タグ: ニッキー・ヘイデン

  • MotoGPレジェンド、ニッキー・ヘイデンのナンバー「69」が永久欠番に

    MotoGPレジェンド、ニッキー・ヘイデンのナンバー「69」が永久欠番に

    2006年、最高峰クラスのMotoGPクラスで世界チャンピオンに輝き、MotoGPで22人目のレジェンドライダーとなったニッキー・ヘイデンのメモリアル・イベントが、アメリカズGPが開催されているサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)で行われた。

    ニッキー・ヘイデンは、2017年5月、サイクリング中の事故で亡くなったが、いまもなお、ライダー仲間はもちろんのこと、MotoGP関係者、そして世界中のファンに愛されている。

    アメリカズGPが開幕した4月12日金曜日には、彼が愛用したナンバー「69」が永久欠番となり、記念のトロフィーが家族に贈呈された。このイベントには、ニッキー・ヘイデンの父・アールさん、母・ローズさん、兄弟のトミーさんとロジャー・リーさん、姉妹のジェニーさんとキャサリンさん、そして家族の愛する人、ライダー、MotoGP関係者、メディアなど多くの人が見守る中で行われた。

    金曜日の夕方には、MotoGPのパドックのすべての人が、COTAの18コーナーのアウト側の「ヘイデン・ヒル」に、ライダー、MotoGP関係者、チームスタッフやマーシャルなど大勢の人たちが集まり、ニッキー・ヘイデンが2006年にタイトルを獲得したRC211Vと記念撮影を行った。

    決勝レースが行われる日曜日には、MotoGPクラスがスタートする直前のグリッド上でニッキー・ヘイデンが乗ったRC211Vと家族が出席、永久欠番となった「69」番のセレモニーが行われた。

    ニッキー・ヘイデンは米国ケンタッキー州で有名なモーターサイクルレーシングファミリーに生まれ、ザ・ケンタッキー・キッドというニックネームがつけられた。最初はダートトラックのレースで名前が知られる。その後、ロードレースに転向してからは、そのキャリアのほとんどをHondaのマシンとともに歩み、Hondaのレーシングファミリーの一員として活躍した。

    1999年にはCBR600RRでAMAスーパースポーツのタイトルを獲得した。2002年には、RC51(VTR1000)でAMAスーパーバイクのチャンピオンに輝く。その翌年、03年にはRC211VでMotoGPクラスにチャレンジを開始。このマシンでニッキー・ヘイデンは3回の優勝を達成し、2006年には最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝き、世界中のレースファンを感動させた。その後、スーパーバイク世界選手権に転向し、16年のマレーシアではCBR1000RRを駆り優勝。MotoGPとスーパーバイク世界選手権で優勝する数少ないライダーのひとりとなった。

  • MotoGP | ニッキー・ヘイデンのゼッケン『69』が永久欠番に

    MotoGP | ニッキー・ヘイデンのゼッケン『69』が永久欠番に

    MotoGPを運営するドルナスポーツは1月24日(木)、2006年王者の故ニッキー・ヘイデンが愛用していたゼッケン番号『69』をサーキット・オブ・ジ・アメリカズで開催される第3戦アメリカズGPから欠番とすることを発表した。

    レジェンドの父親アール・ヘイデンは「ニッキーにとって、オースティンで#69が欠番になることは大変名誉なことです。アメリカのレースで欠番となることは適切であり、ニッキーにとっては大きな意味があります」とコメント。

    「個人的には、これは大変特別なイベントとなるでしょう。ゼッケン69は私が現役時代に使用し、ニッキーが常にゼッケン69をバイクに貼って走っていたことを誇りに思っていました。家族全員を代表して、困難な時期に私たちをサポートしてくれた行為と共に、これほど特別な手段でニッキーを称えてくれるドルナに感謝します」

    ドルナスポーツの最高経営責任者カルメロ・エスペレータは「ゼッケン69がチャンピオンシップから欠番になることを発表できることになり、誇りに思います。ニッキー・ヘイデンは、パドックにとって最も偉大な財産の1人であり、トラックの内外において、素晴らしい模範的なライダーでした。彼の遺産を改めて称え、ゼッケン69がレジェンドとチャンピオンシップの代名詞として残ることは大きな喜びです」と、欠番を決定した理由を説明した。

