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  • ブラウンGP F1マシンBGP001が初集結 グッドウッドで“ファミリー再会”

    ブラウンGP F1マシンBGP001が初集結 グッドウッドで“ファミリー再会”

    ジェンソン・バトンとロス・ブラウンが週末、グッドウッド・メンバーズ・ミーティングで再会した。2009年のタイトルをもたらしたブラウンGPのBGP001シャシー3台が初めて一堂に会し、F1史に残る異例の成功物語がよみがえった。

    ホンダ撤退後にわずか1ポンドで誕生したチームが頂点に立った“奇跡”は、単なるレースの記憶にとどまらない。今回の再集結は、その象徴的な瞬間を改めて現代に引き戻すものとなった。

    BGP001が初めて揃った歴史的瞬間
    グッドウッドの歴史的な舞台を背景に、ブラウンGPの3台のBGP001が初めて同じ場所に並んだ。中心にいたのは、2009年にドライバーズタイトルを獲得したジェンソン・バトンであり、自身のキャリアを決定づけたマシンに再び乗り込む機会となった。

    この“ファミリー再会”は単なる展示にとどまらず、F1における最大級のアンダードッグストーリーの象徴として、強いノスタルジーを呼び起こした。

    ホンダ撤退から頂点へ ブラウンGPの軌跡
    ブラウンGPの物語は2008年末のホンダ撤退から始まった。ロス・ブラウンがチームを買収し、翌2009年シーズンに参戦すると、そのパッケージは瞬く間に競争力を発揮した。

    ジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロのコンビは、シーズン中に8勝、15回の表彰台を記録し、ドライバーズおよびコンストラクターズの両タイトルを獲得。その年のうちにチームはメルセデスへ売却され、わずか1シーズンで歴史に名を刻む存在となった。

    バトン「再びあの感覚を味わいたい」
    バトンは今回の走行を前に、当時の感情を次のように語っている。

    「メンバーズ・ミーティングに初めて参加できるのが楽しみだ。しかもブラウンBGP001のような特別なマシンで走れるなんてね」

    「最後にこのクルマをドライブしたのは2019年で、本当に感情がこみ上げる瞬間だったし、とても非現実的な感覚だった。またあの気持ちを味わえるのが待ちきれないし、それがグッドウッドならこれ以上の場所はない」

    単なるデモ走行ではない“時間の再現”
    エンジンに火が入った瞬間、その場に流れたのは単なるデモンストレーションの空気ではなかった。2009年という特異なシーズンの記憶が重なり、まるで時間が一瞬だけ巻き戻されたかのような感覚を生み出していた。

    ブラウンGPの成功は偶然ではなく、限られた条件の中で最大の結果を引き出した稀有な例である。その象徴であるBGP001の再集結は、F1の歴史においても特別な意味を持つ出来事となった。

  • ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP誕生の電話は「人生最高の一日だった」

    ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP誕生の電話は「人生最高の一日だった」

    ルーベンス・バリチェロは、2009年に誕生したブラウンGPが自身のF1キャリア、そして人生そのものにおいて特別な存在だったと振り返っている。消滅寸前だったチームが存続することを告げられた、一本の電話――その瞬間を、彼は「人生最高の一日だった」と表現した。

    元ホンダのチームがロス・ブラウンによって救われ、奇跡のシーズンへと動き出したあの日。

    バリチェロにとってブラウンGPの誕生は、単なるチーム再編ではなく、走る場所を失うかもしれなかった不安から解放された、感情あふれる転機だった。

    ブラウンGP誕生から17年が経った。2008年末、ホンダがF1撤退を決断したことで、チームは消滅の危機に瀕していたが、ロス・ブラウンはわずか1ポンドでチームを買収。数百人の雇用を守り、F1の舞台にチームを残す決断を下した。

    その後すぐにメルセデスとのエンジン契約をまとめ、2009年シーズンに向けてグリッド屈指のパワーユニットを確保する。そしてドライバー体制も維持され、バリチェロは自身17年連続となるF1シーズンを、すでに3年間在籍していたチームで迎えることになった。ブラウンGPには、確かな基盤が築かれていた。

