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  • F1ドライバー 故ジュール・ビアンキのカート発見 父フィリップが安堵と感謝

    F1ドライバー 故ジュール・ビアンキのカート発見 父フィリップが安堵と感謝

    フィリップ・ビアンキは、先週盗難に遭っていたカートのうち、息子ジュール・ビアンキが最後にレースで使用した1台が無事に発見されたことを受け、「計り知れない喜び」と「大きな安堵」を感じていると明かした。

    盗難事件では、JB17シャシーを含む9台のカートが持ち去られ、そこにはF1昇格前、シングルシーターへ進む直前にジュール・ビアンキが実際に走らせた思い出のマシンも含まれていた。さらに、孫たちが使用していたミニカートも被害に遭っていた。

    フィリップ・ビアンキは事件直後、SNSを通じて盗難を公表し、「カーティング・ファミリー」に向けて、転売の動きに注意するよう呼びかけていた。

    「マシンの金銭的価値以上に、我々を苦しめているのはその感情的価値だ」

    と書き込み、深い悲しみを吐露していた。

    それから約1週間後、フィリップ・ビアンキは再びSNSを更新し、次のように報告した。

    「計り知れない喜びをもって、ジュールのカートが見つかったことを報告できる。家族全員にとって、本当に大きな安堵だ」

    「情報を拡散してくれたすべての方々、報道で支援してくれたメディア、そして尽力してくれたブリニョール憲兵隊に心から感謝したい」

    「皆さんのおかげで希望を取り戻すことができた。まだ数台のカートとミニバイクは見つかっていないが、必ず見つかると信じている。永遠に、ジュール」

    ジュール・ビアンキは2013年にマルシャからF1デビューを果たし、2014年のモナコGPではチーム史上初となる選手権ポイントを獲得した。

    フェラーリの育成ドライバーとして将来を嘱望されていたビアンキは、将来的にフェラーリのレースシートに座る可能性も取り沙汰されていた。

    しかし2014年の日本GPで悪天候の中、重大な事故に遭い、9か月後に帰らぬ人となった。

    逝去から11年以上が経過した今も、ジュール・ビアンキはF1界、そしてモータースポーツ全体の中で、深い敬意とともに語り継がれている。

  • 故ジュール・ビアンキの思い出のカート盗難 父フィリップが情報提供を要請

    故ジュール・ビアンキの思い出のカート盗難 父フィリップが情報提供を要請

    故ジュール・ビアンキの父であるフィリップ・ビアンキが、息子の思い出が詰まったカートが盗難被害に遭ったとして、SNSを通じて協力を呼びかけている。

    ジュール・ビアンキがこの世を去ってから10年以上が経った今も、その名はF1と、彼を育てたカート界において特別な意味を持ち続けている。だが今週、その共有されてきた記憶と敬意が、あまりにも痛ましい形で試されることになった。

    ビアンキの父であるフィリップ・ビアンキは、家族が所有していた複数のカートが盗難被害に遭ったことを明らかにした。その中には、ジュールがシングルシーターにステップアップする直前、最後に走らせていたカートも含まれていた。

    物質的価値を超えた喪失
    ジュール・ビアンキのキャリアは、卓越したカートでの実績を土台として築かれてきた。その才能は2013年のF1デビューで結実し、マルシャF1での走り、そしてフェラーリの育成ドライバーとしての立場によって、将来を嘱望される存在となった。

    2014年モナコGPで9位に入った走りは、マルシャにとって初となる選手権ポイントをもたらし、ビアンキの名を確固たるものにした。しかし同年、日本GPのウエットコンディション下での事故により重度の頭部外傷を負い、9か月後の2015年7月、25歳という若さで命を落とした。

    それから11年が経った現在も、ビアンキの記憶はモータースポーツの世界に深く刻まれている。その象徴のひとつが、彼の歩みを称える「JB17 Forever」の名を冠したカートだ。そして今回、盗まれたのはまさにそのマシンだった。

    「親愛なる友人たちへ。今夜、私はカート界の家族に向けてこのメッセージを書いている」とフィリップ・ビアンキはフェイスブックに綴った。

    「昨夜、我々は盗難被害に遭い、恥知らずな窃盗犯たちは9台のJB17 Foreverシャシーを持ち去った」

    被害はそれだけにとどまらない。

    「さらに悪いことに、彼らはジュールの最後のカートであるKZ125 ART GPモデル、そして私の孫たちのミニカートまでも盗んだ。マシンの金銭的価値以上に、我々を傷つけているのは、その思い出の価値だ」と続けている。

    ジュール・ビアンキ F1

    カート界への切実な呼びかけ
    フィリップ・ビアンキの投稿は、単なる被害報告ではなく、息子の名を今なお大切にしているモータースポーツ界への切実な訴えでもあった。JB17 Foreverのカラーリングと名前はジュールのレガシーと強く結びついており、もし市場に出回れば、見過ごされることはないと彼は信じている。

