タグ: 事故死

  • 自動車評論家の森野恭行さんがターンパイクでポルシェ試乗中に事故死

    自動車評論家の森野恭行さんがターンパイクでポルシェ試乗中に事故死

    自動車評論家の森野恭行さん(53歳)が、神奈川県小田原市石橋の観光有料道路「MAZDAターンパイク箱根」でポルシェを試乗中に反対車線にはみだしてガードレールに衝突、その後、スピンしたまま路肩の樹木にぶつかって停止。病院に運ばれたが約2時間半後に死亡が確認された。

    小田原署によると、現場は下り坂で緩やかな左カーブ。居合わせた観光客が「かなりのスピードだった」と話しており、同署が事故原因を調べている。

    車は車雑誌の出版社から借りたものだったという。

    森野恭行さんは「日本カー・オブ・ザ・イヤー」の選考委員を務めていた。

  • F1カナダGP主催者、マーシャル事故死は「安全上の不備」

    F1カナダGP主催者、マーシャル事故死は「安全上の不備」

    F1カナダGP主催者は、今年の決勝レース後にコースマーシャルのマーク・ロビンソン氏が事故死した件について、基安全面に不備があったとの判断を下された。

    マーク・ロビンソン氏は、レース終盤にクラッシュを喫したエステバン・グティエレスのクルマの撤去作業中にクレーンに轢かれ、病院に搬送されたが帰らぬ人となった。

    ケベック州の労働健康安全局(CSST)は、事故の詳細な調査を行い、クレーンが時速11kmという速すぎる速度で走行したこと、クルマを2m以上の高さにつり上げたことなどを安全上でのミスがいくつも重なったことが原因であるとの結論を下した。

    また同局は、トラックサイドの作業員がクレーンに近づくべきでなかったと主張。マーク・ロビンソン氏と他の作業員は、吊るされたザウバーのクルマを固定するためにクレーンの前方を歩いていた。

    F1カナダGPの主催者は、今後のイベントに向けて安全面を改善することを約束し、レース終了後に観客がトラックを歩くことなどが禁止される可能性もある。

    関連:F1カナダGP、マーシャルがクレーンに轢かれ死亡

  • ル・マン24時間レース、アストンマーチンのドライバーが事故死

    ル・マン24時間レース、アストンマーチンのドライバーが事故死

    ル・マン24時間レースのLM-GTE Amクラスに出場していたアストンマーチンのドライバー、アラン・シモンセンが、レース中の事故で亡くなった。

    今年のル・マン24時間レースのスタートは、絵mによって滑りやすいコンディションとなっていたが、スタート直後の3周目にアストンマーチンの95号車をドライブしていたアラン・シモンセンがガードレールに激しくヒットした。

    すぐに医師が現場に駆け、メディカルセンターに運ばれたが、間もなく息を引き取った。報道によると、事故直後は意識があり、医師とも会話していたという。

    この事故を受けてレースは1時間に渡りセーフティカー先導で進行、その後、再開された。

    アラン・シモンセンの家族は彼への追悼として、チームのレース続行を望んだ。

    ACOは、「ACOは謹んで事故による大きな悲しみを伝えさせて頂く。そして、アラン・シモンセンの友人、家族にお悔やみを伝えたい」と声明を発表した。

    ル・マンのレース中にドライバーが亡くなったのは1986年のヨー・ガルトナーが最後だが、1997年のプラクティス中にはフランス出身のセバスチャン・アンジョルラスが命を落としている。

  • F1ドライバー、事故死したマーシャルに哀悼の意

    F1ドライバー、事故死したマーシャルに哀悼の意

    F1ドライバーが、F1カナダGPの決勝レース中にクレーンに轢かれて事故死したマーシャルに哀悼の意を表した。

    F1カナダGPのウィナーであるセバスチャン・ベッテルは「マーシャルの仕事は常に見られているわけではないけど、僕たちのスポーツにとって不可欠なものだし、彼らのコミットメントと献身なしではモータースポーツは存在しない」とコメント。

    「このニュースを聞いてとても悲しい。僕の哀悼の思いは、彼の家族と友人とともにある」

    マーシャルは、F1カナダGPの残り7周目にクラッシュしたエステバン・グティエレスのマシンを撤去している際にクレーンに轢かれ、病院に搬送されたが、命を落とす結果となってしまった。

    FIAは声明で、マーシャルの事故は「無線を落としてしまい、それを拾おうとした際に転んだところを回収車両にひかれてしまった」と説明。現時点でスタッフの身元を明かすことはないとしている。

    事故のきっかけとなってしまったエステバン・グティエレスは「今日、命を落としたマーシャルの家族へ心から哀悼の意を表します。彼、そして彼の家族のために祈ります。RIP」とTwitterでコメント。

    2011年のF1カナダGPの勝者であるジェンソン・バトンは「僕たちの安全を確保してくれているマーシャルが、今日のレース中に命を落としたというニュースにショックを受けており、悲しんでいる。友よ、安らかに眠れ」とコメント。

    レースを2位で終えたフェルナンド・アロンソは「今日はお祝いすることなど何もない。このレースでマーシャルが亡くなったという痛ましいニュースが届いた。本当に悲しい。R.I.P」と述べた。