    2009年のブラウンGPを支配的な存在へと押し上げたのが、革新的なディフューザーだった。ライバルチームがコピーするのに数か月を要したこの設計は、序盤戦で決定的なアドバンテージをもたらし、ブラウンはドライバーズ、コンストラクターズの両選手権で主導権を握った。

    チームメイトのジェンソン・バトンは、BGP001に初めて乗ったテストの段階でタイトルを狙えると感じたという。一方、バリチェロはマシン開発面で大きな役割を果たし、バトンから「最高のチームメイト」と評される存在だった。2007年、2008年の苦しいシーズンを通じて積み重ねてきた経験とフィードバックが、2009年の成功に生かされた。

    シーズン序盤、ブラウンGPは開幕7戦中6勝という圧倒的なスタートを切ったが、その勝利はいずれもバトンのものだった。バリチェロ自身の勝利はシーズン後半、バレンシアとモンツァで訪れることになる。

    そんな成功の原点にあったのが、チーム存続を告げられたあの日の電話だった。バリチェロは2011年のブラジルGPで、当時を次のように振り返っている。

    「電話が鳴って、相手はロスだった。彼は『準備はいいか?』と言った。すごく良い話にもなり得るし、すごく悪い話にもなり得る、とね」

    「『金曜日に来られるか?』と聞かれて、僕は『いつでも行けるよ、ロス』と答えた」

    「彼は『契約はある。来年も走ってほしい』と言ったんだ。家の中に入って、僕は泣いてしまった。その瞬間への感謝の気持ちでいっぱいだった。妻のシルヴァナに伝えた時、あれは人生最高の一日のひとつだった」

    ルーベンス・バリチェロ F1 ブラウンGP

    2009年の最終順位とキャリア最後の勝利
    2009年シーズン序盤は目立った結果を残せなかったバリチェロだが、シーズンが進むにつれてペースを上げていき、逆にチームメイトの勢いがやや落ち始めた時期と重なった。

    転機となったのはバレンシアでの勝利だった。その2戦後、フェラーリのティフォシに囲まれたモンツァで、彼は再びトップステップに立つ。ティフォシの前での勝利は、彼にとって特別な意味を持つものだった。

    それが彼にとって最後のF1勝利であり、通算11勝目でもあった。その事実には、どこか運命的なものがあった。

    最終的にチャンピオン争いには加われなかったものの、2009年はバリチェロがいかに才能あふれるドライバーだったかを改めて示すシーズンとなった。ドライバーズタイトルを獲得することなくキャリアを終えた中で、彼は「最も偉大な未戴冠ドライバー」のひとりとして、その名を刻んでいる。

  • ロス・ブラウン 「ブラウンGPのF1での成功は信じられないおとぎ話」

    ロス・ブラウン 「ブラウンGPのF1での成功は信じられないおとぎ話」

    ブラウンGPのストーリーは、F1 ではもちろん、おそらく他のスポーツでも、二度と同じようなことを目にすることはない驚くべき物語だ。

    日本の自動車メーカーであるホンダが2008年末に突然F1活動からの撤退を決めた灰の中から、ブラウンGPが不死鳥のように復活したことは、現代のおとぎ話として長く語り継がれるだろう。

    1ポンドで買収されたチームはどうにか冬を乗り切り、ジェンソン・バトンによるドライバーズタイトル、そしてコンストラクターズタイトルと両方を獲得した。

    これらの勝利は、2009 年の大幅なルール変更の導入後に失われたダウンフォースを取り戻した物議を醸すダブルディフューザーによって支えられました。

    ブラウンGPと同様にルールを異なる解釈をしていたライバルのウィリアムズとトヨタは、シーズン開幕戦オーストラリアGP後に他のチームから抗議を受けたが、無駄だった。あとは歴史と呼ぶしかない。

