カテゴリー: ミハエル・シューマッハ

  • パパラッチ、ミハエル・シューマッハの現状を追うも記事化に躊躇

    パパラッチ、ミハエル・シューマッハの現状を追うも記事化に躊躇

    報道機関は今でもミハエル・シューマッハの現状を伝えるために取材を続けているが、記事化には二の足を踏んでいる。

    ミハエル・シューマッハがスキー事故で重傷を負ってから4年の月日が流れ、ファンは今月3日のミハエル・シューマッハの49歳の誕生日を悲しみとともに迎えた。

    友人のセバスチャン・ベッテルもその悲しみを語る。「僕は彼が理にかなっていないことを言っているのを聞いたことがない。彼はいつもすべてをコントロールしていた」とセバスチャン・ベッテルは La Gazzetta dello Sport に語った。

    「カート、レース・オブ・チャンピオンズの相棒、F1カーに乗っているかに関わらずね。彼は自分の状況を常に把握していたという印象がある」

    L’Equipe の報道によると、ミハエル・シューマッハは、スイスの邸宅の敷地内の小さな家に移って専門の治療を受けているという。

    また、フランスの報道によると、2人のジャーナリストがジュネーブ湖畔に取材にいったが、ミハエル・シューマッハのセキュリティに止められ、職務質問を受けたと言う。

    あるパパラッチは「我々の仕事は何が起こっているかを追うことだ」とコメント。

    「我々は何枚か写真を撮ったが、我々のデーターベースには追加しないことに決めた。あのような状況にある人物の写真を公開するのは出版社のイメージを損なうだけだ」

    長年ミハエル・シューマッハのマネージャーを務めるザビーネ・ケームは、スキー事故から4年が経過した今もシューマッハの容体について非公開にしている理由を改めて説明した。

    「事故が起こる前、彼は私に『計画を立てろと電話するのはやめてほしい。姿を消していたい』と言っていました。秘密にしておくことが彼の願いだったのです。今、私が何も話さないのはそれが理由です」とザビーネ・ケームは L’Equipe に語った。

  • ミハエル・シューマッハ、49歳の誕生日

    ミハエル・シューマッハ、49歳の誕生日

    ミハエル・シューマッハが、1月3日(水)に49歳の誕生日を迎えた。

    7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、2013年12月29日にフランス・グルノーブルのメリベル・リゾートでスキーを楽しんでいる最中に転倒して頭を岩に強打して頭部に重傷を負い、現在もスイスの自宅で療養を続けている。

    事故から4年の月日が流れたが、2014年9月にスイスの自宅での療養を開始したとの情報以降、ミハエル・シューマッハの容体は、プライバシーを守るという家族の意向により、非公開とされている。

    Happy Birthday to Michael Schumacher!

  • フェルナンド・アロンソ 「シューマッハから貰ったヘルメットは宝物」

    フェルナンド・アロンソ 「シューマッハから貰ったヘルメットは宝物」

    フェルナンド・アロンソが、7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハに深い敬意を表した。

    ルノー時代の2005年と2006年にミハエル・シューマッハ(当時フェラーリ))を倒してF1ワールドチャンピオンを2連覇したフェルナンド・アロンソは、シューマッハは“最大のライバル”だと語る。

    「彼は厳しい競争相手だった。それが最初に思い浮かぶことだ。彼は非常に速く、時に威圧的だった。それは事実だ。コース上だけでなくね」とフェルナンド・アロンソはコメント。

    「シューマッハは、過去も現在も、そして、これからもずっとそう思っていく人物のひとりだ。彼が自分の方に歩いてくると、彼が特別な人であることがわかった」

    ミハエル・シューマッハは、アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ミカ・ハッキネンといったF1の伝説的なドライバーを打ち負かした。

    ミハエル・シューマッハが圧倒的な強さを見せたのは最高のクルマを持っていたからだという意見を持つ者が多いが、フェルナンド・アロンソは必ずしもそうではなかったと語る。

    「彼は時に予想を上回るパフォーマンスを発揮していた。ブリヂストンとミシュランのパフォーマンスに差があった2006年のレースでさえね。ミシュランの方が優れていた時代だった」

    「例えば、金曜日にフェラーリは競争力がなかったのに、予選では彼が2番手にいた。それは信じられないことだし、本当に競争的で、とても厳しい競争相手だった。本当に偉大で素晴らしいドライバーだ。他の人では無理な劣ったクルマでもどうにかすることができる数少ない一人だ」
    2006年のフェラーリでの最後のレースで、ミハエル・シューマッハはフェルナンド・アロンソに彼のヘルメットをプレゼントした。

