カテゴリー: ロバート・クビサ

  • ロバート・クビサ F1カナダGP大事故から1年後の劇的な復活劇

    ロバート・クビサ F1カナダGP大事故から1年後の劇的な復活劇

    ロバート・クビサは、2007年F1カナダGPで21世紀を代表する大クラッシュを生き延びた。そして1年後、同じモントリオールでF1初優勝という劇的な“再生”を果たした。

    2007年のクラッシュ映像はいまなおF1史の象徴的シーンとして語り継がれているが、その後の復活劇まで含めて振り返ると、クビサというドライバーの特別さがより鮮明になる。

    F1界を凍りつかせた2007年カナダGPの大事故
    2006年途中にBMWザウバーからF1デビューを果たしたロバート・クビサは、わずか3戦目のイタリアGPで表彰台を獲得し、一躍将来有望な若手として注目を集めていた。

    2007年シーズンも着実にポイントを重ね、BMWザウバーの中核ドライバーへと成長しつつあった。

    しかし2007年6月10日のカナダGPで、そのキャリアは一瞬にして終わるかに見えた。

    レース終盤、ヤルノ・トゥルーリのトヨタを追っていたクビサは、ヘアピン立ち上がりで接触。マシンはコントロールを失ったまま高速でウォールへ激突した。

    BMWザウバーは宙を舞いながら何度も回転し、サーキットに破片が飛び散った。

    当時のF1界にとっても衝撃は大きく、実況席やピットウォールには緊張が走った。映像を見た誰もが、最悪の事態を覚悟したほどの事故だった。

    しかし、クビサは奇跡的に生還した。

    診断結果は脳震盪と軽度の捻挫。命に別条はなく、翌週にはすでに回復へ向けて動き始めていた。

    現代F1の安全技術が進化する過程で、この事故は“ドライバー保護性能”を証明した代表例のひとつとしても語られている。

    そして1年後 モントリオールで訪れた完全復活
    2008年、クビサは再びカナダGPの地へ戻ってきた。

    前年の大事故現場に戻ること自体が精神的な挑戦だったが、クビサは週末を通して高い競争力を見せた。

    そして決勝では、ルイス・ハミルトンとキミ・ライコネンがピットレーン出口で接触リタイアする波乱の展開のなか、冷静なレース運びでトップへ浮上した。

    BMWザウバーにとっても歴史的な瞬間だった。

    クビサはF1初優勝を達成し、BMWザウバーにも初勝利をもたらした。

    しかも、それは前年に命を落としかけたサーキットで成し遂げた“劇的な勝利”だった。

    モントリオールの表彰台で国旗を掲げたクビサの姿は、F1史でも屈指の“再生の物語”として刻まれている。

    F1安全性の転換点として語り継がれる事故
    クビサのクラッシュは、現代F1の安全思想を語るうえでも重要な事故となった。

    2000年代初頭までのF1では、大事故が発生するたびにドライバー生命だけでなく命そのものが危ぶまれる空気が存在していた。

    だが、2007年のクラッシュでクビサが自力で脱出できたことは、モノコック構造やクラッシュテスト、安全セルの進化を世界に示した瞬間でもあった。

    その後F1はさらに安全性を強化し、現在ではヘイローや側面保護構造なども導入されている。

    クビサの事故は、恐怖の映像としてだけではなく、「F1がどれほど安全なスポーツへ進化したか」を象徴する出来事として、今なお語り継がれている。

  • マクラーレンF1がロバート・クビサを獲らなかった理由「鼻が大きかったから」

    マクラーレンF1がロバート・クビサを獲らなかった理由「鼻が大きかったから」

    マクラーレンは、2008年F1シーズンに向けてルイス・ハミルトンの新たなチームメイトとしてロバート・クビサを検討しながらも、「彼の鼻が大きすぎた」という理由で獲得を見送っていた。これは、元マクラーレンの広報責任者であるマット・ビショップによる、驚くべき証言だ。

    ビショップ自身も、それが当時の最高経営責任者マーティン・ウィットマーシュの冗談だったのかどうか、確信は持てないとしながらも、実際にそうした発言があったことを明かしている。

