タグ: マルコ・シモンチェリ

  • 【MotoGP】 マルコ・シモンチェリの“ナンバー58”を永久欠番に

    【MotoGP】 マルコ・シモンチェリの“ナンバー58”を永久欠番に

    MotoGPは、マルコ・シモンチェリのホームレースであるサンマリノGPを前に、彼が使用していた“ナンバー58”を永久欠番にした。

    250ccクラスのワールドチャンピオンだったマルコ・シモンチェリは、2011年のマレーシアGPでの事故により、24歳の若さでこの世を去った。

    彼の死の2週間後に親友のロリス・カピロッシがレースをして以来、MotoGPクラスでは58は使われていないが、しかし、2012年以降、Moto3クラスのファン・フランシスコ・ゲバラが使っていた。

    マルコ・シモンチェリに敬意を表して、ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリに変更されたミサノで木曜日に式典が行われ、58が正式に永久欠番となった。

    ドルナのCEOを務めるカルメロ・エスペレータは「今から彼のバンバーはシモンチェリ家に属する」と述べた。

    MotoGPでは、2003年に事故で亡くなった加藤大二郎の74番と2012年にMoto2レースでの事故でな亡くなった富沢祥也の48番も永久欠番となっている。

    また、ケビン・シュワンツの334番とロリス・カピロッシの65番が、彼らへの貢献を認めて欠番となっている。

  • 故マルコ・シモンチェリ、21人目のレジェンドライダーに

    故マルコ・シモンチェリ、21人目のレジェンドライダーに

    2011年10月にレースアクシデントにより事故死した故マルコ・シモンチェリが、21人目のレジェンドライダーとして殿堂入りすることが決まった。

    ドルナスポーツは3日、2011年10月23日にセパン・インターナショナル・サーキットで開催された第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死した故マルコ・シモンチェリをレジェンドライダーとして殿堂入りすることを発表した。

    2008年10月19日に同地で開催された第17戦マレーシアGPの決勝レースで3番グリッドから3位に入り、250ccクラスのチャンピオンに輝き、2010年から最高峰クラスへの挑戦を開始。事故の1週間前には自己最高位となる2位を獲得していた。

    レジェンドライダー就任のセレモニーは、ムジェロ・サーキットで開催される第6戦イタリアGPで実施される。

    レジェンドライダーリスト

    ジャコモ・アゴスチーニ
    アンヘル・ニエト
    マイク・ヘイルウッド
    ミック・ドゥーハン
    フィル・リード
    ジム・レッドマン
    アントン・マング
    カルロ・ウビアリ
    ジョン・サーティース
    ジェフ・デューク
    エディ・ローソン
    フレディ・スペンサー
    ケビン・シュワンツ
    ウェイン・レイニー
    ケニー・ロバーツ
    バーリー・シーン
    ワイン・ガードナー
    ヤーノ・サーリネン
    加藤大治郎
    ケーシー・ストーナー

  • MotoGP:故マルコ・シモンチェリ 追悼メモリアルラン

    MotoGP:故マルコ・シモンチェリ 追悼メモリアルラン

    故マルコ・シモンチェリを偲ぶ追悼のメモリアルランのために、3クラスにエントリーする全ライダーたちが一堂に集結。ミサノ・ワールド・サーキット‐マルコ・シモンチェリのトラックで、多くのライダーたちが自前の自転車で感動の1ラップを周回した。

    第13戦サンマリノ&デラ・リビエラ・ディ・リミニGPのプレイベントは13日、ミサノ・ワールド・サーキット‐マルコ・シモンチェリのトラックで行われ、3クラスのライダーたちが自転車で故マルコ・シモンチェリを追悼するメモリアルランを行った。

    イベントには、サーキット近郊の町リッチョーネのサイクリングショップ、テクノバイクストアーとBMW社の協力により実現。サイクリングをトレーニングに使用するライダーたちが、それぞれの思いを込めて、トラックを1周した。

  • 故マルコ・シモンチェリの財団が設立

    故マルコ・シモンチェリの財団が設立

    故マルコ・シモンチェリの思い出を継続する目的で、家族と友人たちが中心となって財団を創設。1月20日にはリミニで誕生日会を開く。

    故マルコ・シモンチェリの父親パオロ・シモンチェリは22日、非営利団体としてマルコ・シモンチェリ財団を設立したことを発表した。

    パオロと母親のロッセーラ、妹のマルティナ、ガールフレンドのケイト、パーソナルマネージャーのカルロ・ペルナット、ジャーナリストのパオロ・ベルトタモが発起人となり、マルコ・シモンチェリの思い出を継続する目的で財団を創設。

