ヴィタリー・ペトロフ (Vitaly Petrov)
所属:ロータス・ルノーGP
カーナンバー:10
国籍:ロシア
生年月日:1984年9月8日
「ここにいることを本当に誇りに思っているし、一緒に素晴らしい結果を成し遂げられると期待している。チームは僕に多くの信頼を示してくれたし、彼らが僕を信じてくれたのが正しいことだったとみんなに示すチャンスだ」
ヴィタリー・ペトロフ プロフィール
ロシア人初のF1ドライバー。2009年はGP2に参戦し、2位でシーズンを終える。

ヴィタリー・ペトロフ (Vitaly Petrov)
所属:ロータス・ルノーGP
カーナンバー:10
国籍:ロシア
生年月日:1984年9月8日
「ここにいることを本当に誇りに思っているし、一緒に素晴らしい結果を成し遂げられると期待している。チームは僕に多くの信頼を示してくれたし、彼らが僕を信じてくれたのが正しいことだったとみんなに示すチャンスだ」
ロシア人初のF1ドライバー。2009年はGP2に参戦し、2位でシーズンを終える。

エイドリアン・スーティル (Adrian Sutil)
カーナンバー:14
所属:フォース・インディア・フォーミュラ1チーム
国籍:ドイツ
生年月日:1983年1月11日
「僕は2007年にチームでF1デビューを果たした。それ以来、僕たちは一緒に作業してきているので、もう一年ここに留まることは非常に正しいことだと感じている。いつも言ってきたけど、このチームは居心地がいいし、家族のように感じている。居心地が良ければ、自信を持って限界までプッシュできるものだ。僕たちはここ4年間にわたって良い進歩を遂げてきた。次のステップでチームの一員でいられることに興奮しているし、上位チームになれることを期待している。僕たちは同じ野心を持っているので、彼らと一緒にいることは多くの意味がある」
エイドリアン・スーティルは2006年、この年に新規参戦したMF1レーシングのサードドライバーとしてF1キャリアをスタート。そして、2007年、MF1レーシングを買収したスパイカーF1の正ドライバーをしてF1デビュー。日本GPでは8位となり、自身初ポイントをあげる。2008年はスパイカーを買収したフォース・インディアの正ドライバーとして参戦する。

ヤルノ・トゥルーリ (Jarno Trulli)
所属:チーム・ロータス
カーナンバー:21
国籍:イタリア
生年月日:1974年7月13日
ヤルノ・トゥルーリの名前は、カート世界選手権のチャンピオンとして、1996年にドイツF3を戦う前から知られていた。フラビオ・ブリアトーレの支援を受け、1997年の開幕戦オーストラリアGPにミナルディからF1GPデビュー。デビュー直後から好走を見せた彼は、シーズン半ばにして、怪我により欠場する事になったオリビエ・パニスに代わって、プロストチームへ移籍。第10戦ドイツGPホッケンハイムで4位に入り、第14戦オーストリアGPでは、大方の予想に反し、3番手グリッドから首位を快走。エンジントラブルでリタイアを強いられたが、その走りはF1界に驚きを与えた。シーズン終盤、オリビエ・パニスが復帰したことで一旦シートを失うが、翌年から2シーズンに渡り、オリビエ・パニスのチームメイトとしてプロストチームのレギュラードライバーに登用されることになった。
プロストチームでは、ウェットコンディションとなった1999年のヨーロッパGPで2位表彰台を獲得という結果を残した。その後、2000年にジョーダンチームへ移籍。すぐに頭角を現し、第7戦モナコGPと第13戦ベルギーGPでは予選最前列(2位)を獲得するという印象的な活躍を見せた。実際、このシーズン、全17戦中13戦で予選トップ10入りを果たしているが、決勝レースでは運に見放され、4位が最高位となった。翌年も予選を得意とする傾向は変わらず、17戦中15戦で予選4列目までに入っているが、決勝では4位2回がベストリザルトであった。
2002年、ルノーへ移籍。チームメイトのジェンソン・バトンよりは光る走りを見せたが、この年も最高位は4位に終わる。2003年は、新たなチームメイト、フェルナンド・アロンソとともに、最終的に最も競争力の高いパッケージを得られたシーズンとなった。この年、4年振りとなる表彰台を第12戦ドイツ(ホッケンハイム、3位)で獲得。そして2回の予選最前列スタート(第2戦マレーシア、第11戦イギリス、どちらも2番手)を果たした。
2004年は、ヤルノ・トゥルーリにとって注目すべき1年となった。彼は開幕戦から確実にポイントを獲得し、ついに第6戦モナコGPで、ポール・トゥ・ウィンという、彼のキャリアの中で最も輝かしい結果を果たす。その後、第14戦ベルギーGPでもポールポジションを獲得するが、中盤戦以降はフラストレーションの溜まるレースが続き、第15戦イタリアGP(モンツァ)を最後に、ルノーチームを去ることになった。
その後まもなく、彼はパナソニック・トヨタ・レーシングとの契約を発表。2004年の終盤2戦を、パナソニック・トヨタ・レーシングの一員として戦うことになった。そして、パナソニック・トヨタ・レーシングにとってこのシーズン予選最上位となる6番手を獲得(第17戦日本GP)するなど、貴重な経験を積んだ。
2009年末のトヨタF1撤退に伴い、2010年から新チームのロータス・レーシングに移籍。2011年もチーム・ロータスに名称を変更したチームに残留。