    「鼻が大きすぎた」クビサはなぜマクラーレンに呼ばれなかったのか
    ロバート・クビサは、今世紀のF1における“未完の才能”のひとりとして語られる存在だ。F1で挙げた勝利は2008年カナダGPでの1勝のみで、当時所属していたBMWザウバーでの快挙だった。

    しかし2011年2月、ラリー参戦中に起きた大事故によってキャリアは大きく暗転する。重傷を負い、F1での将来は事実上閉ざされた。

    その後、ラリーで成功を収めたクビサは再びF1への挑戦を選び、2019年にウィリアムズから1シーズン復帰。同年ドイツGPでは、チームにとって唯一となるポイントを獲得している。

    現在41歳のクビサは、2025年にフェラーリでル・マン24時間レース初優勝を果たし、感情あふれる勝利を手にした。

    なおクビサ自身は2018年、2011年の事故当時、2012年にフェラーリF1チームへ加入する契約にサインしていたことも明かしている。

    アロンソ離脱後のマクラーレンが探していた“ハミルトンの相棒”
    2007年シーズン終了後、マクラーレンはフェルナンド・アロンソの後任を探していた。ハミルトンとの関係が破綻した2度の世界王者は、わずか1年でチームを去ることになる。

    最終的にマクラーレンが選んだのは、ルノーで印象的なデビューシーズンを過ごしていたヘイキ・コバライネンだった。結果的に、コバライネンとアロンソは“シートを交換する”形となった。

    ビショップは、2008年から2017年までマクラーレンのコミュニケーション責任者を務め、その後アストンマーティンにも在籍した人物である。

    彼は自身のポッドキャスト『And Colossally That’s History!』に出演した際、当時の意思決定の舞台裏をこう振り返った。

    「ウィットマーシュが当時、2008年のマクラーレンのドライバー候補としてクビサを考えたとき、問題のひとつは“彼の鼻が大きすぎる”ということだと言っていたのを覚えている。本当にそう言ったんだ」

    「空力じゃなくて見た目の問題だと思う」
    司会者から、それが空力的な問題なのか、それとも見た目の問題なのかと冗談交じりに問われると、ビショップは笑いながら答えた。

    「見た目の問題だと思うよ。正直なところ、冗談だったんだと思う」

    「もしこれを聞いているなら、マーティン、たぶん聞いていないと思うけど、説明してくれてもいい。でも、彼はそういうジョークを言うことがあった。ドライバーはこうあるべきだ、という考えを持っていたんだ」

    「それはロン・デニスから学んだ部分でもある。ロンはドライバーの外見にとても厳しかったからね。ただ公平を期すと、ロバートの鼻についてロンが文句を言っているのは聞いたことがない」

    同席していた音楽・スポーツ記者のリチャード・ウィリアムズも、こう付け加えている。

    「クビサの鼻の話は本当に笑えるよ。今のF1に彼がいたら、どこに収まるんだろうね。今の若手ドライバーはみんなボーイバンドのメンバーみたいな顔をしている。まるで“ルックス審査”を通過してきたみたいだ」

    ロバート・クビサ

    モータースポーツ界の“鉄人” クビサの壮絶な事故
    ウィットマーシュは2014年に25年間在籍したマクラーレンを去り、ロン・デニスも2017年にチームを離れている。