    F1史に残るあの栄光の年は、近日公開予定のDisney+のドキュメンタリー映画『 Brawn: The Impossible Formula 1 Story』で再び語られ、その4つのエピソードは11月15日に放送され、ナレーションは『マトリックス』のキアヌ・リーブスが担当する。

    その公開を前に、当時のチーム代表であったロス・ブラウンは、あのシーズンで繰り広げられたことを振り返り、未だに信じられない気持ちだと語る。

    ブラウンは「フィクションだったら絶対に信じられないようなおとぎ話だった。しかし、実際に起こったことであり、その背景にある状況によるものでもある。再び起こるとは考えにくい」とTalksportに語った。

    「すべてが、適切なタイミング、適切な人々、非常にも強い追い風とともにやってきたんだ」

    ブラウンにとって最も印象的だったのは、「ドキュメンタリーを見れば」と彼が言うように「人々について」である。

    「2008年末、ホンダが撤退を発表したとき、我々には700人の従業員がいて、彼らの雇用は危機に瀕していた」とブラウンは語った。

    「彼らは皆、何が起こるかわからないという不安の中で、トロイの木馬のように働いていた。もし彼らの誰かが道具を捨てていたら、我々は生き残れなかっただろう」

    「彼らは皆、あの冬の間、自分の将来がどうなるかもわからない中で、驚くべき献身的な働きをしてくれた。それがなければ、我々は何も手に入れることはできなかった。献身、献身、情熱の物語だ」

    「あのような不確実性があった時期、我々は、たとえ生き延びたとしても、あの規模のチームを維持することはできないとわかっていた。なぜなら、以前はホンダの力によって資金提供されていたチームだったからだ。小さなプライベートチームだった我々は、その規模をほぼ半分にしなければならなかった」

    「でも、その人々の献身と献身だ。それがいつも私の心に心に引っかかっている」

    ブラウンは、特に妻のジーンから正気を疑われ、自分自身とプロジェクトを続けられるかどうかを疑う場面があったことを認めた。

    「妻は私がかなり野心的なことをするのに慣れていたが、これは間違いなく私が引き受けた山積みの仕事の中でトップだった」とブラウンは語る。

    「妻は私に『好きなことをしなさい、でも家を抵当に入れないでね』と言った。それが彼女の唯一の制約だった」

    「その渦中にいるとき、人は自分が持っている選択肢を検討し、その場から逃げ出すか、何かをしようとするかのどちらかだ」

    「逃げ出したい日もあったけれど、周り人がそうさせてくれなかった。彼らも同じだったと思う。もう十分だと思う日もあった。どうすればうまくいくのかわからなかった」

    「しかし、我々は皆、プッシュし続ける必要があるとお互いに説得することができた。そして、結果を出した」

    バトンは開幕から7戦中6勝を挙げ、大きな予算と豊富なリソースを持つ他チームが追い上げてくる中、なんとか残りのシーズンを持ちこたえることができた。

    ルーベンス・バリチェロはシーズン後半に2勝を挙げ、バトンを脅かす存在となったが、バトンは最終戦、しかもチームメイトの母国ブラジルでF1キャリアで唯一無二のチャンピオンに輝いた。

    「ドライバーたちは完璧だった」とブラウンは振り返る。「ルーベンスとジェンソン以上のドライバーを求めることはできなかった。彼らは速く、成熟しており、ミスもしなかった」

    「パーツはほとんどなかった。最初の数レースに2台のマシンと、マシンを構成するパーツを持って臨んだが、それ以外にはほとんど何も持っていなかった。スペアもほとんどなく、スペアのシャシーもなく、ボディワークもほとんどなかった」

    「もしクラッシュしてしまっていたら、出場できないマシンがあっただろう。彼らは素晴らしかった。これ以上のドライバーの組み合わせは思いつかない」

  • ブラウンGPの舞台裏を描くF1ドキュメンタリーが11月15日に海外で公開

    ブラウンGPの舞台裏を描くF1ドキュメンタリーが11月15日に海外で公開

    ブラウンGPの2009年F1シーズンの成功を伝えるDisney+のF1ドキュメンタリーが11月15日にが海外で公開される。『Brawn: The Impossible Formula 1 Story』と題された4部構成のこのシリーズは、ハリウッド俳優のキアヌ・リーブスがナレーションを担当。イギリスではDisney+、アメリカではHuluで配信される。