ティモ・グロック (Timo Glock)
所属:マルシャ・ヴァージン・レーシング
カーナンバー:24
国籍:ドイツ
生年月日:1982年3月18日
ティモ・グロックはドイツ出身の25歳。彼は、15歳でカートを始めてモータースポーツの世界に第一歩を踏み出して以来、様々なカテゴリーで豊富な経験を積んで来た。
2年間カートレースを戦った後、フォーミュラレースへとステップアップし、ADACフォーミュラBMWやF3を経て、F1へと到達。22歳の時、2004年のF1カナダGPでジョーダンチームから急遽F1レースデビューを果たした。このデビューレースでは7位入賞を果たし、F1GPでのポイント獲得ドライバーの仲間入りをした。
その後、シーズン終盤3戦をF1で戦い、翌2005年は戦いの舞台を北米大陸へと移した。初めて参戦したチャンプカー・シリーズでも能力を発揮し、偶然にもF1と同じカナダ・モントリオールで2位フィニッシュを果たすなどの活躍を見せ、この年のルーキーオブザイヤーを獲得した。
しかしながら、F1の魅力はあまりにも大きく、ティモ・グロックは自分の力を証明するためにヨーロッパへ戻り、GP2シリーズへと参戦。そして、今年、彼は厳しい選手権争いを勝ち抜いてチャンピオンを獲得した為、このGP2への挑戦は賢明であったといえるだろう。そして、彼は、過去のGP2シリーズチャンピオンであるF1レースドライバー、ニコ・ロズベルグとルイス・ハミルトンに続くこととなった。

山本左近 (Sakon Yamamoto)
所属:ヒスパニア・レーシング
国籍:日本
生年月日:1982年7月9日
「この度、HRT F1チームに参加できることをとても嬉しく思います。新しいチームの一員になることはとても素晴らしいことですし、僕は金曜日のフリープラクティスにおいて、レースドライバーのために有益なデーターを取る事ができると思います。チーム一丸となって取り組んでいますし、それは僕も同じ気持ちです。 チームとチャンドック、セナ両ドライバーの最大限のサポートができるように精一杯頑張りたいと思います。 それと、僕はバルセロナに住んでいて、スペインは第2のホームのようなものなので、今回スペインのチームと一緒に働けることを誇りに思います」
| 2010年 | HRT F1 テストドライバー兼リザーブレースドライバー |
| 2009年 | GP2アジアシリーズ ART Grand Prix |
| 2008年 | INGルノーF1チーム TEAM テストドライバー GP2メインシリーズ ART Grand Prix(ドイツ ホッケンハイムGP〜) GP2アジアシリーズ ART Grand Prix(中国 上海GP〜) |
| 2007年 | ETIHAD ALDAR Spyker F1 TEAM レースドライバー(ハンガリーGP〜) GP2 BCN Competicion レースドライバー |
| 2006年 | SUPER AGURI F1 TEAM レースドライバー カーナンバー:23(ドイツGP〜) SUPER AGURI F1 TEAM サードドライバー カーナンバー:41(イギリスGP〜フランスGP) 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン SUPER GT GT500クラス |
| 2005年 | ジョーダングランプリ サードドライバー(F1日本GP) 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン シリーズランキング10位 SUPER GT GT500クラス シリーズランキング7位 |
| 2004年 | 全日本F3選手権 シリーズランキング8位 |
| 2003年 | ユーロF3選手権 |
| 2002年 | ドイツF3選手権 |
| 2001年 | 全日本F3選手権 シリーズランキング4位 イギリスF3選手権 スポット参戦 F3マールボロ・マスターズ、マカオGP 参戦 |
| 2000年 | 鈴鹿フォーミュラレーシングスクール(SRS-F)入校 全日本カート選手権シリーズ FSAクラス シリーズランキング3位 ヨーロッパカート選手権シリーズ(ベルギー、フランス) |
| 1999年 | 全日本カート選手権シリーズFAクラス シリーズチャンピオン ワールドカップ in SUZUKA FAクラス出場 10位 |
| 1998年 | 全日本カート選手権シリーズ FAクラス |
| 1997年 | 地方カート選手権中部東海シリーズ FA-2クラス シリーズチャンピオン |
| 1996年 | 鈴鹿カート選手権 FRクラス カート・ジュニアワールドカップ (ベルギー) |
| 1995年 | 鈴鹿カート選手権 RSOクラス |
| 1994年 | 鈴鹿カートレーシングスクール(SRS-K)入校 |

