カテゴリー: ジュール・ビアンキ

  • ジュール・ビアンキの死から4年・・・F1の安全性の強化

    ジュール・ビアンキの死から4年・・・F1の安全性の強化

    ジュール・ビアンキがこの世を去ってから4年が経過。F1は彼の死を決して無駄にはしていない。

    フェラーリの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月17日に25歳の若さでこの世を去った。

    ジュール・ビアンキは、現在のシャルル・ルクレールがそうしているように、フェラーリの将来を担うドライバーとして期待されていた。しかし、彼のF1キャリアは34戦というあまりに短く幕を閉じることになった

    ジュール・ビアンキの事故の調査は、バーチャルセーフティカーの導入、そして、コックピット保護デバイス『ヘイロー(Halo)』の採用など、F1に安全性の向上をもたらした。

    ジュール・ビアンキが使用していたカーナンバー17は、F1の永久欠番となっており、ビアンキというドライバーはこれからも忘れられることはない。

  • ダニエル・リカルド 「ビアンキの死は僕の人生に大きな影響を与えた」

    ダニエル・リカルド 「ビアンキの死は僕の人生に大きな影響を与えた」

    笑顔がトレードマークのダニエル・リカルドだが、ジュール・ビアンキの死は自分の人生に大きな影響を与えたと振り返る。

    ダニエル・リカルドとジュール・ビアンキは、ジュニアカテゴリーでホイール・トゥ・ホイールのバトルを経てお互いを知り、コース上での競争の裏で友情を築いてきた。

    だが、ジュール・ビアンキは、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝レースでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、母国フランスの病院に転院したが、意識が戻らないまま翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    ダニエル・リカルドは、ジュール・ビアンキの死が自分にどのような影響を与えたかを振り返った。

    「2015年には人生のより個人的なレベルで多くのことが起こった」とダニエル・リカルドはコメント。

    「ジュールの死はこれまで考えていた以上に僕に影響を与えた。その時に僕の人生で起こったいろいろなことが僕という人間を次のバージョンへと変えた」

    ジュール・ビアンキの葬儀は、F1ハンガリーGPの数日前に多くのF1関係者が見守るなかで営まれた。

    「そのあと最初に戻ったレースがブダペストだった。そして、それはその年の僕の表彰台であり、チームはダブル表彰台を獲得した。週末全体がとてもエモーショナルだったことを覚えている」

    「表彰台を獲得できたことは物凄い感覚だったし、大きな安堵の感謝の瞬間だった」

    ダニエル・リカルドは、今シーズン限りで5年間で7回の勝利を挙げたレッドブル・レーシングを離れて、2019年からはルノーに移籍して新たな一歩を踏み出す。

  • シャルル・ルクレール、ジュール・ビアンキの死と向き合うF1日本GP

    シャルル・ルクレール、ジュール・ビアンキの死と向き合うF1日本GP

    シャルル・ルクレールは、親友だったジュール・ビアンキの死と向き合うことになる今週末のF1日本GPは“とても難しい”“感情的”な週末になると語る。

    フェラーリの将来を有望視されていたジュール・ビアンキだったが、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝でコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    ジュール・ビアンキの後を継いで2019年にフェラーリへと昇格してタイトル獲得というタスクを科せられているシャルル・ルクレールは、今週末、初めてのF1日本GPにむけてジュール・キビアンキの事故現場となった鈴鹿サーキットを訪れた。

    「もちろん、とても難しい週末っだ」とシャルル・ルクレールはコメント。「ジュールは本当に助けになってくれたし、レース面だけでなく、家族のような存在だった。だから、とても難しい」

    「これまで日本に来たことはなかったし、午前中のトラックウォークはかなり感情的だった。難しい週末ではあるけど、その一方でできるかぎり最高の仕事ができるように今週末に集中する必要がある」

    水曜に鈴鹿サーキットに到着した際にジュール・ビアンキの事故現場を訪れたというシャルル・ルクレールは、2019年にビアンキを追悼するスペシャルヘルメットを計画していると明かした。

    「来年、ヘルメットで何がやろうと考えているのは確かだ。でも、スペシャルヘルメットは一回だけというルールがあるし、今年は父のために作った」とシャルル・ルクレールはコメント。

    「来年はジュールと僕の父のために両サイドをわけたヘルメットを制作するアイデアがある。今年は特別なことはできないけど、できるだけ彼のことをみんなに思い出してもらえるようにしていきたい」

    関連:2018年 F1日本GP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • ピエール・ガスリー、鈴鹿のジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリー、鈴鹿のジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリーは、今年もジュール・ビアンキが事故に遭った鈴鹿サーキットのコーナーに花を手向けた。