    「ミハエルから貰ったヘルメットはずっと宝物だ。彼は僕が戦ったなかで間違いなく最も偉大なドライバーだからね。僕はいつも彼のことをお手本として仰いでいた」

    「僕たちが同じ時に同じ機材を使っていたら、どんなことが起こっていただろう。興味は尽きない。彼は信じられないようなレースドライバーで、信じられないくらい競争力のある厳しいライバルであり、素晴らしい男だった」

    ミハエル・シューマッハがスキー事故に遭ってから4年の月日が流れた12月29日、フェルナンド・アロンソは2005年に鈴鹿サーキットで開催された日本GPで130Rのアウトからミハエル・シューマッハをオーバーテイクした動画をリツートし、「これを恋しく思う。ミハエルを恋しく思う」と投稿している。

  • ミハエル・シューマッハ、スキー事故から4年

    ミハエル・シューマッハ、スキー事故から4年

    ミハエル・シューマッハがスキー事故に遭ってから4年の月日が流れた。

    2013年12月29日、7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、フランス・グルノーブルのメリベル・リゾートでのスキー中に転倒事故を起こし、頭部に重傷を負った。2014年9月にスイスの自宅での療養を開始したとの状況以降、家族はシューマッハの容体については非公開にしている。

    事故から4年が経った29日(金)、フェルナンド・アロンソとデイモン・ヒルらがミハエル・シューマッハへの敬意を示した。

    フェルナンド・アロンソは、2005年に鈴鹿サーキットで開催された日本GPで130Rのアウトからミハエル・シューマッハをオーバーテイクした動画をリツートし、「これを恋しく思う。ミハエルを恋しく思う」と投稿。

    この投稿にジェンソン・バトンは「特別な時間だったね、相棒」とリツイートしている。

    フェリペ・マッサはF1公式サイトの動画で「ミハエルは僕の先生だった。彼はとても素敵だったし、ずっと僕に親切にしてくれた。彼が引退することを決めたとき、彼は僕に大きなチャンスを与えてくれた」とコメント。

    このコメントに対し、デイモン・ヒルは「彼は僕にはそれほど親切ではなかったよ! でも、僕は彼を許すことにする。お互いをもっと良く知ることができなかったのは残念だ。本当に残念だよ」とTwitterで語った。

  • フェリペ・マッサ 「ミハエル・シューマッハは僕の先生だった」

    フェリペ・マッサ 「ミハエル・シューマッハは僕の先生だった」

    フェリペ・マッサが、自身のF1キャリアをプロのドライバーとして、そして、一人の人間として振り返った。

    フェリペ・マッサは16年のF1キャリアで269戦を戦い、11勝、16回のポールポジション、30回の表彰台を獲得した。2002年にザウバーでF1デビューを果たしたフェリペ・マッサは、2006年にルーベンス・バリチェロに代わってフェラーリに加入。彼が“先生”だと慕うミハエル・シューマッハとチームメイトになった。

    「彼(シューマッハ)は僕の先生だった。彼はとても素敵だったし、ずっと僕に親切にしてくれた。彼が引退することを決めたとき、彼は僕に大きなチャンスを与えてくれた」

    「初優勝は2006年。ブラジルのホームでだった。ブラジルには、いつも多くのタイトルや勝利を獲得したドライバーがいた。セナは僕にとって王様だったし、優勝できたときは驚きべき気持ちだった」

    フェリペ・マッサは、2008年にホームでの最終戦でルイス・ハミルトンにわずか1ポイント差でワールドチャンピオンを逃した。だが、最大限を尽くして優勝できたことで悔いはないと語る。

    「2008年の失望の助けになったのは最終戦で優勝できたことだ。それ以上のことはできなかったからね」とフェリペ・マッサはコメント。

    「僕の気持ちを人々に伝えることもできた。自分が達成したすべてのことを誇りに思っている」

    2009年のハンガリーGPの予選では命を脅かす重傷を負ったが、2010年にカムバックを果たした。

    「ドライバーとして、事故後も変わりはなかったと思う。変わったことは、以前よりも生きることにより敬意を払うようになったことかな。大きな事故を起こす前は、自分には決してそのようなことが起こることはないと考えるものだ」

    「大きな事故に合って、人生が変わる可能性があることを理解する瞬間を経て、生きることにより大きなリスペクトを払うことができる。今は自分の人生を愛しているし、他の人たちのことを以前よりもレスペクトしている」

    2013年にはウィリアムズに移籍。2016年に一度引退を表明したが、メルセデスに移籍したバルテリ・ボッタスの代わりとして電撃復帰。そして、今年のブラジルGP前に2度目のF1引退を発表した。