    一方、クビサは昨年出演したポッドキャスト『Gurulandia』で、2011年のラリー事故の壮絶さを改めて語っている。

    「正直に言うと、長い間昏睡状態だったから、何が起きたのかほとんど覚えていない」

    「病院に着いたとき、体にあった血液は1.5リットルしかなかった。人間の体には6〜7リットルあるのにね」

    「体の右半分は完全に粉々だった。42カ所の骨折で、足の指から肘まで全部折れていた」

    さらにこう続けた。

    「僕は人間だ」

    「6〜7カ月の間、何の感覚もなく、まったく動けなかった。指を動かそうとしてもできなかった。その感覚は、経験した人にしか分からない」

    「初めて動かせた日、言葉にならないほどの喜びを感じた」

    鼻の大きさという冗談めいた理由でマクラーレン入りを逃したとされるクビサだが、そのキャリアと生き様は、F1史の中でも屈指の重みを持つものとなっている。

  • ロバート・クビサ 失われたF1の夢をル・マンで取り戻す アロンソ「誇りに思う」

    ロバート・クビサ 失われたF1の夢をル・マンで取り戻す アロンソ「誇りに思う」

    フェルナンド・アロンソは、元F1ドライバーのロバート・クビサがル・マン24時間レースで優勝したことについて、「今日はモータースポーツにとって良い日だった」と称賛した。

    2011年のラリー事故でF1キャリアが突然断たれたクビサは、フェラーリのWECチームの一員として今回の勝利を収めた。当時クビサはF1でフェラーリ加入が決まっており、実現していればアロンソのチームメイトになるはずだった。

    「本当に嬉しいよ」とアロンソは語った。「彼とは何度かル・マンがいかに特別なレースかを語り合ったことがあるし、彼にはそれを経験する資格がある。彼は我々のスポーツのレジェンドであり、ル・マン優勝を加えたことで、さらに伝説になった」

    「彼が事故で味わった苦しみを知っているからこそ、今日はモータースポーツにとって本当にハッピーな日だ」

    アロンソ自身も2018年と2019年にトヨタでル・マンを連覇しており、今回の勝利をSNSで「ブラボー、ロバート」と祝福した。

    「本当にうれしい。明日、彼に電話するつもりだ。今日は邪魔したくなかった。きっと今はお祝いの最中だろうけど、すごくうれしいし、彼のことを誇りに思う」

    今回のル・マン24時間レースでクビサと共に優勝を果たしたのは、フィル・ハンソンとイェ・イーフェイ。彼らはサテライトチームであるAFコルセの83号車フェラーリ499P LMHを駆り、激戦を制した。特にクビサは最後のスティントを担当し、給水ボトルが故障していたにもかかわらず59周を走り切り、全体の43%の距離を単独でドライブした。

    2011年の大事故以降、F1での道が絶たれたクビサにとって、今回のル・マン制覇はまさに報われた瞬間だった。アロンソがかつて「自分が対戦した中で最高のドライバー」と評した男にふさわしい偉業だ。

    さらに、F1カナダGPと同日に達成されたことも象徴的だ。クビサは2007年のカナダGPで大クラッシュに見舞われたが、翌2008年には同地でF1初優勝を飾っており、これが彼にとって唯一のF1勝利となっている。

    今回のル・マン制覇は、F1時代の最後のチームメイトだったジョージ・ラッセルが同日のカナダGPで優勝したこととも重なった。ラッセルはSNSで「ル・マン優勝おめでとう!本当に嬉しいよ!!」と祝福のメッセージを送っている。

    ロバート・クビサ F1 ル・マン24時間レース

    また、フェラーリでの勝利という点も感慨深い。クビサは2012年にスクーデリア・フェラーリと契約を結んでいたと報じられていたが、ラリー事故によってその夢は絶たれたとされる。

    F1実況のアレックス・ジャックは、「これはロバート・クビサにとって歴史的瞬間」と称賛。「フェラーリでF1を走る夢は事故で潰え、2021年にはLMP2クラスで最終ラップのリタイアという悲劇も経験した。だが今日、その復活劇がついに完結した」と綴った。

    フェラーリF1代表のフレデリック・バスールもクビサの勝利を喜んだ。バスールはF3やフォーミュラ・ルノー時代からクビサと関係があり、近年もアルファロメオでリザーブドライバーとして共に過ごしていた。

    「私とロバートの関係はとても近い」とバスールは語る。「彼はモータースポーツ界において“異星人”のような存在だ。今回のような状況でル・マンを制し、チームを牽引する姿は想像を超えている。本当に素晴らしい成果だと思うし、彼がこれまでキャリアに注いできた努力を思えば、今日の結果は心から嬉しい」