    欠番のセレモニーが開催される第3戦アメリカズGPは、4月12日に初日、14日に決勝レースが行われる。

  • 故ニッキー・ヘイデン、一周忌

    故ニッキー・ヘイデン、一周忌

    2017年5月22日。レジェンド、2006年のMotoGP王者のニッキー・ヘイデンは、当時参戦していた17年スーパーバイク世界選手権の第5戦イタリア・イモラ大会終了後、イタリアに滞在して、自転車トレーニング中に自動車事故に遭い、入院先の病院で死亡。

    今日、一周忌を迎え、同世界選手権やMotoGP世界選手権のパドックをはじめ、世界中のファンから誰からも愛されたヘイデンを偲ぶメッセージが送られた。

    サーキット・オブ・ジ・アメリカズは、第3戦アメリカズGPの開催前に、愛用していたゼッケン番号『69』のデザインを18コーナー横の丘に描き、『Hayden Hill(ヘイデン・ヒル)』と命名。

    イモラ・サーキットこと、アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリは、スーパーバイク世界選手権の際に、イタリア人カメラマン、ミルコ・ラッザリ主宰の写真展『Million Dollar Smile(ミリオンダラースマイル)』を開催。

    ニッキー・ヘイデンの家族は、6月8日に故郷のケンタッキー州オーエンズボロ市のコンベンションセンター正面に彫刻を設置する除幕式を行い、市長が6月9日を『Nicky Hayden Day(ニッキー・ヘイデンの日)』に設定することを宣言。

    また、ミサノ自治体は、元ヘイデンのメカニックを担当したデニス・パッツァリーニを中心とした友人たちの提案を承認して、記念公園『Giardino Nicky Hayden(ニッキー・ヘイデン・ガーデン)』を、ミサノ・ワールド・サーキット‐マルコ・シモンチェリ付近に建設。近々に完成する。

    2006年にMotoGPチャンピオン獲得。レジェンドライダーとして殿堂入り

    アメリカ・ケンタッキー州のオーエンズボロ出身のニッキー・ヘイデンは、1999年にAMA全米スーパースポーツ選手権でタイトルを獲得。2002年には、AMA全米スーパーバイク選手権で史上最年少のチャンピオンに輝き、2003年からホンダのファクトリーチーム、レプソル・ホンダ・チームからMotoGPクラスへの参戦を開始。1年目総合5位、2年目総合8位、3年目の第8戦アメリカGPで初優勝を挙げて総合3位に進出。4年目の2006年には第8戦ダッチTTと第11戦アメリカGPの優勝を含む10度の表彰台を獲得し、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝く。

    2009年、6年間所属したレプソル・ホンダからドゥカティのファクトリーチーム、マールボロ・ドゥカティ・チームに移籍。2014年からは、アスパル・チームから参戦。2015年11月、通算216戦目となった最終戦バレンシアGPで、キャリアの功績が評価され、レジェンドライダーとして殿堂入り。

    2016年、スーパーバイク世界選手権に転向。ホンダ・ワールド・スパーバイク・チームから参戦すると、第6戦マレーシア大会の第2レースで優勝を挙げ、2つの世界選手権で勝利を挙げる快挙を達成。同年には、MotoGPクラスの第14戦アラゴンGPと第16戦オーストラリアGPに負傷代役として参戦。

    2017年は、スーパーバイク世界選手権に継続参戦していた。

    『Kentucky Kid(ケンタッキー・キッド)』は、MotoGP世界選手権とスーパーバイク世界選手権に参戦中、サーキット内外で親しまれ、正真正銘のレジェンドとして、ライバルたちをはじめ、関係者、世界中のファンから尊敬されていた。