    このドキュメンタリーは、ホンダがF1から撤退することを決定した後、ロス・ブラウンがチームを救った物語が描かれる。

    ブラウン自身、ドライバーのジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロ、テクニカルディレクターのニック・フライ、そして2009年のブラウンの主な挑戦者であるレッドブルのクリスチャン・ホーナーを含む、数人の主要人物へのインタビューが収録される。

    ディズニーはまた、舞台裏の映像や「これまで見られなかった内容の多く」をF1アーカイブにアクセスできることも約束している。

    ハリウッドスターのリーブスはこのドキュメンタリーの司会を務め、英国アカデミー賞を3回受賞したニール・ダンカンソンとともに製作総指揮者の1人でもある。

    このシリーズはノース・ワンが製作し、ショーランナーのサイモン・ハマーソンが脚本を書き、2017年に絶賛されたフェラーリのドキュメンタリー『フェラーリ:不滅へのレース』の監督も務めたダリル・グッドリッチが監督を務める。

    ブラウンGP 『Brawn: The Impossible Formula 1 Story』

    4部構成のシリーズでは、ホンダが2008年シーズン中にワークスチームを売却しようとしたことがきっかけとなったF1史上最も注目すべきストーリーの1つを語る。

    ブラウンGPは、2008年のキャンペーン終了後にホンダがF1撤退を決めたため、遅れてグリッドに追加された。チームはロス・ブラウンによって1ポンドで買収されたと伝えられている。ブラウンはこの組織のオーナー兼チーム代表となり、何百人もの従業員の仕事を救った。

    2009年にメルセデスのエンジン供給を確保し、ブラウンGPはかろうじて乗り切ったものの、ホンダがすでに2009年の新レギュレーション制に向けて開発していたRA109がロケットシップであることが証明された。

    革新的なダブルディフューザーデザインを特徴とする剥き出しのカラーリングでリブランドされたブラウン GP BGP001 は、最終的に冬のテストに登場すると、タイムシートのトップに躍り出た。

    ライバルに比べて予算がはるかに少なかったにも関わらず、ブラウンGPは開幕戦でジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロがフロントローを独占し衝撃を与えた。

    ジェンソン・バトンはレースに勝ち続け、シーズン序盤戦を支配し、年末にブラジルでF1タイトルを獲得。ブラウンGPも、チームが次のキャンペーンに向けてメルセデスに移行する前に、コンストラクターズチャンピオンシップも獲得した。

    メルセデスは最終的に2009年11月にブラウンGPを買収し、2010年にワークスチームとして再参入。ルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグとともに8回連続コンストラクターズタイトル、7回のドライバーズタイトルという目覚ましい快進撃に向けた基礎を築いた。

  • ブラウンGPがF1界に衝撃を与えた日

    ブラウンGPがF1界に衝撃を与えた日

    14年前の3月29日、現代のF1界に衝撃を与えた出来事があった。オーストラリアで開催された2009年F1世界選手権開幕戦で、新チームであるブラウンGPがワンツーフィニッシュを飾った。

    本来であれば、ブラウンGPはメルボルンにいるはずではなかった。2008年末にホンダが突然F1への参戦を終了するまで、このチームはホンダのワークスチームとして活動していた。

    チームプリンシパルを務めていたロス・ブラウンは、チームを存続させるためにマネジメントバイアウトを主導した。そして、チームの買い手を見つけるには、2009年を成功させることが一番だと考えた。

    そして土曜日、ジェンソン・バトンがポールポジションを獲得し、これ以上ないスタートを切ることができた。チームメイトのルーベンス・バリチェロが2番手に続き、スポンサーのほとんどついていない真っ白なブラウンGPのマシンがフロントロウをロックアウトした。