    ジュール・ビアンキは、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝レースでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、母国フランスの病院に転院したが、意識が戻らないまま翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    F1日本GPにむけてピエール・ガスリーは「また、元F1ドライバーのジュール・ビアンキが亡くなった場所でのレースは、僕にとっては非常に感慨深いことでもある。鈴鹿サーキットに行く際は 、黙祷を捧げるために、必ず彼がクラッシュを起こした場所を訪れている」と語っていた。

    ジュール・ビアンキと同じフランス出身のドライバーであるピエール・ガスリーは4日(木)、先輩ドライバーが事故に遭った鈴鹿サーキットのダンロップコーナーのウォールに献花した。

    関連:2018年 F1日本GP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • ピエール・ガスリー、ジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリー、ジュール・ビアンキの事故現場に献花

    ピエール・ガスリーが、ジュール・ビアンキが事故に遭った鈴鹿サーキットのコーナーに花を手向けた。

    ジュール・ビアンキは、ウェットレースとなった2014年のF1日本GPの決勝レースでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、母国フランスの病院に転院したが、意識が戻らないまま翌年7月に25歳の若さでこの世を去った。

    2014年のF1日本グランプリが開催された10月5日の今日、ジュール・ビアンキと同じフランス出身のドライバーであるピエール・ガスリーは、先輩ドライバーが事故に遭った鈴鹿サーキットのダンロップコーナーのウォールに献花した。

    「3年前の今日。決して忘れない。#JB17」とピエール・ガスリーはTwitterにメッセージを添えた。

    ピエール・ガスリーは、前戦マレーシアに続き、ダニール・クビアトに代わってスクーデリア・トロ・ロッソからF1日本グランプリに参戦する。

    関連:2017 F1日本GP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • フランス・ニース市に“ジュール・ビアンキ ストリート”

    フランス・ニース市に“ジュール・ビアンキ ストリート”

    フランスのニース市は、亡くなったF1ドライバーのジュール・ビアンキの功績に敬意を表して、ストリートに彼の名を付けることを発表した。

    1989年にニース市で生まれたジュール・ビアンキは、2014年のF1日本GPでのクラッシュで頭部を損傷。意識を取り戻すことなく、2015年7月17日にこの世を去った。

    ニース市のフィリップ・プラダル市長とメトロポール代表のクリスチャン・エストロジは、1月23日(月)にストリートセレモニーを行うことを発表した。

    また、フランスのテック1レーシングは、ジュール・ビアンキ協会をサポートするために今年のフォーミュラ・ルノー・ユーロカップでマシンにロゴを掲載することを発表している。

  • ジュール・ビアンキの父親 「ドライバーは真実を語ることを恐れている」

    ジュール・ビアンキの父親 「ドライバーは真実を語ることを恐れている」

    ジュール・ビアンキの父親フィリップは、他のF1ドライバーがF1の運営側にミスがあったことを公に語ることを恐れていると主張する。

    ジュール・ビアンキは、2014年のF1日本GPでの事故で昏睡状態に陥り、意識を取り戻すことなく、2015年7月17日にこの世を去った。

    フィリップ・ビアンキは、FIAとF1の最高責任者であるバーニー・エクレストンに対して、息子の死を招いた責任を問うために訴訟を起こしている。

    ビアンキ家の弁護を務めるロンドンの法律会社は、今回の訴訟は、2014年シーズン終盤に「台風シーズンを迎える日本において危険なコンディションでレースを行ったこと、計画、時間設定、運営組織にミスがあった」ことをF1運営側に認めさせるものになるだろうとしている。

    フィリップ・ビアンキは、今回の起訴に関してたのF1ドライバーからの支持を得られていないのは、単に彼らが事実を公然と語ることを“恐れている”ためだと Times に主張した。

    「あるドライバーが私と一緒にいても、カメラが回っているときには何も言おうとしないだろう。誰もが何かを発言することを恐れている」

    「カメラがいないときには、みんなが私のところへ来て『これは間違いだ。ジュールじゃない。F1がミスを犯した』と言っている」

  • ロマン・グロージャン、F1モナコGPでジュール・ビアンキ追悼ヘルメット

    ロマン・グロージャン、F1モナコGPでジュール・ビアンキ追悼ヘルメット

    ロマン・グロージャンは、今週末のF1モナコGPで2014年のジュール・ビアンキの9位フィニッシュを祝う特別なヘルメットでレースをする。

    将来を有望視されていたジュール・ビアンキだが、2014年のF1日本GPでのクラッシュで頭部を損傷。意識を取り戻すことなく、2015年7月17日にこの世を去った。

    ジュール・ビアンキは、2014年のF1モナコGPで9位入賞を果たし、マルシャ(現マノー)に2ポイントをもたらした。これはチームにとって現在でも唯一の獲得ポイントとなっている。