クリスリャン・クリエン (Christian Klien)
所属:ヒスパニア・レーシング
国籍:オーストリア
生年月日:1983年2月7日
地元オーストリアやスイスのカート選手権を戦い、1999年にフォーミュラBMWにデビュー。20033年にはユーロF3にステップアップし、ルーキーながらランキング2位を獲得した。翌2004年、ジャガーからF1デビュー。2005年〜2006年はレッドブルより参戦し、2006年シーズンの半ばでチームを離脱。2007年はHonda Racing F1 Teamのサードドライバーとしてチームをバックアップ。2008年〜2009年はBMWザウバーのサードドライバーを務めながら、プジョーからル・マン24時間に参戦。2010年は、ヒスパニア・レーシングとテスト兼リザーブドライバー契約を結ぶ。

佐藤琢磨 (Takuma Sato)
カーナンバー:5
所属:KVレーシング・テクノロジー (インディカー・シリーズ)
国籍:日本
生年月日:1977年1月28日
「僕自身にとっても、支援してくださる皆さんにとっても、とてもエキサイティングな日を迎えることができました。去年はレースに参戦できず非常に悔しい思いをしていたので、素晴らしいチームとともに新しいチャレンジに挑むことが、今は待ちきれない気分です。僕にとってKVレーシングは大きなポテンシャルを秘めたチームであり、チームスピリットの点でも申し分ありません。ジミーのような偉大なチャンピオンが率いているチームなので、すぐに強力なチームワークを発揮できると確信していますし、トップフィールドで戦うチャンスを得たことに、僕の闘志は激しく掻き立てられています。これまで続いてきた困難な時期にも僕を支援し続けてくれたすべての皆さんに、心からお礼を申し上げるとともに、皆さんと力をあわせて大きな成功を収めることを楽しみにしています」
佐藤琢磨のF1キャリアは2001年からスタート。1997年に鈴鹿レーシングスクールフォーミュラ(SRS-F)でのスカラシップ獲得後、イギリスに活動の拠点を移す。2001年にはB・A・R Honda(現・Honda Racing F1 Team)のテストドライバーを務めながら、イギリスF3選手権で12勝を挙げてチャンピオンを獲得。その年はマカオGPを含む3つの国際レースでも優勝を果たし。翌2002年、ジョーダングランプリからF1参戦し、日本GPでは5位入賞。2003年のB・A・R Hondaチームのサードドライバーを経て、2004年にはB・A・R Hondaチームのレギュラードライバーに昇格。アメリカGPで日本人ドライバーとして14年ぶりに3位表彰台を獲得したのをはじめ、34ポイントを獲得する活躍を見せた。2006シーズンからスーパーアグリに移籍。2008年のスーパーアグリF1撤退でF1でのシートを失い、2010年から戦いの場をアメリカのインディカー・シリーズに移した。
| 2010年: | KVレーシング・テクノロジーからインディカー・シリーズに参戦。カーナンバー:5 |
| 2008年: | SUPER AGURI F1 TEAM レースドライバー、カーナンバー:18 |
| 2007年: | SUPER AGURI F1 TEAM レースドライバー、カーナンバー:22 |
| 2006年: | SUPER AGURI F1 TEAM レースドライバー、カーナンバー:22 |
| 2005年: | ラッキーストライクB・A・Rホンダレースドライバー、カーナンバー:4 |
| 2004年: | ラッキーストライクB・A・Rホンダレースドライバー、カーナンバー:10 F1アメリカGPで3位表題台獲得 ドライバーズランキング8位(34ポイント) |
| 2003年: | ラッキーストライクB・A・Rホンダテストドライバー 日本GPにスポット参戦、6位フィニッシュ ドライバーズランキング18位(3ポイント) |
| 2002年: | ジョーダングランプリレースドライバー ドライバーズランキング15位(2ポイント) |
| 2001年: | イギリスF3選手権にカーリンモータースポーツから参戦、シリーズチャンピオン獲得(12勝) F3マールボロ・マスターズ(ザンドフールト)、F3国際チャレンジレース(シルバーストン)、マカオGP優勝、 ラッキーストライクB・A・Rホンダストドライバー |
| 2000年: | カーリン・モータースポーツからイギリスF3選手権に参戦、シリーズ3位(4勝) フランスF3選手権のスパ・ラウンドで優勝 |
| 1999年: | ダイアモンド・レーシングからEDFAフォーミュラ・オペル・ユーロシリーズに参戦 ドニントンでのシーズン開幕戦で優勝、シリーズ6位 マカオGPのフォーミュラ・アジア2000にチームメリタスから参戦、優勝 シーズン半ばにダイアモンド・レーシングからイギリスF3選手権クラスBへ参戦 |
| 1998年: | ヨーロッパでのレース活動開始 ダイアモンド・レーシングとともにフォーミュラ・ボクゾール選手権から年末にフォーミュラ・オペルへとステップアップ |
| 1997年: | 100cc関東地区カートチャンピオン 鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラでスカラシップを獲得、1998年の全日本F3選手権への参戦資格を獲得 ヨーロッパに渡り、イギリスフォーミュラでのレース出場を選択 |