    「もしJB17のカートを見かけたら、どうか私に知らせてほしい。よろしくお願いします」とフィリップは協力を求めた。

    情熱、記憶、そして共有された歴史の上に成り立つモータースポーツという世界において、この訴えはすでに多くの人々の心に届いている。

    10年以上にわたりジュール・ビアンキの遺志と記憶を守り続けてきたコミュニティが、今度はその象徴とも言える“最後のマシン”を守り、無事に家族のもとへ戻す力となることが、強く願われている。

  • ジュール・ビアンキ F1日本GPでの悲劇的な事故から10年

    ジュール・ビアンキ F1日本GPでの悲劇的な事故から10年

    10月5日は、ジュール・ビアンキがF1日本GPで致命的な頭部外傷を負ってからちょうど10年目となる。

    2014年10月5日、台風ファンフォンが日本を襲った際、マルシャのドライバーだったジュール・ビアンキは鈴鹿での2014年F1日本GP中に回収車と衝突した。彼は頭部に重傷を負い、意識を取り戻すことはなかった。

    ジュール・ビアンキは2015年7月17日にフランスの故郷ニースで亡くなり、1994年のアイルトン・セナ以来、グランプリ中の負傷により死亡したF1ドライバーとなった。

    ビアンキが負った脳損傷はびまん性軸索損傷と呼ばれるもので、脳が急速に加速し、その後減速することで引き起こされる。ビアンキのような重度の症例では、患者は通常、回復しない。

    家族は彼を偲んで、ジュール・ビアンキ協会を設立した。この協会は、重度の脳損傷を負った愛する人を持つ家族への支援を行っており、彼の父フィリップさんは、最終的に死亡事故に遭ってから10年を経て行っている活動の「良い面」について詳しく語った。

    「それがジュールスを今日まで存続させる唯一の方法だ」と彼はフィーダーシリーズに語った。

    「ジュールは昏睡状態で日本から帰国し、ニースの脳損傷科に入院した」

    「病棟の全員が彼に対して本当に素晴らしい対応をしてくれた。ジュールスが亡くなったとき、私たちはこの病院にはやるべきことがたくさんあることに気づいた」

    「ジュールスは有名で、愛され、ハンサムで、優しい人だった…私たちの不幸の中で幸運だったのは、不幸中の幸いは、ジュールが世間に知られていたことだ」

    「子どもを亡くして悲しんでいる人たちにたくさん会っているが、彼らは私たちほど幸運ではない」

    「私たちは常にポジティブな面を見る必要がある。これはかなり逆説的だと言わざるを得ない」

    「私たちにとってのポジティブな面は、ジュールズを私たちの活動を通じて生き続けさせることができることだ。ジュールズは今でも活動している。それがすべてに魔法をかけるのだ。」

    ジュール・ビアンキ

    安全性の向上
    事故後、FIAは状況を調査し、同様の事故が再び発生する可能性を低減するためにバーチャルセーフティカーが導入された。ビアンキは、エイドリアン・スーティルの事故車となったザウバーが回収され、回収車に衝突した際に、ダブルイエロー中にトラックからコースアウトしてハイドロプレーニング現象を起こした。

    2018年に導入されたヘイローは、その衝撃の大きさを考えればビアンキの命を救うことはできなかったかもしれないが、ビアンキの母親クリスティーンは、このような安全技術の進歩は「いくらか安心感を与えている」と明かした。

    「私たちにとってはまだ難しい状況ですが、ジュールスを偲んで私たちが作った協会を前進させるために、私たちはできることをしています」とデイリー・ミラー紙は彼女の言葉を引用している。

    「私たちはニースのアルシェ病院にも協力し、脳損傷部門の患者やジュールの世話をするスタッフの安楽のために物品を購入しています」

    「F1で進歩した安全対策は、他のドライバーを救っています。バーチャルセーフティカーやヘイローなどです。ジュールズの記憶は生き続けていますが、それらは私たちにいくばくかの安らぎを与えてくれます」

  • シャルル・ルクレール 「ビアンキの死でF1の夢を諦めはしなかった」

    シャルル・ルクレール 「ビアンキの死でF1の夢を諦めはしなかった」

    シャルル・ルクレールは、先輩ドライバーのジュール・ビアンキが2014年のF1日本GPでの事故でこの世を去っても、F1ドライバーになるという夢を決して諦めることはなかったと語る。

    フェラーリでの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月17日に25歳の若さでこの世を去った。

    ジュール・ビアンキと同じようにフェラーリのドライバーアカデミーとしてキャリアを進めてきたシャルル・ルクレールは、ビアンキの死によってF1ドライバーになるという夢を捨てようと考えたことは一度もなかったと語った。