    24時間後のグランプリでは、2人はそのポジションをキープして1位と2位を獲得した。レースはレッドブルのセバスチャン・ベッテルとBMWザウバーのロバート・クビサがクラッシュしたため、セーフティカーが導入された状態で終了した。ヤルノ・トゥルーリは、自身200回目のグランプリ出場で、最後の表彰台を獲得した。

    1954年にメルセデス・ベンツがフランスでデビューして以来、コンストラクターが初レースでポールを獲得し、そのまま優勝したのは初めてのことだった。バトンはその後も5勝を挙げてタイトルを獲得し、バリチェロはさらに2勝を挙げた。

    ブラウンGPは2009年のコンストラクターズチャンピオンシップを獲得した。また、2010年のローレウス・ワールド・スポーツ・アワードのチーム・オブ・ザ・イヤーも受賞した。

    勝利を収めたチームはその後、エンジンサプライヤーのメルセデス・ベンツに買収され、メルセデス・ベンツは次のシーズンである程度の成功を収めた。

    ブラウンGP 2009年 F1オーストラリアGP

  • マクラーレン、2009年にブラウンGPから得た機密情報を使って改善

    マクラーレン、2009年にブラウンGPから得た機密情報を使って改善

    元マクラーレンのボスであるロン・デニスは、2009年にチャンピオンシップリーダーだったブラウンGPにF1マシンのパフォーマンスの機密情報を求めていたことが明らかになった。

    2008年にルイス・ハミルトンが最初のF1ワールドチャンピオンを獲得したマクラーレンだったが、翌2009年シーズンのスタートで躓いた。元ブラウンGPのCEOを務めるニック・フランは、ロン・デニスから要請があり、マクラーレンと情報を共有することに合意したことを彼の著書『Survive. Drive. Win.』で明かした。

    ニック・フライは、ロン・デニスから「お願いがある」と連絡を受けたという。

    ロン・デニスは「君も気づいていると思うが、マクラーレン MP4-24のシャシーは完全にパフォーマンスが劣っている。だが、私のエンジニアは我々の空力パッケージにはお金がかかっていると言う。問題は私が彼らを信じていないことだ。我々がパッケージと風洞のでのテストで見ている正確な数値がどれだけ優れているかを知りたい」と語ったという。

    マクラーレンは、2007年にフェラーリの機密情報を使用した“スパイゲート”事件によってコンストラクラーズ選手権から除外され、FIAから1億ドルの罰金を科せられていたが、ニック・フライによると、ロン・デニスの要求は設計や仕様ではなく、ブラウンGPのマシンパフォーマンスに関するものだったと述べた。

    ブラウンGPは2009年のサプライズだった。2008年に撤退したホンダの資産をロス・ブラウンとニック・フライがマネジメントバイアウトによって取得。ホンダが2009年の新しいレギュレーションに合わせて開発したマシンは、ダブルディフュザーを備えた競争力のあるシャシーを有し、メルセデスのF1エンジンとの組み合わせで非常に高い競争力を発揮。

    ブラウンGPは開幕7戦で6勝を挙げる一方で、マクラーレンは4位がベストフィニッシュだった。

    ニック・フライは「彼(ロン・デニス)は、メルセデスのエンジンを使用することに同意してくれた。マクラーレンはメインのカスタマーとして、メルセデスが他の誰かとリンクするのを止める権利を持っていたにもかかわらず、彼はそれに同意し、拒否権を放棄してくれた」と述べた。

    ニック・フライは「ライバルチームに空力数値を要求することは、通常の要求ではない」と認めつつも、“F1レースの厳重に守られた王冠の宝石”と称するその情報を共有することを決断。詳細を見たロン・デニスは“唖然としていた”と語った。

    2009年後半、マクラーレンはMP4-24を改善させ、2勝と4回のポールポジションを獲得。ブラウンGPはコンストラクターズ選手権を獲得し、ジェンソン・バトンがドライバーズタイトルを獲得。年末にジェンソン・バトンはマクラーレンに移り、メルセデスがブラウンGPを引き継いだ。