    なお、アロンソとクビサはともに、今世紀にF1とル・マンの両方で優勝した数少ないドライバーであり、現役F1ドライバーでル・マン優勝経験があるのは、2025年時点でザウバーのニコ・ヒュルケンベルグただ一人である。

  • F1出身ロバート・クビサがル・マン24時間レース制覇「とても特別な日だ」

    F1出身ロバート・クビサがル・マン24時間レース制覇「とても特別な日だ」

    2021年に最終ラップで勝利を逃した経験を持つ元F1ドライバーのロバート・クビサが、ついに悲願のル・マン24時間レース制覇を果たした。レース後の記者会見で、クビサはこの勝利が「とても特別な日だ」と語った。

    AFコルセのフェラーリ83号車で参戦したクビサは、フィル・ハンソン、イエ・イフェイとともにトップチェッカーを受けた。表彰台直後、サルト・サーキットのメインピットビルで行われた記者会見に臨んだクビサは、興奮と安堵の表情を浮かべながら次のように語った。

    「間違いなく今日は感情的な1日になると思う。今はまだ疲れとアドレナリンが混じっていて、少し休んで、この瞬間を味わいたい。とても特別な日だし、正直言って、勝てるとは思っていなかった」

    クビサにとってル・マン初挑戦は2021年だった。当時、LMP2クラスをリードして最終ラップに突入したが、まさかのマシントラブルによりフィニッシュ目前でストップ。優勝目前で勝利を逃すという衝撃的な結末に見舞われた。

    「2021年に初めてル・マンを走ったときから、このレースを本当に楽しんでいた。最終ラップでLMP2の勝利を逃すという劇的な結末にはなったけど、それでも楽しかったし、まるでカートで走っていた子どもの頃に戻ったようだった。ただ違ったのは、僕はもう36歳だったってことだけだ」

    「でもこの週末が与えてくれた感情は、特別なものだった」

    当時のチームメイトだったイエ・イフェイと、今回も共にAFコルセの83号車で勝利を分かち合ったことも、感慨深さをさらに深めた。

    同じく勝利を収めたチームメイトのフィル・ハンソンも、レース終盤まで気を緩めることができなかったと語る。

    「ロバートの言葉に共感するよ。今はまだ感情が湧いてくるというより、ただただ安堵している」

    「レース最後の数分間は本当に緊張の連続だった。実は、2021年に彼らが最終ラップで止まったとき、僕はそのすぐ後ろを走っていたからね。だから、ル・マンがどれほど非情になり得るかを僕は知っている」

    「だから今回は、車が物理的にフィニッシュラインを越えるまで、一切喜ばなかったし、気を抜かなかった。本当にホッとしているよ。正直、彼ら2人はちょっとジンクスがあるんじゃないかと思っていたくらいだ」

    ロバート・クビサ F1 ル・マン24時間レース

    今回のレースで、ハンソンとイエはそれぞれ9スティント、約6時間半〜40分を走行。一方のクビサは15スティント、計13時間以上にわたってステアリングを握り、1人でレースの半分以上を走り抜いた。なお、ル・マンで1人のドライバーが走行できる最大時間は14時間のため、クビサはその上限に迫る献身的なドライビングで勝利に貢献した。

    この勝利により、ロバート・クビサはル・マン24時間レース総合優勝を果たした初のポーランド人ドライバーとなった。かつてF1で大事故から復活を果たし、今度はル・マンでもドラマティックな勝利を飾ったその姿は、まさに執念と情熱の結晶だった。

  • ロバート・クビサ F1を妨げた事故「42箇所を骨折して体の右側はぐちゃぐちゃ」

    ロバート・クビサ F1を妨げた事故「42箇所を骨折して体の右側はぐちゃぐちゃ」

    ロバート・クビサが、8年間F1から遠ざかる原因となった恐ろしい事故を振り返った。

    元F1ドライバーのロバート・クビサは、このスポーツで最も成功したレーサーの一人ではないかもしれないが、彼を熱心に追いかけていた人たちは、彼が持っていた才能を知っている。

