションであるFRIC(フロント・アンド・リア・インタラクティブ・コントロール)を禁じられたことも痛かった。

    結局、ロマン・グロージャンとパストール・マルドナドのコンビは3回の入賞で10ポイントしか獲得できず、コンストラクターズ選手権を8位で終えた。F1は2015年から寸法などを細かく規定した新たなノーズ規約を導入し、2本牙ノーズは1年で姿を消した。

    ロータスF1チームは、2010年でワークス参戦をやめたルノーF1チームがグループ・ロータスに株式を売却して誕生。2011年にロータス・ルノーGPの名前で参戦した後、チーム・ロータスとの名称使用をめぐる訴訟に勝ち、2012年からロータスF1チームとして参戦。だが、2015年末に再びルノーに再買収され、ロータスの名前は再びF1から消えることになった。その6年間のなかでロータスF1チームはキミ・ライコネンが2勝を挙げた。

    ロータス E22 2本牙ノーズロータス E22 二本牙ノーズロータス E22 (2014年のF1世界選手権)ロータス E22 (2014年のF1世界選手権)ロータス E22 (2014年のF1世界選手権)ロータス E22 (2014年のF1世界選手権)

  • JPSチーム・ロータスのF1マシンが勢揃い

    JPSチーム・ロータスのF1マシンが勢揃い

    クラシックチームロータスは、新たな著書『Black & Gold, The Story of the John Player Specials』の出版を記念して15台のJPSチーム・ロータスのF1マシンを勢揃いさせた。

    クラシックチームロータスは、伝説的なコーリン・チャップマンを祝うためにイギリス・ノーフォーク州ヘセルの新しいワークショップの前に15台のJPSチーム・ロータスのF1マシンを並べた。

    エマーソン・フィッティパルディ、ロニー・ピーターソン、マリオ・アンドレッティ、ナイジェル・マンセル、そして、アイルトン・セナが走らせたブラックとゴールドのF1マシンは、ロータスの素晴らしい歴史を示した。

    マリオ・アンドレッティは「有能なエンジニア、優秀なメカニック、素晴らしいサポートスタッフ。みなさんの素晴らしい努力に心の底から感謝している」とロータスにメッセージを送った。

    「あなたがいなければ、1978年のチャンピオンシップは不可能だっただろう。コリン、私のキャリアで最高の贈り物を与えてくれてありがとう!」」

    JPSチーム・ロータス F1マシン

  • ジェラルド・ロペス 「ロータスのF1参入は失敗ではなかった」

    ジェラルド・ロペス 「ロータスのF1参入は失敗ではなかった」

    元ロータスF1チームのオーナーであるジェラルド・ロペスは、ロータスのF1参入は「失敗ではなかった」と主張する。

    ルクセンブルグの企業家であるジェラルド・ロペスは、2015年末にルノーにチームを1ポンドで売却した。

    しかし、ジェラルド・ロペスは「ロータスでの私の進出は失敗ではなかった」と AFP にコメント。

    「我々は4000万ユーロ(約48億4700万円)の負債を購入することに投資することでチームを引き継ぎ、450人の仕事を救った」

    「チームにはスポンサーがついていなかったが、我々は多くのスポンサーを引きつけた」

    「だが、運営上の均衡に達したとき、コストが爆発し、スポンサーが去っていった。廃業することもできたが、540人の従業員を救うために売却することに決めた」

    「我々がルノーに売却したとき、チームはサプライヤーに負債を持ってはいなかった。1億3000万ユーロ(約157億5000万円)の借金があったが、それは株主のものだ」

    ジェラルド・ロペスは、チームスタッフに賃金を未払いなままであることを否定した。

    「私も読んだが、バーニー・エクレストンは賃金を払うためにポケットマネーは出さなかった。ロータスはそのお金を得る権利があったが、一部は賃金の支払いに用いられた」

  • ロータスF1チーム、ルノーへの売却前の損失は79億円

    ロータスF1チーム、ルノーへの売却前の損失は79億円

    ロータスF1チームは、2015年にルノーに買収されるまでに5,700万ポンド(約79億2,000万円)の損失を出していたことが明らかになった。

    昨シーズン後半、ロータスの財政状況の悪化はしばしば報道されており、12月19日に買収が完了するまでその状態は続いた。

    ルノーへの売却額は“1ポンド(約139円)”と推定されている。

    2014年のロータスの損失はわずか580万ポンド(約8億1,000万円)だったことを考えると、2015年の変化は巨大だ。

    取引高も1億1,470万ポンド(約159億3,000万円)から7,840万ポンド(約108億9,000万円)へと3,630万ポンド(約50億4,000万円)減少している。これは主に“この年のスポンサーシップ減少によるものz3とチームは説明。売上原価は1,100万ポンド(約15億3,000万円)下がったという。

    買収後にマニュファクチャラーとして復活したルノー、はこの財政的な“ハンディキャップ”をスロースタートの理由に挙げており、夏休み以降はパフォーマンスが上向くはずだと自信を示している。

    チームはレポートの中で「2016年度の企業戦略は、スポーツにおけるルノーの長期的野望と厳格なビジネスプランを反映する正しいレベルの支出、投資と業務実践によって会社を再建することだ」と主張。