  • ジェンソン・バトン、F1イギリスGPでブラウンGPのF1マシンでデモ走行

    ジェンソン・バトン、F1イギリスGPでブラウンGPのF1マシンでデモ走行

    ジェンソン・バトンが、F1イギリスGPの木曜日に2009年にF1ワールドチャンピオンを獲得したブラウンGPのF1マシン『BGP0001』でデモ走行を披露することが決定した。

    このデモ走行は、元ブラウンGPのオーナーで現在はF1スポーティングディレクターを務めるロス・ブラウンが主催。BGP001もロス・ブラウンが所有しているマシンとなる。また、Sky SportでのF1イギリスGP放送にむけて特別な撮影も行われる。

    ブラウンGPは、2008年末にF1から撤退したホンダF1チームが買収して誕生。ホンダが2019年に投入する予定だった『RA109』にメルセデス製エンジンを搭載した『BGP001』は、ホンダの日本人エンジニアが考案したとされるダブルディフューザーを搭載して圧倒的な強さをみせ、17戦中8勝、5度のポールポジションを獲得してダブルタイトルを獲得。6勝を挙げたジェンソン・バトンがワールドチャンピオンに輝いた。

    ブラウンGPは2009年末にメルセデスに買収され、現在、タイトルを5連覇しているメルセデスAMG F1チームの母体となっている。

    関連:2019年 F1イギリスGP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • 【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    【動画】ルーベンス・バリチェロ、ブラウンGP BGP001で10年ぶりに走行

    元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロが、7月6日(土)にブラウンGPのF1マシン『BGP001』のステアリングを10年ぶりに握った。

    ブラウンGPは、2008年末にF1から撤退したホンダF1チームが買収して誕生。ホンダが2019年に投入する予定だった『RA109』にメルセデス製エンジンを搭載した『BGP001』は、ホンダの日本人エンジニアが考案したとされるダブルディフューザーを搭載し、圧倒的な強さをみせた。

    2009年に17戦中8勝、5度のポールポジションを獲得してダブルタイトルを獲得。ジェンソン・バトンがワールドチャンピオンに輝いた。ルーベンル・バルチェロも2勝を挙げてランキング3位でシーズンを終了。ブラウンGPは2009年末にメルセデスに買収され、現在、タイトルを5連覇しているメルセデスAMG F1チームの母体となっている。

    ルーベンス・バリチェロは「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」でBGP001を10年ぶりに走らせた。

  • ニック・フライ 「アロンソはブラウンGPで走るチャンスを逃した」

    ニック・フライ 「アロンソはブラウンGPで走るチャンスを逃した」

    元ブラウンGPとメルセデスのCEOを務めたニック・フライは、フェルナンド・アロンソが2008年にホンダのオファーを断り、結果として2009年にタイトルを獲得したブラウンGPでタイトル争いをして、その後メルセデスの一員になるチャンスを逃したと述べた。

    「フェルナンドは2009年にニック・ブラウンとロス・ブラウンのために走っているべきだった。そうしていれば、彼は今日、4度のワールドチャンピオンだっただろう」とニック・フライはスペインで開催されたMABSで述べた。

    「フェルナンドは失われた才能の一人かもしれない。彼がもっと良い決断をしていれば、彼ははるかに良いドライバーになっていただろう」

    2007年にマクラーレンと対立したフェルナンド・アロンソは、2008年にむけたマーケットに出ていた。そして、アロンソは2005年と2006年に2度のタイトルを獲得したルノーへの復帰を決断した。

    2008年、ロス・ブラウンはF1でホンダを一大勢力へと変えようとしており、フェルナンド・アロンソは獲得リストのトップに名を連ねていた。

    その年のベルギーGPで、ホンダはフェルナド・アロンソにオファーしたことは明らかだった。ロス・ブラウンは「我々はとにかく(フェルナンド・アロンソを)待つ。私の見解では彼は現時点でベストであり、彼が我々のためにポジティブな決断をしてくれることを待ち、望んでいる」と述べていた。