    「自分のキャリアをやめようと考えた時間は一度もなかった」とシャルル・ルクレールは BBC Sport にコメント。

    「このスポーツに入った初めからどれくらい危険なものであるかはわかっていた。決して安全なスポーツではない」

    「もちろん、クルマはどんどん安全になってきているけど、340km/hで走っているときは決して安全ではない。それは最初からわかっていた。彼は僕に多くのことを教えてくれたので、彼のためにも良くなっていくことを望んではいた」

    「彼はいつも僕を前進さえ、もっと良いなるために手助けをしてくれた。あのようなことが起こったとき唯一考えたのは、彼に誇りに思ってもらえるように良いドライバーになろうということだけだった」

    今年フェラーリのドライバーとなったシャルル・ルクレールは、バーレーンとオーストリアでF1初勝利に近づいたが、バーレーンではエンジントラブル、オーストリアでは残り3周でマックス・フェルスタッペンに抜かれて実現しなかった。

    しかし、4戦連続で表彰台を獲得しているシャルル・ルクレールは、ドライバーズランキング4位のチームメイトのセバスチャン・ベッテルに3ポイント差まで迫っている。

    シャルル・ルクレールは、キャリア初期から行ってきたメンタルトレーニングが奏功していると語る。

    「言葉で表すのは難しい。ウェイトを上げて、毎週より多くのウェイトを上げられることで違いがわかるような体力トレーニングとは違うからね」とシャルル・ルクレールはコメント。

    「プロセスは少し似ている。でも、結果は簡単には目に見えない。自分がどのように感じているか、どのようにプレッシャーに対処できているかが重要だからね。はるかに自然になってきている」

    でも、その結果をより確認するための多くのテストがある。集中力、緊張した瞬間に落ち着くことができるか、できるだけ早くに自分を落ち着かせることができるかなどね」

    「F1の週末には多くのことがあるし、5分あれば、そこでできるかぎり落ち着かせる必要がある。そのような詳細が最終的に小さな差を生むんだと思う」

    「初勝利がすぐにやってくることを願っている。でも、そのあとはもっと多くの勝利を挙げたい。でも、やっぱり今の目標は初勝利だし、いかなるチャンスでも逃したくない」

    「今後については・・・子供の頃の夢はワールドチャンピオンになることだった。今はやっとそれが現実的なチームにいると思うし、僕たちは仕事を続けていく必要がある。いつかそれが実現することを願っているよ」

  • ジュール・ビアンキの死から4年・・・F1の安全性の強化

    ジュール・ビアンキの死から4年・・・F1の安全性の強化

    ジュール・ビアンキがこの世を去ってから4年が経過。F1は彼の死を決して無駄にはしていない。

    フェラーリの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月17日に25歳の若さでこの世を去った。

    ジュール・ビアンキは、現在のシャルル・ルクレールがそうしているように、フェラーリの将来を担うドライバーとして期待されていた。しかし、彼のF1キャリアは34戦というあまりに短く幕を閉じることになった

    ジュール・ビアンキの事故の調査は、バーチャルセーフティカーの導入、そして、コックピット保護デバイス『ヘイロー(Halo)』の採用など、F1に安全性の向上をもたらした。

    ジュール・ビアンキが使用していたカーナンバー17は、F1の永久欠番となっており、ビアンキというドライバーはこれからも忘れられることはない。

  • ダニエル・リカルド 「ビアンキの死は僕の人生に大きな影響を与えた」

    ダニエル・リカルド 「ビアンキの死は僕の人生に大きな影響を与えた」

    笑顔がトレードマークのダニエル・リカルドだが、ジュール・ビアンキの死は自分の人生に大きな影響を与えたと振り返る。

    ダニエル・リカルドとジュール・ビアンキは、ジュニアカテゴリーでホイール・トゥ・ホイールのバトルを経てお互いを知り、コース上での競争の裏で友情を築いてきた。

    だが、ジュール・ビアンキは、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝レースでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、母国フランスの病院に転院したが、意識が戻らないまま翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    ダニエル・リカルドは、ジュール・ビアンキの死が自分にどのような影響を与えたかを振り返った。

    「2015年には人生のより個人的なレベルで多くのことが起こった」とダニエル・リカルドはコメント。

    「ジュールの死はこれまで考えていた以上に僕に影響を与えた。その時に僕の人生で起こったいろいろなことが僕という人間を次のバージョンへと変えた」

    ジュール・ビアンキの葬儀は、F1ハンガリーGPの数日前に多くのF1関係者が見守るなかで営まれた。

    「そのあと最初に戻ったレースがブダペストだった。そして、それはその年の僕の表彰台であり、チームはダブル表彰台を獲得した。週末全体がとてもエモーショナルだったことを覚えている」