    このポーランド人ドライバーは、いくつかの不運な事故、それも悲劇的な事故に遭わなければ、はるかに輝かしいキャリアを歩んでいたかもしれないレーサーの一人だ。

    クビサは最近、2011年2月にラリー・ロンデ・ディ・アンドラで経験した事故を思い出した。テストコでスーパー2000仕様のシュコダ・ファビアを運転していたクビサは、車の制御を失い、高速で衝突バリアに衝突した。

    その結果、彼は1時間以上車内に閉じ込められ、救助隊が彼を救出できたのはその時になってからだった。この恐ろしい事故の後、ポーランド人はヘリコプターでピエトラ・リーグレのサンタ・コロナ病院に搬送された。

    クビサは、この事故で受けた衝撃的な怪我について明かした。「正直に言うと、長い間昏睡状態だったので、何が起こったのかほとんど覚えていない」とCorriere Della Seraのインタビューで語った。

    「人間の体には6~7リットルの血液があるけど、僕は1.5リットルの血液を失って病院に運ばれた。体の右側はぐちゃぐちゃだった。42箇所も骨折し、つま先から肘まで、すべてが折れていた」

    クビサは手術を受けたものの、リハビリには何年もかかった。「僕も人間だ」と感情的になったクビサは付け加えた。「6、7か月間、感覚がまったくなくなり、何も動かすことができなかった」

    「指を動かそうとしたけど動かせず、経験した人にしかわからない感覚だった。それができた日は、とてつもない喜びを感じた」

    クビサが負った怪我の程度を考えれば、レースに復帰できたこと自体が奇跡に等しい。しかし、粘り強くリハビリに取り組み続けたおかげで、2012年には早くもレースに復帰。7年後にはウィリアムズからF1に復帰した。

    クビサは耐久レースで自分の潜在能力を発揮し始めている
    2011年に起きた悲惨な事故以前は、クビサが最も才能あるドライバーの一人であることに疑いの余地はほとんどなかった。しかし、彼が負った怪我の種類によっては、ピーク時の調子を取り戻せるかどうかは常に疑問視されていた。

    元ザウバーのF1ドライバーは、再び同じレベルで競争するのは困難だと感じていたが、それでもベストを尽くし続けることをやめなかった。彼は段階的にステップを踏んでいき、それが今日、耐久レースで成功を収めるのに役立っている。

    彼は、2023年にFIA世界耐久選手権LMP2クラスで優勝し、ヨーロッパ・ル・マン・シリーズLMP2クラスでも2度(2021年、2024年)優勝したチームの一員だった。40歳の彼は、今年も同様のレベルの成功を達成することを望んでいる。

  • 元F1ドライバー ロバート・クビサ 「ラリーに復帰して楽しみたい」

    元F1ドライバー ロバート・クビサ 「ラリーに復帰して楽しみたい」

    F1ドライバーであり、現在はWECハイパーカードライバーであるロバート・クビサは、将来ラリーに復帰する可能性を否定していない。

    だが、ロバート・クビサは、ラリーが恋しいと語るが、将来的には競争のためではなく「楽しみ」のためにラリーに復帰することしか考えていない。

    かつてF1レースで優勝し、現在は世界耐久選手権のAFコルセ・フェラーリ・ハイパーカー・ドライバーであるクビサは、2013年から2016年までWRCに参戦しており、引き続き同シリーズを熱心にフォローしている。

    クビサはF1で名声を得る前からラリーに憧れており、2013年のWRC2選手権でも優勝。その後2シーズンにわたりトップクラスで戦い、Mスポーツ製のフォード・フィエスタを駆り、14回のステージ優勝と2014年のアルゼンチンでの6位という最高成績を記録した。

    2016年に最後のスタートを切った後、クビサは2019年にウィリアムズでF1に復帰し、その後DTMに参戦し、2021年にスポーツカーレースとWECに進出した。

    今月初めにWRCが母国ポーランドを訪問した際に参加したクビサには、ラリー復帰の噂が流れている。将来復帰したいかと聞かれると、「正直、ラリーが少し恋しい。僕はラリーの大ファンだ。でも今はレースプログラムで自分のやるべきことがあるので、2016年初めにラリーを止めて以来、ラリーをファン、サポーターの視点で見ることが多くなった」とAutosportに語った。