    「トラック上ではシーズン後半戦にパフォーマンスの改善が達成されると予想できる。しかし、2015年シーズン中の開発不足から来るハンディキャップがあるため、チャンピオンシップで昨年以上のポジション獲得は期待していない」

    レポートにはまた、ルノーが2017年と2018年にレッドブルとトロ・ロッソにエンジンを供給する契約があることについても言及されている。

  • マルコ・ソレンセン、ロータス離脱の理由は「ホルダへの贔屓に嫌気」

    マルコ・ソレンセン、ロータス離脱の理由は「ホルダへの贔屓に嫌気」

    マルコ・ソレンセンは、ロータスを離脱したのは、チームの女性ドライバーであるカルメン・ホルダへの贔屓が理由だと述べた。

    元GP3ドライバーのカルメン・ホルダは、昨年ロータスの開発ドライバーに就任。しかし、ルノーが買収した後の2016年もその役割を継続することが判明した際、多くの人々を驚かせた。

    ロータスのテストドライバーを務め、現在はスポンサーを降りたサクサバンクの支援を受けるデンマーク出身のマルコ・ソレンセンは、チームを離脱したのは実際にはカルメン・ホルダが原因だと述べた。

    「彼女はシミュレーターで僕よりも12秒遅かった」とマルコ・ソレンセンは Ekstra Bladet にコメント。「それでも、彼女は全ての報酬を楽々と得ていた」

    「過去2年間、僕は少なくとも60日間はシミュレーターで過ごした。それはマクラーレンでのケビン(マグヌッセン)とほぼ同じだ。それではあまりに酷すぎる冒涜だと感じ、止めることにした」

    しかし、マルコ・ソレンセンは、同じデンマーク出身のケビン・マグヌッセンがルノーのレースシートを獲得したことに嫌な気持ちはないと語る。

    「僕は、F1シートを買いたい場合の最低額として聞いていた750万ドルを集めることができなかった」とマルコ・ソレンセンは述べた。

    今年のケビン・マグヌッセンとジョリオン・パーマーのチームメイトバトルについて、マルコ・ソレンセンは「接戦になるだろうけど、ケビンの方がパーマーよりも才能があると思う」と述べた。

  • ジョリオン・パーマー 「自分のクルマで本来のポテンシャルを示したい」

    ジョリオン・パーマー 「自分のクルマで本来のポテンシャルを示したい」

    ロータスのリザーブドライバーを1年間務めたジョリオン・パーマーだが、まだチームメイトのパストール・マルドナドと比較して自分の本来のポテンシャルを示すことができていないと語る。

    パストール・マルドナドがチームに多額のスポンサーシップを持ち込んでいることで、ロマン・グロージャンは、2015年に多くのFP1セッションをジョリオン・パーマーに譲ることになった。

    ハースに移籍したロマン・グロージャンの後任としてレースシートに昇格したジョリオン・パーマーは、プラクティスでの自分のパフォーマンスは、他のドライバーのマシンに適当しなければならなかったために常に制限されていたと述べた。

    自分のドライビングスタイルに合わせたマシンセットアップをすることが、今シーズンにパストール・マルドナドを倒すチャンスを与えてくれると感じているかと質問されたジョリオン・パーマーは「そうだね、間違いなく違いを生むと思う」とコメント。

    「今のクルマは、ブレーキマックやトルクマップなどの全てが特定のドライバーのために仕立てられている。ロマンとは運転の仕方がかなり異なるし、ほんの90分の間に彼のベースラインカーを使って、微調整するのは難しかった」

    「発表された後、僕たちがやっていることはそれだし、全てがうまく進んでいるので、うまくやれると自信を感じているし、すぐに良い仕事ができると確信している」

    F1デビューのシーズンで最も楽しみにしていることは何かと質問されたジョリオン・パーマーは「メルボルンだ!」とコメント。

    「待ち切れないよ。去年もあそこでは走らなかった。トラックは物凄いと思うし、オーストラリアにいるのは嬉しかったけど、今はレースドライバーとして初のグランプリに挑むわけだからね。ライトが消えて、また他の人たちとホイール・トゥ・ホイールのアクションができるのを楽しみにしている」

  • ルノー、ロータスF1チームを1ポンドで買収

    ルノー、ロータスF1チームを1ポンドで買収

    ルノーは、ロータスF1チームをわずか1ポンドで買収したことを明らかにした。

    ルノーは、チームの90%の株式を取得。ジェニー・キャピタルと系列会社のグラビティ・モータースポーツが残りの10%を保持した。

    ロータスF1チームを所有していたジェニー・キャピタルは、チームに9,820万ポンド(約176億1324万円)を貸し付けていたが、これはルノーへの売却によって帳消しになった。

    ルノーは、チームを管理下に置こうとしていた英国の税務当局への支払いを含め、多くの負債を支払っている。

    今回の取引で、ルノーは子会社のグリニを通してロータスF1チームを買収。グリニはベネトン時代にチームを所有していた。

    ルノーは、新生ワークスチームには成功するための全ての要素が揃っていると考えている。

    「グループ、そしてブランドとって、我々がトラックでやっているルノーの能力を具体的なマーケティング価値を変えるために待つべきではなかった」とルノーF1のマネージングディレクターを務めるシリル・アビテブールはコメント。

    「我々にはキャパシティがあるので、権威を持つためにも、財政力、さらには時間において、安定性を得ることが本当に重要だった」