  • ロマン・グロージャン、ニッキー・ヘイデン追悼ヘルメットを制作

    ロマン・グロージャン、ニッキー・ヘイデン追悼ヘルメットを制作

    ロマン・グロージャンは、2017年のF1アメリカGPをニッキー・ヘイデンを追悼したスペシャルヘルメットで戦う。

    2006年のMotoGPチャンピオンであるニッキー・ヘイデンは、今年5月にイタリアのリミニ近郊でサイクリング中に交通事故に遭い、入院先の病院で集中治療が行われていたが、5月22日にこの世を去った。

    ロマン・グロージャンは、スペシャルヘルメットを制作してニッキー・ヘイデンをトリビュート。ヘルメットはニッキー・ヘイデンが2012年のMotoGPアメリカGPで着用したオープンフェイスヘルメットを思わせるスペシャルヘルメットのデザインを採用。背面にはヘイデンのレースナンバーである“69”とニックネームの“ケンタッキー・キッド”の文字が入れられる。

    最近のルール変更により、F1ドライバーはシーズンあたり1回に限りヘルメットデザインの変更が許されている。

    通常、ドライバーは、母国グランプリやモナコGPなどでヘルメットデザインを変更するが、ロマン・グロージャンは、ニッキー・ヘイデンの母国アメリカでのグランプリで彼にトリビュートを捧げるためにその機会を利用することを選んだ。

    ニッキー・ヘイデン MotoGP ロードレース世界選手権

  • ホンダ、ニッキー・ヘイデンを追悼した特別展示

    ホンダ、ニッキー・ヘイデンを追悼した特別展示

    ホンダは、ニッキー・ヘイデンを追悼した特別展示をウエルカムプラザ青山で開催している。

    スーパーバイク世界選手権に参戦していたアメリカ人ライダー、ニッキー・ヘイデンは、17日にイタリアのリミニ近郊でサイクリング中に交通事故に遭い、入院先のチェゼーナ市内の病院で集中治療が行われていたが、22日に病院側から死亡が発表された。

    ニッキー・ヘイデンは、2002年にAMAスーパーバイククラスにおいて史上最年少でチャンピオンを獲得したのち、03年にホンダのワークスチームであるRepsol Honda Teamから世界最高峰のMotoGPクラスにデビュー。2005年に母国アメリカで初優勝を果たすと、翌2006年には激しいタイトル争いの末、年間チャンピオンを獲得した。

    2016年からは戦いの場をスーパーバイク世界選手権へと移し、この年の鈴鹿8耐にも参戦するなど、豊富なキャリアを活かしたベテランとして今後の活躍が期待されるとともに、そのアグレッシブな走りとオープンな人柄で、みんなに愛される、素晴らしいライダーだった。

    Hondaウエルカムプラザ青山では、2017年5月26日(金)~6月23日(金)の期間中、ニッキー・ヘイデンがチャンピオンを獲得した2006年のマシン「RC211V」を、実際に使用したレーシングスーツとヘルメットとともに展示。ニッキー・ヘイデンの功績を称えるとともに、心からの感謝を表した特別展示を行っている。

    関連:ニッキー・ヘイデンが交通事故で他界 … 遺族が声明を発表

  • ニッキー・ヘイデンの訃報にMotoGP界から哀悼の意

    ニッキー・ヘイデンの訃報にMotoGP界から哀悼の意

    ニッキー・ヘイデンが死去したとの報せを受け、MotoGP界から多くの哀悼のコメントが寄せられている。

    スーパーバイク世界選手権に参戦していたニッキー・ヘイデンは、17日にイタリアのリミニ近郊でサイクリング中に交通事故に遭い、入院先のチェゼーナ市内の病院で集中治療が行われていたが、22日に病院側から死亡が発表された。

    この悲しいニュースを受け、SNSを通して、共に戦ったMotoGPドライバーを始めとするモータースポーツ界から多くのコメントが寄せられている。

    マルク・マルケス (レプソル・ホンダ・チーム)
    「ニュースを聞いて打ちひしがれている。僕たちは君のことを絶対に忘れないよ!」

    ダニ・ペドロサ (レプソル・ホンダ・チーム)
    「チャンプはずっと僕の心のなかにいる。ニッキー、安らかに眠れ」

    ホルヘ・ロレンソ (ドゥカティ・チーム)
    「本当に悲しい。人生とはいかに残酷なものなのだろう。ニッキーのご家族と友人に心からお悔やみ申し上げます」

    カル・クラッチロー (LCR・ホンダ)
    「ニッキー、安らかに眠れ」

    アンドレア・イアンノーネ (チーム・スズキ・エクスター)
    「謙虚、面白く、プロフェッショナルで強い。君は本当にいい男だったよ!! ニッキー、君がいなくて寂しいよ!!」