    財団の代表であるパオロは「僅か数日間で全ての法的処理を済まして、活動を始める準備ができました。複数のイニシアチブがあり、例えば1月20日には、リミニのスポーツセンターで『シック誕生日会』を行います。彼が望むように楽しいパーティーになるでしょう」とコメント。

    「同時に、マルコの展示会をコリアーノ市役所で開催されるために作業を進めています。活動を始めたばかりですが、マルコの性格を表すようにポジティブなことに囲まれています」

    「マルコの記憶を維持するという夢は、我々の最悪の状況を軽減することにつながり、今は思い出をどこに、どうやって配分していいのか難しいですが、良識を持って取り組みます。コントロールが難しい大きなイニシアチブを行わず、シンプルで確実なプロジェクトに着手します」

    「マルコに影響を受けた人たちから沢山のメッセージをもらい、困難な状況を克服することに助けとなりました。沢山の人たちが我々の息子を愛してくれたことを確認できました。マルコ・シモンチェリ財団は将来において、彼の思い出を残す最善の手段になると思います」

  • ヤルノ・トゥルーリ、マルコ・シモンチェリ 追悼ヘルメット

    ヤルノ・トゥルーリ、マルコ・シモンチェリ 追悼ヘルメット

    ヤルノ・トゥルーリは、今週末のF1インドGPをMotoGPで事故死したマルコ・シモンチェリを追悼したヘルメットで戦う。

    先週末のMotoGP マレーシアGPで、マルコ・シモンチェリは転倒して後続車と接触したことにより命を落とした。若い才能を失ったことに、カテゴリーを問わずモータースポーツ界からは多くの哀悼の意が寄せられている。

    同じイタリア人のヤルノ・トゥルーリは、今週末のF1インドGPでマルコ・シモンチェリが使用していたデザインのヘルメットを用意。側面にはシモンチェリのナンバー「58」と「Goodbye Marco」の文字が入れられている。

    ヤルノ・トゥルーリ マルコ・シモンチェリ ヘルメット

  • F1ドライバー、マルコ・シモンチェリに追悼コメント

    F1ドライバー、マルコ・シモンチェリに追悼コメント

    F1ドライバーが、MotoGP マレーシアGPの事故で命を落としたマルコ・シモンチェリにTwitterで追悼コメントを寄せた。

    マルコ・シモンチェリ(享年24歳)は、マレーシアGPの決勝レースの2周目にコントロールを失い転倒。コーリン・エドワーズとバレンティーノ・ロッシに接触して頭部、頸部、胸部を強打し、死亡した。

    若い才能を失ったモータースポーツ界からはカテゴリーを越えて多くの追悼コメントが寄せられており、F1ドライバーもTwitterを通じて哀悼の意を表した。

    マーク・ウェバー
    「マルコ、安らかに眠れ。惜しまれる特別な才能の持ち主だった。君の愛する人々、MotoGPパドック全員のことを考えている…マーク」

    ジェンソン・バトン
    「マルコ、安らかに眠れ… 非常にエキサイティングな才能が失われた。彼の家族、友人、MotoGP関係者全員に哀悼の意を表する。モータースポーツはときに非常に残酷だ…」

    ルイス・ハミルトン
    「マルコ・シモンチェリ、安らかに眠れ。つらい思いをしていらっしゃる彼の家族、友人、チームと気持ちは一緒です。このように若くして亡くなるとは悲劇だ」

    ヘイキ・コバライネン
    「MotoGPスターのシモンチェリがクラッシュで亡くなったなんて信じられない。今日また偉大な才能が失われた」

    ルーベンス・バリチェロ
    「今朝ブラジルでニュースを聞いて本当に辛かった。また偉大な人物、偉大なライダーが亡くなった…シモンチェリ、安らかに眠れ…」

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

  • MotoGP、マルコ・シモンチェリの事故死の状況を説明

    MotoGP、マルコ・シモンチェリの事故死の状況を説明

    MotoGPのレースディレクションは23日、セパン・インターナショナル・サーキットのプレスカンファレンスルームで、第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死したマルコ・シモンチェリの状況に関して共同会見を行った。