    「表彰台を獲得できたことは物凄い感覚だったし、大きな安堵の感謝の瞬間だった」

    ダニエル・リカルドは、今シーズン限りで5年間で7回の勝利を挙げたレッドブル・レーシングを離れて、2019年からはルノーに移籍して新たな一歩を踏み出す。

  • シャルル・ルクレール、ジュール・ビアンキの死と向き合うF1日本GP

    シャルル・ルクレール、ジュール・ビアンキの死と向き合うF1日本GP

    シャルル・ルクレールは、親友だったジュール・ビアンキの死と向き合うことになる今週末のF1日本GPは“とても難しい”“感情的”な週末になると語る。

    フェラーリの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    ジュール・ビアンキの後を継いで2019年にフェラーリへと昇格してタイトル獲得というタスクを科せられているシャルル・ルクレールは、今週末、初めてのF1日本GPにむけてジュール・キビアンキの事故現場となった鈴鹿サーキットを訪れた。

    「もちろん、とても難しい週末っだ」とシャルル・ルクレールはコメント。「ジュールは本当に助けになってくれたし、レース面だけでなく、家族のような存在だった。だから、とても難しい」

    「これまで日本に来たことはなかったし、午前中のトラックウォークはかなり感情的だった。難しい週末ではあるけど、その一方でできるかぎり最高の仕事ができるように今週末に集中する必要がある」

    水曜に鈴鹿サーキットに到着した際にジュール・ビアンキの事故現場を訪れたというシャルル・ルクレールは、2019年にビアンキを追悼するスペシャルヘルメットを計画していると明かした。

    「来年、ヘルメットで何がやろうと考えているのは確かだ。でも、スペシャルヘルメットは一回だけというルールがあるし、今年は父のために作った」とシャルル・ルクレールはコメント。

    「来年はジュールと僕の父のために両サイドをわけたヘルメットを制作するアイデアがある。今年は特別なことはできないけど、できるだけ彼のことをみんなに思い出してもらえるようにしていきたい」

    関連:2018年 F1日本GP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • ピエール・ガスリー、鈴鹿のジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリー、鈴鹿のジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリーは、今年もジュール・ビアンキが事故に遭った鈴鹿サーキットのコーナーに花を手向けた。

    ジュール・ビアンキは、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝レースでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、母国フランスの病院に転院したが、意識が戻らないまま翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    F1日本GPにむけてピエール・ガスリーは「また、元F1ドライバーのジュール・ビアンキが亡くなった場所でのレースは、僕にとっては非常に感慨深いことでもある。鈴鹿サーキットに行く際は 、黙祷を捧げるために、必ず彼がクラッシュを起こした場所を訪れている」と語っていた。

    ジュール・ビアンキと同じフランス出身のドライバーであるピエール・ガスリーは4日(木)、先輩ドライバーが事故に遭った鈴鹿サーキットのダンロップコーナーのウォールに献花した。

    関連:2018年 F1日本GP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • ピエール・ガスリー、ジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリー、ジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリーが、ジュール・ビアンキが事故に遭った鈴鹿サーキットのコーナーに花を手向けた。

    ジュール・ビアンキは、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝レースでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、母国フランスの病院に転院したが、意識が戻らないまま翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    2014年のF1日本グランプリが開催された10月5日の今日、ジュール・ビアンキと同じフランス出身のドライバーであるピエール・ガスリーは、先輩ドライバーが事故に遭った鈴鹿サーキットのダンロップコーナーのウォールに献花した。

    「3年前の今日。決して忘れない。#JB17」とピエール・ガスリーはTwitterにメッセージを添えた。

    ピエール・ガスリーは、前戦マレーシアに続き、ダニール・クビアトに代わってスクーデリア・トロ・ロッソからF1日本グランプリに参戦する。

    関連:2017 F1日本GP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • フランス・ニース市に“ジュール・ビアンキ ストリート”

    フランス・ニース市に“ジュール・ビアンキ ストリート”

    フランスのニース市は、亡くなったF1ドライバーのジュール・ビアンキの功績に敬意を表して、ストリートに彼の名を付けることを発表した。

    1989年にニース市で生まれたジュール・ビアンキは、2014年のF1日本GPでのクラッシュで頭部を損傷。意識を取り戻すことなく、2015年7月17日にこの世を去った。

    ニース市のフィリップ・プラダル市長とメトロポール代表のクリスチャン・エストロジは、1月23日(月)にストリートセレモニーを行うことを発表した。

    また、フランスのテック1レーシングは、ジュール・ビアンキ協会をサポートするために今年のフォーミュラ・ルノー・ユーロカップでマシンにロゴを掲載することを発表している。