    Felipe Massa’s F1 journey – in his own words

  • ジャン・トッド 「ミハエル・シューマッハは今もなお戦っている」

    ジャン・トッド 「ミハエル・シューマッハは今もなお戦っている」

    FIA会長のジャン・トッドは、友人でF1レジェンドのミハエル・シューマッハに感動的なメッセージを捧げた。

    FIAは4日(月)にモータースポーツ殿堂を設立し、33名のF1ワールドチャンピオンの殿堂入りを祝った。パリのフランス自動車クラブの本部で催された式典には9名のF1ワールドチャンピオン、代表者、家族らが一堂に会した。

    ジャン・トッドは、7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハが式典の場にいないことが寂しいとスピーチで述べた。

    「我々はミハエルがこの場にいなことを寂しく思っている」とジャン・トッドがコメント。

    「彼はそこにいて、今もなお戦っている。私はファミリービジネスを運営するザビーネがここにいることを嬉しく思う」

    「今夜は(息子の)ミックにも来て欲しかったが、彼はスペインでテストをしていおり、(妻の)コリーナはアメリカにいる」

    「戦いは続いている。ミハエルは非常に特別な男であり、モータースポーツにとって特別な男だ。彼は私にとって特別な男であり、友人だ」

    ミハエル・シューマッハの代理として出席した長年のマネージャーであるザビーネ・ケームは「私は今夜のイベントには役不足ですね」とスピーチ。

    「我々全員が、マイケルがここにいるべきであることをわかっていますし、彼もここにいたかったと確信しています」

    「彼は常にこの部屋の全員に最大の敬意を払っていましたし、彼はとても光栄だと思います。ミハエルを特別な存在にして、彼を成功させてくれたのは、この部屋にいる皆さんと同じく、スポーツへの愛と情熱でした」

    関連:FIA殿堂設立…33名のF1ワールドチャンピオンが殿堂入り

  • ミハエル・シューマッハの2001年F1優勝マシンが約8億4000万円で落札

    ミハエル・シューマッハの2001年F1優勝マシンが約8億4000万円で落札

    ミハエル・シューマッハが最後にF1モナコGPを制したフェラーリの2001年F1マシン『F2001』がニューヨークで実施されたオークションで750万4000ドル(約8億4000万円)で落札。これまでオークションに出品されたなかで最も価値の高い近代F1マシンとなった。

    ミハエル・シューマッハが2001年に4回目のタイトルを獲得したフェラーリ F2001のシャシー#211は、マンハッタンで開催れたオークション“Sotheby’s Contemporary Art Evening Sale”に出品された。

    推定金額は400万ドル(約4億5,000万円)とされていたが、最終価格はそれを大きく上回り、750万4000ドルまでつり上がった。落札額の一部は、元オーナーからミハエル・シューマッハのキープ・ファイティング基金に寄付される。

    このマシンは、2001年にミハエル・シューマッハが最後にF1モナコGPを制したマシンとして有名であるだけでなく、ハンガリーGPで4度目のタイトルを決めたマシンでもある。このシーズン、ミハエル・シューマッハは17戦で9勝を挙げて、2位となったデビッド・クルサードのほぼ2倍のポイントを獲得し、フェラーリで2年連続、自身4度目のタイトルを獲得している。

  • ミハエル・シューマッハ、脳損傷の専門医がいるアメリカに移住との報道

    ミハエル・シューマッハ、脳損傷の専門医がいるアメリカに移住との報道

    ミハエル・シューマッハが、脳損傷の専門医がいるアメリカに移住する可能性があると報じられている。

    ミハエル・シューマッハは2013年12月にスキー事故で頭部に重傷を負った。2014年に退院して以降、スイスの自宅でリハビリを続けているとされている。

    ミハエル・シューマッハの家族は、48歳になったシューマッハの容体について、全ての情報を非公開にしている。

    しかし、ドイツの雑誌 Bravo は、ミハエル・シューマッハの容体はまだ“弱い”状態にあり、妻コリーナは、アメリカに救いの手を求めたと報道。

    報道によると、ミハエル・シューマッハは、家族が畜産農場を所有するテキサス州ダラスに移送されるという。

    ダラスでは、マーク・ミークスという脳損傷の専門医がクリニックを開設しており、ミハエル・シューマッハは“新たな希望”を見い出しているという。

    マーク・ミークスは「外傷患者の経験は豊富です。ヨーロッパには我々ほど多くの症例を扱っているクリニックはないでしょう」と述べている。

    報道が事実であれば、残念ながら、ミハエル・シューマッハの容体は改善していない可能性が高いが、その一方で希望は残されていることになる。

    F1界でミハエル・シューマッハを見舞ったのはFIAのジャン・トッド会長だけだが、「まだ戦っている」と述べた以外、ミハエル・シューマッハの容体については決して明らかにはしてない。