    「WRCで何が起こっているのかをフォローしている。何よりもラリーに注目している」

    「もし(復帰が)ちょっとした楽しみになるのなら、もちろんそうするよ。ただし、それは競技の精神とはかけ離れている。もちろん、カレンダーに掲載されているラリーにはいくつか注目しているものもあるし、参加するのもいいだろうと思う。でも、それにはどれほどの努力と準備が必要かを思い出す。もし楽しむために参加するのであれば、プレッシャーを感じることなくラリーに参加できるだろう」

    ロバート・クビサ

    ロバート・クビサは今や、ハイパーカー/LMDhクラスに9つのブランドが参加するなど、メーカーの関心が著しく高まり、活況を呈しているWECシーンの一員だ。これは間接的に、昨年フェラーリが待望のチャンピオンシップ復帰を果たした後、クビサがAFコルセが運営するフェラーリ・ハイパーカーのシートを獲得する結果となった。

    WECへのメーカーの関心が爆発的に高まったのを見て、クビサはWRCでも同じようなことが起こり得ることを望み、ラリーはファンとメーカーに「何か特別なもの」を提供し続けると信じている。

    しかし、F1で12回表彰台に上がった経験を持つクビサは、今週末のWECのブラジル訪問に向けて準備を進めており、ラリーが同様の好景気を享受するには多くの努力が必要だと認めている。

    「これは複雑な問題であり、さまざまな関係者の関与が必要になる」とクビサは、WRCがどのようにしてWECの足跡をたどることができるのかとの質問に対して答えた。

    「今(WRCで)起こっていることは、現代と関係があるのではなく、僕がWRCにいた頃から始まった傾向だと思う。残念ながら、現代では、モータースポーツ全般において、人々は異なる種類のスポーツやレース方法を評価する傾向がある」

    「ラリーは、特にファンの観点から見て、何か特別なものを提供してくれると今でも思っている。WECでは、過去2年間でメーカーが大きく増加し、レベルが大幅に向上した。メーカーが他のメーカーを引きつけており、ラリーが新しいメーカーを引きつけるのに苦労しているのはそのためだ。これは複雑な問題だけど、幸いなことに僕はそれについて考える必要はない」

    「しかし、ファンの立場から言えば、WECで起こったようなことが起こってほしい。それはとても特別なことであり、誰にとっても有益なことだ。このようなことは長い間起こっていない。人々が努力していることは知っているし、一筋縄ではいかないと思うが、物事を改善しようとする努力は必要だ」

  • ロバート・クビサ 「フェラーリF1の夢を逃した傷口は開いたまま」

    ロバート・クビサ 「フェラーリF1の夢を逃した傷口は開いたまま」

    ロバート・クビサは2012年にフェラーリでF1に参戦する予定だったが、2011年2月にラリーで負った大事故がすべての計画を頓挫させた。クビサはこう語る。『今でもまだ痛い』

    2010年シーズンを終えて、F1界の意見は一致していた。ロバート・クビサはF1フィールドで偉大な才能の一人だった。2008年にザウバーF1チームの夢であったグランプリ優勝を果たしたクビサは、2012年シーズンもフェラーリと契約を結んでいた。

    だが、2011年春にリグーリア州で開催された「ロンド・ディ・アンドーラ・ラリー」でアクシデントに見舞われ、当分の間レースキャリアを続けることができないほどの大怪我を負った。

    クビサの右腕には特に問題があったが、彼はそれにめげることなくハードワークを続け、レーストラックへの復帰を果たした。まずルノーとウィリアムズのテストドライブをこなし、次にリザーブドライバーとしてトレーニングセッションに参加することを許された。そして2019年、最後のグランプリ参戦から3046日後、ついにウィリアムズのF1ドライバーとしてグリッドに戻った。

    この年、ウィリアムズのF1マシンは競争力こそなかったものの、ホッケンハイムリンクで10位に入り、2019年シーズンのイギリスチーム唯一のポイントである世界選手権ポイントを1ポイント獲得した。当時のチームメイトで、現在はメルセデスのドライバーを務めるジョージ・ラッセルはノーポイントだった。クビサはポジションを失ったが、これで彼のF1キャリアが終わったわけではなかった。