    「経験と能力のバランスと言う点で彼はF1で最高のドライバーだと思う。F1でこれまで自分自身を確立させている3人のとても速いドライバーがいる。ルイス・ハミルトン、キミ・ライコネン、そして、フェルナンドだ」

    「我々は力強い再建プロセスを進めており、我々の立場でチームとしてその3人を見れば、力強い開発能力、経験、絶対的なスピードのあるドライバーが必要だ。フェルナンドはその全てを兼ね備えている」

    ホンダは2008年末にF1から撤退し、ロス・ブラウンがチームを買収してブラウンGPを設立。ホンダが造り上げたマシンにメルセデスのエンジンを搭載。フェルナンド・アロンソに断られた後、2008年のドライバーだったジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロがそのまま残留してダブルタイトルを獲得。

    2009年末にロス・ブラウンはチームをメルセデスに売却した。その後、メルセデスはルイス・ハミルトンが2回、ニコ・ロズベルグが1回のワールドチャンピオンを獲得するF1での最大勢力となった。

    実際にフェルナンド・アロンソは2008年にレッドブルからのオファーも断っている。レッドブルは2010年からセバスチャン・ベッテルがタイトルを4連覇している。

    当時ルノーの代表を務めていたフラビオ・ブリアトーレにとって管理されていたフェルナンド・アロンソは、ルノーで2年間不遇のシーズンを過ごし、2010年にフェラーリへと移籍。2015年にマクラーレン・ホンダに復帰したフェルナンド・アロンソの現状は見ての通り。時代の波に乗れなかったことを示すことになった。

  • ジェンソン・バトンのブラウンGP F1マシンがグッドウッドで復活

    ジェンソン・バトンのブラウンGP F1マシンがグッドウッドで復活

    2009年にジェンソン・バトンがF1ワールドチャンピオンを獲得したブラウンGPのF1マシン『BGP001』が、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで久しぶりに走行することになった。

    ジェンソン・バトンがタイトル獲得まで使い続けたBGP001のシャシー002は、シーズンが終了した後は一度も走っていない。

    現在、マシンは当時のチーム代表ロス・ブラウンが所有しているが、2016年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでマーティン・ブランドルがドライブすることが決定した。

    「3台しか作られなかったBGP001の1台がフェスティバル・オブ・スピードに登場するのは本当にに喜ばしいことだ」とロス・ブラウンは述べた。

    「ジェンソン・バトンがタイトルを獲得した2009年にシーズンを通して使い続けたシャシー002は、これまでコレクションの一環として私が持っていたものだ。そのマシンがあの素晴らしいシーズン以来、初めて走るのだから、待ち切れない」

    「私が手に入れる前に一度分解され、新たに組み直されていたので、これまで公の場に出ることはほとんどなかった」

    「D3レーシング・ソリューションズのフレーザー・ディーンが細心の注意を払ってヒルクライムへの準備を整えており、当時マシンを担当していたメカニック数名もグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで走らせるために時間を割いてくれている」

    「あのマシンを見てもらうにはグッドウッド以上の場所など考えられない。本当にに素晴らしいイベントだ。私も何度も訪れて、重要なレーシングマシンを近くで見ることを非常に楽しんできた。F1では自分たちのマシンには近づけるが、他の人たちのものにはなかなか近づけないからね!」

    「人々のモータースポーツの歴史に対する熱意もイベントがこれほどまで成功している理由の1つだろう。本当に素晴らしい運営だし、歴史の勉強にもなる」

    ブラウンGPは、2008年末にF1から撤退したホンダからロス・ブラウンがチームを買収して誕生。2009年にジェンソン・バトンがタイトルを獲得した後、メルセデスが買収して現在に至る。

    BGP001は、ホンダが「RA109」として開発していたマシン。そこにメルセデスエンジンを搭載。ホンダの日本人エンジニアが考案したとされるダブルディフューザーを搭載し、圧倒的な強さをみせた。