    レースディレクションの代表であるポール・バトラーは、「この記者会見の目的は、マルコ・シモンチェリの悲劇的な死亡の状況を検証することです」と説明を始めた。

    「皆様がご存知のように、我々レースディレクションのメンバー全員がここに出席します。FIM国際モーターサイクリズム連盟の代表であるクロード・ダニス、ドルナスポーツの代表であるハビエル・アロンソ、ライダーの代表であるフランコ・ウンチーニ、そして私はIRTA国際レーシングチーム連盟の代表兼レースディレクションの代表です。ミケーレ・マッキアゴデーナは我々のメディカルディレクターであり、彼が死亡に関して状況を説明します。」

    マッキアゴデーナは、「友人であるマルコ・シモンチェリの死亡に関して報告するために、ここにいることは大変悲しいです。他のライダーたちに激突したレース中の転倒でした。彼は頭部と首、胸部に深刻な外傷を負いました。」

    「我々のメディカルスタッフが彼のところに駆けつけたとき、彼は意識不明でした。心停止だったことから、救急車で、CPR(心肺蘇生)を始めました。」

    「緊急に、メディカルセンターでクリニカモービルのスタッフと地元医師の助けを借り、挿管を施行し、胸部から少量の血液を吸引することが可能でした。」

    「我々は彼を助けるために治療を尽くし、可能だと考えて、CPRを45分間継続しました。不運にも彼を助けることができず、現地時間の16時56分に死亡を宣言しなければいけませんでした」と、状況を説明した。

    バトラーは、ヘルメットが外れたことに関する質問に対して、「他の機会に答えることができると思います。事故の状況や結果を徹底的に調査します」と、事故検証を実施することを説明。

    コーリン・エドワーズの負傷状態に関して、マッキアゴデーナは「肩を脱臼しました。麻酔を受け、正しい位置に戻りました。彼は大丈夫です」と説明。

    「我々は彼の家族に同情します。可能な限り、あらゆる点を示したい」と、バトラーは付け加え、会見を締め括った。

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

  • ブリヂストン、マルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意

    ブリヂストン、マルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意

    MotoGPにタイヤを供給するブリヂストンが、MotoGP マレーシアGPでの事故で命を落としたマルコ・シモンチェリ選手に哀悼の意を表した。

    マルコ・シモンチェリ選手はMotoGP第17戦マレーシアGPの決勝レースの2周目に11コーナーでフロントから転倒して他車に接触。頭部、頸部、胸部を強く打撲したシモンチェリ選手はメディカルセンターへ運ばれ心肺蘇生措置を受けたが、16時56分に残念ながら死亡が確認された。

    堀尾直孝 (ブリヂストン モータースポーツ推進部長)
    「マレーシアGPの決勝レース中に発生したアクシデントによるマルコ・シモンチェリ選手の突然の訃報は、誠に痛恨哀惜に堪えません。ご家族、ご友人、チーム、御関係者の皆様に対し、心より哀悼の意を申し上げます。今日の不幸な出来事により、我々MotoGPファミリーは、このうえなく明るい人柄を備え、傑出した素晴らしい才能を今まさに花開かせつつあった若者と、永遠の別れを告げることになってしまいました。あまりにも突然の出来事で、類い希な資質と華やかなキャラクターのマルコを失ったことが今はまだ信じられない思いです。そこにいるだけで周囲を明るくする彼の笑顔、屈託のない話し声、そして何より、二輪ロードレースの最高峰MotoGPで着実にトップライダーへの道を歩み続けた彼と過ごしたこの2年間の素晴らしい日々を、我々はけっして忘れることがないでしょう。今はただ、悔しい、残念、という言葉しか思い浮かびません。マルコ選手、安らかにお眠りください。衷心より御冥福をお祈り申し上げます」

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

    関連:マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

  • マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

    マルコ・シモンチェリ、MotoGPのレース中に事故死

    マルコ・シモンチェリが、MotoGP マレーシアGPの決勝レースで事故死した。享年24歳。

    5番グリッドからスタートしたマルコ・シモンチェリは、2周目の11コーナーで転倒、後続車と接触して頭、首、腕を強打した。

    医療班が事故現場に到着した時はすでに意識不明で、救急車の中やメディカルセンターで心肺蘇生が行われたが、45分後の16時56分(日本時間17時56分)に死亡が宣告された。

    レースはすぐに赤旗中断となり、その後中止が発表された。

    マルコ・シモンチェリ 経歴

    1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。