    キミ・ライコネンが2021年にコロナウイルス検査で陽性反応を示し、出場できなくなったのだ。当時、アルファロメオ・ザウバーでサードドライバーを務めていたクビサは、ザントフォールトとモンツァで出場し、オランダでは15位、イタリアでは14位でレースを終えた。

    クビサは昨年F1から引退したが、レーストラックからは離れていない。世界耐久選手権では、ルイ・アンドラーデ、ルイ・デレトラズとともにオレカ07を駆り、LMP2チャンピオンに輝いた。

    そして、今年はAFコルセからフェラーリ499Pでハイパーカー・シリーズに参戦する。

    「フェラーリで走ることはは、他のブランドでのレースとはまったく違う」と39歳のクビサはGazzetta dello Sportに語る。

    「F1ドライバーとして、僕には2つの目標があった。世界選手権で優勝することと、赤い車に乗るということだ。でも、それは叶わなかった」

    「たまたま、私の人生の道はこれまでとは異なっているし、開いた傷が残っていることを認めなければならない。でも今、僕はフェラーリとともにWECでの挑戦を克服する素晴らしい機会に恵まれている」

  • ロバート・クビサ F1復帰失敗は「間違ったタイミングと場所にいた」

    ロバート・クビサ F1復帰失敗は「間違ったタイミングと場所にいた」

    ロバート・クビサは、2019年にウィリアムズ・レーシングでF1復帰を目指したが失敗した際、「間違ったタイミングに間違った場所にいた」と語った。

    2011年にラリーでのクラッシュと生涯にわたる腕の負傷によって、当初、非常に有望なF1キャリアは悲劇的な終わりを迎えたクビサは、39歳になったばかりだ。

    ウィリアムズのシートを失った後、彼は今年のル・マンでLMP2クラス2位となり、タイトルを獲得。フェラーリ傘下のAFコルセでハイパーカーのトップカテゴリーに昇格する。

    クビサはPrzeglad Sportowyに対し、トップレベルでのレースがいつまで続くかはわからないと語った。

    「プロフェッショナルな生活が僕の時間の90パーセントを占めていることは分かっている」とポーランドの後援者オーレンとの関係を拡大したばかりのクビサは語った。

    「自転車に乗るとレースのことを考える。その日、その年のすべてのスケジュールは、車の中で僕を待っていることに依存する」

    「一方で、これはポジティブなことだけど、他方では、僕はまもなく40歳になる。次の人生で何をしようかという考えが浮かび始めている」

    クビサが学んだのは、注目を集めるF1復帰の見込みさえ、必ずしも魅力的ではないということだ。

    「何年もかけて、どんな犠牲を払ってでもレースをする必要はないということが分かってきた」とクビサは語る。「自分が良い気分になれる適切な雰囲気を見つけたいと思っている」

    「今の状況は、僕に精神的な安らぎを与えてくれるんだ。F1復帰に関連する2つ目の考えは、スポーツ的な観点から見ると、ウィリアムズで終わることになったとき、これ以上悪いことはなかったということだ」

    「正直なところ、このチームには多くの尊敬の念を抱いている。チームには自分たちが何をしているのかを本当に知っている人がたくさんいた」とクビサは説明した。「残念ながら、僕は間違ったタイミングに間違った場所にいた」

  • アルファロメオF1、オーレンとのタイトルスポンサー契約を終了の噂

    アルファロメオF1、オーレンとのタイトルスポンサー契約を終了の噂

    ロバート・クビサとポーランドのスポンサーであるオーレンは、アルファロメオF1を離れる可能性があると報じられている。

    ポーランドの石油会社オーレンは、ザウバーが運営するチームをバックアップしており、同チームのネーミングパートナーであるアルファロメオと密接に連携してきた。

    しかし、アルファロメオは、フォルクスワーゲン傘下の自動車メーカーであるアウディによるチームの買収とワークス提携を前に、2023年末にザウバーから離脱することが決まっている。