    今回のマーシャルの死は、不慮の事故とは言え、レースが進行している際にクレーンなどを使用することには懸念の声もあった。

    現在Skyテレビの解説者を務める元F1レーサーのマーティン・ブランドルは、急いでクルマを撤去するよりもクルマを停めておいた方が安全だったかもしれないと述べた。

    F1でマーシャルが亡くなったのは2000年以来3人目。2000年のF1イタリアGPでは、1周目に発生した多重クラッシュでホイールがバリアを飛び越え、このホイールが激突したマーシャルが死亡。2001年のF1オーストラリアGPでは、ジャック・ビルヌーブとラルフ・シューマッハがクラッシュした際、脱落したホイールがフェンスのすき間を飛び抜けマーシャルのグラハム・ベヴァリッジに激突し、亡くなっている。

    関連:F1カナダGP、マーシャルがクレーンに轢かれ死亡

  • MotoGP、マルコ・シモンチェリの事故死の状況を説明

    MotoGP、マルコ・シモンチェリの事故死の状況を説明

    MotoGPのレースディレクションは23日、セパン・インターナショナル・サーキットのプレスカンファレンスルームで、第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死したマルコ・シモンチェリの状況に関して共同会見を行った。

    レースディレクションの代表であるポール・バトラーは、「この記者会見の目的は、マルコ・シモンチェリの悲劇的な死亡の状況を検証することです」と説明を始めた。

    「皆様がご存知のように、我々レースディレクションのメンバー全員がここに出席します。FIM国際モーターサイクリズム連盟の代表であるクロード・ダニス、ドルナスポーツの代表であるハビエル・アロンソ、ライダーの代表であるフランコ・ウンチーニ、そして私はIRTA国際レーシングチーム連盟の代表兼レースディレクションの代表です。ミケーレ・マッキアゴデーナは我々のメディカルディレクターであり、彼が死亡に関して状況を説明します。」

    マッキアゴデーナは、「友人であるマルコ・シモンチェリの死亡に関して報告するために、ここにいることは大変悲しいです。他のライダーたちに激突したレース中の転倒でした。彼は頭部と首、胸部に深刻な外傷を負いました。」

    「我々のメディカルスタッフが彼のところに駆けつけたとき、彼は意識不明でした。心停止だったことから、救急車で、CPR(心肺蘇生)を始めました。」

    「緊急に、メディカルセンターでクリニカモービルのスタッフと地元医師の助けを借り、挿管を施行し、胸部から少量の血液を吸引することが可能でした。」

    「我々は彼を助けるために治療を尽くし、可能だと考えて、CPRを45分間継続しました。不運にも彼を助けることができず、現地時間の16時56分に死亡を宣言しなければいけませんでした」と、状況を説明した。

    バトラーは、ヘルメットが外れたことに関する質問に対して、「他の機会に答えることができると思います。事故の状況や結果を徹底的に調査します」と、事故検証を実施することを説明。

    コーリン・エドワーズの負傷状態に関して、マッキアゴデーナは「肩を脱臼しました。麻酔を受け、正しい位置に戻りました。彼は大丈夫です」と説明。

    「我々は彼の家族に同情します。可能な限り、あらゆる点を示したい」と、バトラーは付け加え、会見を締め括った。

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

  • マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

    マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

    マルコ・シモンチェリが、MotoGP マレーシアGPの決勝レースで事故死した。享年24歳。

    5番グリッドからスタートしたマルコ・シモンチェリは、2周目の11コーナーで転倒、後続車と接触して頭、首、腕を強打した。

    医療班が事故現場に到着した時はすでに意識不明で、救急車の中やメディカルセンターで心肺蘇生が行われたが、45分後の16時56分(日本時間17時56分)に死亡が宣告された。

    レースはすぐに赤旗中断となり、その後中止が発表された。

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

  • F2主催者 「マシンはF1の安全基準を満たしていた」

    F2主催者 「マシンはF1の安全基準を満たしていた」

    F2を運営するモータースポーツ・ビジョン社のジョナサン・パーマーは、F2マシンを設計したウィリアムズを擁護。ヘンリー・サーティースの事故死が、ウィリアムズが設計したF2マシンの安全基準に問題があるとの報道を否定した。

    ブランズ・ハッチでのレースで、ホイールがヘンリー・サーティースのヘルメットに直撃したのは、F1スタイルのホイールテザーが欠落していたためだと報じられているが、実際にはF2マシンには2005年世界選手権のF1安全基準が全て確認されているという。

    「F1と同様に・・・ホイールテザーは、ホイールが事故で外れないということを完全には保証できない」とジョナサン・パーマーは語る。

    FIAも、ウィリアムズが製造したF2マシンが、衝撃テスト、頭部保護、ホイールテザーを含めたF1安全基準を満たしていることを確認しているという。

    パーマーは、詳細な調査を行うと語るが、専門家の意見は、サーティースの事故死が、F2シリーズの低コスト特性より、むしろ事故時の200kp/hという状態にあったのではとしている。

    「シングルシーターのレースカーは、小さいとはいえ、必然的に頭の正面に他のマシンやコンポーネントが当たる危険にさらされる」

    パーマーは、ウィリアムズがサーティースの悲劇を”非常に悲しんでおり、ショックを受け、呆然としている”ことを明らかにした。

    ホイールテザー

    ホイールテザーとは、クラッシュ時にタイヤが飛散するのを防ぐために、ホイールとシャシーを繋ぐワイヤーを指す。F1では1999年から義務化されたが、2000年にコースマーシャルが死亡する事故が起きたことで、2001年から各タイヤに2本ずつをテザーを取り付けるこが義務付けられた。ホイールテザーには、ザイオンと呼ばれる非常に強度の高い繊維が使用される。

    関連:
    F2ドライバーのヘンリー・サーティース、レース中に事故死 -2009年7月20日
    F2マシン「ウィリアムズJPH01」発表 – 2009年3月3日