    元フェラーリ会長のルカ・ディ・モンテゼーモロは「知らせを受けたが、残念なことに良いものではなかった」とメディアに語ったが、ミハエル・シューマッハのマネージャーを務めるザビーネ・ケームはすぐさまその発言の事実を否定している。

    ミハエル・シューマッハの息子ミックは、父と同じレーサーとしてのキャリアを歩んでいるが、父の容体については公表していない。

  • 【動画】 ミック・シューマッハ、父ミハエルのベネトン B194でデモ走行

    【動画】 ミック・シューマッハ、父ミハエルのベネトン B194でデモ走行

    ミック・シューマッハは、F1ベルギーGPの決勝前、スパ・フランコルシャンで父ミハエル・シューマッハが1994年にF1ワールドチャンピオンを獲得したマシン『ベネトン B194』でデモ走行を行った。

    今年のF1ベルギーGPでは、ミハエル・シューマッハが1992年のスパ・フランコルシャンでのF1初勝利から25年。その記念すべき節目を祝って、息子のミック・シューマッハが父がタイトルを獲得したF1マシンのステアリングを握った。

    今回のデモ走行のためにミック・シューマッハは特別なデザインのヘルメットを用意。半分は現在の自分のヘルメットのデザイン、そして、半分はミハエル・シューマッハのベネトン時代のヘルメットが施された。

    「本当に喜びだった。とても幸せだ。感情的だった。ここには多くの歴史がある。僕の父にとってもね」とミック・シューマッハはコメントを残した。

    ミック・シューマッハMich Schumacher画像ミック・シューマッハとロス・ブラウン

  • ミック・シューマッハ、F1ベルギーGPで父のベネトン B194でデモ走行

    ミック・シューマッハ、F1ベルギーGPで父のベネトン B194でデモ走行

    ミック・シューマッハは、父であるミハエル・シューマッハのF1初勝利から25周年を祝ってF1ベルギーGPのレース前に父のベネトン B194でデモ走行を行う。

    シューマッハ親子のマネージャーであり、シューマッハ家の広報を務めるザビーネ・ケームは、ミック・シューマッハ(18歳)がスパ・フランコルシャンでの日曜日のレース前にデモ走行を行うことを Reuters に語った。

    ザビーネ・ケームは、実際にミハエル・シューマッハが初勝利を挙げた1992年のベネトン B192はメカニカル面と保険の問題でデモ走行に使用することは不可能だが、1994年に初のワールドチャンピオンを獲得したベネトン B194は走行可能であり、木曜日にケルンにある博物館からスパに輸送されると述べた。

    スパ・フランコルシャンは、7度のワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハにとって特別な場所。1992年の8月30日に同サーキットでキャリア91勝の最初の勝利を記録している。1991年にミハエル・シューマッハがジョーダンでF1デビューを飾ったのもスパ・フランコルシャン。F1ベルギーGPでは6勝を挙げている。

    ミハエル・シューマッハは、1994年と1995年にベネトンでワールドチャンピオンを獲得。その後、2000年から2004年までフェラーリでタイトルを5連覇している。その後、2006年に一度F1を引退した後、2010年にメルセデスで復帰を果たし、2012年までF1を戦った。

    ミハエル・シューマッハは2013年12月にスキー事故で頭部に重傷を負った。2014年に退院して以降、スイスの自宅でリハビリを続けているが、容体についてはベールに包まれている。

    ミハエル・シューマッハの個人マネージャーを務めるザビーネ・ケームは「ミハエルは常にパブリックとプライベートとの間に明確に線引きをしてきましたし、それは常にファンとミディアに受け入れられてきました。彼のプライバシーをパブリックから守るという決定は、ミハエルの権利として下されました」と述べた。

    事故当時、14歳だったミック・シューマッハは、父と一緒にその場にいた。それ以降、ミック・シューマッハは、モータースポーツでのキャリアを本格的にスタートしている。今年、ヨーロッパF3選手権に参戦し、11位につけている。今回のデモ走行に先駆けて、すでに今月9日にB194で極秘テストを行ったことが報じられている。

    ちなみに今週末のF1ベルギーGPでは、ミハエル・シューマッハに関連したもうひとつの記録もかかっている。現在、67回のポールポジションを記録しているメルセデスのルイス・ハミルトンが、ミハエル・シューマッハの持つポールポジション記録である68回に挑む。

    ミハエル・シューマッハ 1992年 F1ベルギーGPミハエル・シューマッハ F1初優勝 (1992年 F1ベルギーGP)