武藤英紀 (Hideki Mutoh)
カーナンバー:06
所属:ニューマン・ハース・ラニガン・レーシング (インディカー・シリーズ)
国籍:日本
生年月日:1982年10月6日
「ニューマン・ハース・ラニガン・レーシングの成功はずっと知られているし、以前チームのためにドライブした人々のなかに僕の名前を加えられることを誇りに思う。ナイジェル・マンセルがF1からアメリカのレースに転向したときにインディカー・レーシングを見始めたので、彼がレースをしたチームでレースをできることを嬉しく思っている。すでにチームのレースショップのロビーにある彼のレースマシンと写真を撮った。シーズンが始まるのを楽しみにしている」
武藤英紀は、1995年にカートでモータースポーツ活動を開始。レース修行を志し中学卒業とともに単身渡英し、フォーミュラ・ボクスホール・シリーズに挑んだ。2002年に帰国し、フォーミュラ・ドリームに参戦。翌03年にチャンピオンを獲得し、上級フォーミュラへの参戦権を獲得。2004年〜2005年は全日本F3選手権を走り、2006年はフォーミュラ・ニッポンとSUPER GTで戦った。
2007年に渡米し、IRLインディカー・シリーズへの登竜門カテゴリーであるインディ・プロシリーズ(現インディ・ライツ)への参戦を開始した。ルーキーながら優勝2回(F1のサポートレースとして開催されたインディアナポリス・モーター・スピードウェイでも優勝)、ポールポジション2回を挙げた。シリーズ・ランキング2位の好成績を収め、最終戦シカゴランドでは早くもインディカー・シリーズへのデビューを果たした。
2008年は第8戦アイオワで2位フィニッシュ、日本人最高位を更新し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。09年はチームの実力が下降線をたどっていたこともあって苦戦を強いられたが、アイオワで二度目の表彰台登壇となる3位フィニッシュを記録した。
フル参戦3年目となる今シーズンはニューマン・ハース・ラニガン・レーシングに移籍し、さらなる活躍が期待される。

カルン・チャンドック (Karun Chandhok)
所属:ヒスパニア・レーシング
国籍:インド
生年月日:1984年1月19日
「本当に信じられない気分だよ!F1に昇格するという生涯の夢を達成できたことに本当にわくわくしている。僕たちはこのチャンスのために何年も取り組んできた。やっと達成できた今は、正直にいうと少しシュールな気持ちだ。ミハエル(シューマッハ)や(フェルナンド)アロンソのようなワールドチャンピオンと同じグリッドに並ぶことになるバーレーンに到着して初めて完全に理解すると思う」