    アルファロメオF1のテストドライバーを務めるロバート・クビサは最近、チームでの自分の役割が終わる可能性があることを認めている。

    「オーレンと彼らが次に何をしたいのかによるね」とロバート・クビサは語った。

    「でも、僕がもうF1の公式ドライバーとしてのシートを得られないとしても、驚きではない」

    ロバート・クビサの去就について、元フェラーリのF1ドライバーであるフェリペ・マッサは、F1にとって損失となるだろうと語っている。

    「彼はフェラーリで僕の後釜になると確信していた」とフェリペ・マッサはポーランドのSwiatwyscigowに語った。

    「彼はそれに値するから、僕にとっては問題なかった。だから、彼のような優秀なドライバーが自分のキャリアにとって重要な機会を逃してしまったことは悲しいことだ」
    またフェリペ・マッサは、ロバート・クビサが2011年のラリーでのクラッシュで負った恐ろしい負傷について、「彼が再びレースに出るとは思っていなかった」と付け加えた。

    一方、スイスの著名なベテランF1ジャーナリストであるロジャー・ブノワは、アルファロメオF1は、フレデリック・バスールの後任のチームボスをまだ決定できないまま2023年に向かっていると報じている。

    元マクラーレンのF1チーム代表であるアンドレアス・ザイドルは、ザウバー・グループの新しいCEOとして仕事を始めたが、チーム代表には就任しないとのことだ。

    スイスの新聞Blickの紙面で、ロジャー・ブノワは「残念ながら、新しいチームボスの発表まで我慢してもらわなければならない」とのアンドレアス・ザイドルの言葉を引用した。

  • ロバート・クビサ 「F1に僕の居場所がなくなったとしても驚かない」

    ロバート・クビサ 「F1に僕の居場所がなくなったとしても驚かない」

    ロバート・クビサは、F1ドライバーとしてのキャリアが終わりを迎える可能性を受け入れている。

    将来を有望視されていた2011年の開幕前に趣味で参戦したラリーで再クラッシュで右手に後遺症が残る重症を負い、レーサーとして復帰することが絶望視されたが、2019年にウィリアムズで奇跡のF1復帰を果たしたロバート・クビサ。

    だが、ウィリアムズでは目立った結果を出すことができず、2020年からはアルファロメオのリザーブドライバーに就任。2008年のF1カナダGPのウィナーであるロバート・クビサは、キミ・ライコネンが新型コロナウイルスの検査で陽性反応を示した後、2021年のF1オランダGPとF1イタリアGPの最後にF1レースに出場。

    その後、チームのタイトルスポンサーのポーランドの石油会社のPKNオーレンとの契約の一環として、2022年にポール・リカールとヤス・マリーナでアルファロメオからプラクティスに出走したが、存在感は薄れていた。

    これがF1での最後のドライビングになるかどうか質問されたロバート・クビサ「わからない」と答えたが、将来の契約でF1チームに役立ちたいと思っていることを認めた。

    「僕がまだここにいる唯一の理由は、時々リザーブとしてドライブするチャンスがあるかだけど、おそらく今週末で終わりになるだろう」とロバート・クビサはコメント。

    「アルファロメオのメインパートナーであるオーレンがいる。まず彼らが何をしたいのかを決める必要があるし、その後、おそら僕はすべての関係者と話し合うだろう」

    「それが何であれ、それがこのチームであろうと別のチームであろうと、僕が関与できるかどうか、そして、僕が役に立つことができるかどうかを確認することになるだろう」

    「役に立たないのであれば、僕もここにいたくはない」

    アルファロメオF1チームは、2023年のリザーブドライバーとしてザウバーF1の育成ドライバーであるテオ・プルシェールを起用することを決定している。

    ロバート・クビサは、これがF1でのキャリアの終わりになるになっても「仕方ない」と述べ、自分の可能性について常に現実的であると付け加えた。

    「それでいいと思っている。結局のところ、僕はいつもとても現実的だった」

    「正直に言うと、38歳で、もうドライブができなくても驚くことではない」