    この偉業は、それを目撃した全員に愛情と感動とともに記憶されている。

    当時ロータスでジュール・ビアンキと順位を争ったロマン・グロージャンは、ビアンキの功績を称えるために相応しい立場にいた。

    ジュール・ビアンキは8位でフィニッシュしたが、5秒ストップペナルティをセーフティカーが中に行ったとしてレース終了後に5秒のタイム加算され、9位のロマン・グロージャンと順位が入れ替わっている。

    ロマン・グロージャンは、TwitterでF1モナコGPのために用意したヘルメットを公開。ヘルメット後部には、ジュール・ビアンキの肖像画、F1で永久欠番となっているジュール・ビアンキのカーナンバーである17、そして「MONACO 2014 P9」の文字が入れられている。

    関連:2016 F1モナコGP テレビ放送時間&タイムスケジュール

  • 元F1ドクター、ジュール・ビアンキの事故時のFIAの対応を非難

    元F1ドクター、ジュール・ビアンキの事故時のFIAの対応を非難

    元F1ドクターのゲイリー・ハートスタインは、ジュール・ビアンキの事故死の責任はFIAにあると非難した。

    ジュール・ビアンキの死を受け、同僚のフェリッペ・マッサはドライバーの結束が強まったと述べ、フェリペ・ナスルはF1はまだ安全性を改善するためにプッシュしているとの意見を述べていた。

    しかし、ゲイリー・ハートスタインは、自身のTwitterでマッサとナスルをタグ付けしつつ、「ドライバーは他のことに注意を集中させるべきだ」と投稿。

    2012年末にF1ドクターを解雇されたゲイリー・ハートスタインは、2人が「医学代表の解雇を要求することから始めるべきだ」と述べた。

    現在、FIAの医学代表はジャン・シャルル・ピレットが務めているが、ゲイリー・ハートスタインは、医療委員会の責任者ジェラルド・サイヤンは“さらに無能だ”とコメント。

    このようなゲイリー・ハートスタインの投稿は週末に削除されたが、ゲイリー・ハートスタインは「私が言った全てのことは侮辱ではなく、事実であり、そのままの意味だ」と主張した。

    さらにゲイリー・ハートスタインは、ジュール・ビアンキの事故後の搬送方法を非難した。

    ゲイリー・ハートスタインは、ジュール・ビアンキの事故当時にレースをするべきではなかったと述べ、ヘリコプターが飛べず、搬送時間が30分以上かかったことでさらない災いをもたらしたと非難した。

    「精神的外傷治療に対するピレットの全体的な知識と経験不足は、コースアウトするたびにドライバーを危険にさらす」

    ゲイリー・ハートスタインは、FIAにジュール・ビアンキの死の責任があると考えており、「ビアンキ家はそう伝えられたと思う。FIAは実際に責任があると思っている」とコメント。

    また、FIA会長ジャン・トッドに対しても「スポーツは彼の事項ではなかった。彼には彼の事項があった。彼の道路安全のたわごとは全てショーであり、中身のないものだ」と述べた。

  • フェリペ・マッサ 「ビアンキの死はF1ドライバーの結束を強めた」

    フェリペ・マッサ 「ビアンキの死はF1ドライバーの結束を強めた」

    フェリペ・マッサは、ジュール・ビアンキの死が現在のF1ドライバーの結束を強めたと考えている。

    25歳のジュール・ビアンキの死は、1994年のアイルトン・セナ以来のレースでの事故が直接的な死因となった出来事だった。

    ジュール・ビアンキと同じニコラス・トッドがマネージャーを務めるフェリペ・マッサは、特にジュール・ビアンキに近い存在だった。

    「このような出来事があり、ドライバーたちはより近くなっている。結束はより強くなっている」

    「まずなにより、ビアンキに起こったことはスポーツ界にとって非常に悲しい出来事だった。トラクターと衝突するという普通のクラッシュではなかった。結果として、バーチャルセーフティカーのような多くのことが変わった」

    「でも、それだけでなく、ジュールは素晴らしい友人でもあった。僕たちはいつもお互いに目を向けていたし、通常ドライバー間にあるような友好とは非常に異なるものだった」

    「本当に悲しかったし、F1にとっては、ドライバーの安全のために戦い続けることも理由のひとつだ」