    マーベリック・ビニャーレス (モビスター・ヤマハ MotoGP)
    「人生で最高で友人の一人だった。ずっと僕の心のなかにいるよ。ニッキー・ヘイデン、安らかに眠れ・・・」

    ロリス・バズ (レアーレ・エスポンソラマ・レーシング)
    「ニッキーとレースができたのは喜びだった。バイクを降りた君の笑顔を思い出すよ!!また偉大な男があまりに早くに逝ってしまった!悲しいよ!」

    ジャック・ミラー (エストレージャ・ガルシア・0,0・マーク・VDS)
    「君は僕のヒーローだし、コース上でも常にジェントルマンだった。君の豪快な笑顔がもう見れないなんて悲しい。今はニッキーの家族に寄り添いたい。人生はときになんてアンフェアなんだ」

    ポル・エスパルガロ (レッドブル・KTM・ファクトリー・レーシング)
    「信じられない。ニッキーは素晴らしいソウルを持ったユニークな男だった。君が僕たちに与えてくれた全てに感謝したい」

    スコット・レディング (オクト・プラマック・レーシング)
    「心にぽっかり穴が空いてしまった。ニッキーは僕にとってヒーロー以上の存在だった。ケンタッキー・キッド、安らかに眠れ」

    ステファン・ブラドル
    「とても悲しい。ガレージを君と共有できたのは名誉だった。僕の気持ちは彼の家族とともにある。僕たちは君のことを絶対に忘れない」

    ケーシー・ストーナー
    「君と出会えたことに感謝しているよ! 彼の家族のために祈りたい。君に会えなくなるなんて寂しいよ!」

    関連:ニッキー・ヘイデンが交通事故で他界 … 遺族が声明を発表

  • ニッキー・ヘイデンの訃報にF1界も哀悼の意

    ニッキー・ヘイデンの訃報にF1界も哀悼の意

    元MotoGPチャンピオンのニッキー・ヘイデンの訃報にF1ドライバーやF1チームが哀悼の意を表した。

    スーパーバイク世界選手権に参戦していたアメリカ人ライダー、ニッキー・ヘイデンは、17日にイタリアのリミニ近郊でサイクリング中に交通事故に遭い、入院先のチェゼーナ市内の病院で集中治療が行われていたが、22日に病院側から死亡が発表された。

    ニッキー・ヘイデンの訃報を受け、F1ドライバーやF1チームがSNSを通じてレジェンドライダーにコメントを寄せた。

    ルイス・ハミルトン (メルセデス)
    「親愛なるニッキー、君に会えなくなるなんて寂しいよ。神の御加護があらんことを。君は永遠に僕たちの心の中にいる。君と君の愛する人たちを思い、祈っている」

    フェルナンド・アロンソ (マクラーレン・ホンダ)
    「本当に悲しい報せだ。僕がモーターレースで会ったなかで本当に素敵な男だった。ニッキー、安らかに眠れ」

    フェリペ・マッサ (ウィリアムズ)
    「ニッキー・ヘイデン、安らかに眠れ。僕の思いは彼の家族とともにある」

    マックス・フェルスタッペン (レッドブル)
    「僕の思いは君の家族と会いする人たちとともにある。安らかに眠れ」

    ロマン・グロージャン (ハース)
    「ニッキー・ヘイデン、安らかに眠れ」

    マーカス・エリクソン (ザウバー)
    「たった今、ニッキー・ヘイデンについてのニュースを見た。言葉を失っている。家族と友人のことを思っている。ニッキー・ヘイデン、安らかに眠れ」

    メルセデスAMG F1チーム
    「チャンピオンはいつまでもチャンピオンだ。ニッキーに神の御加護を」

    スクーデリア・フェラーリ
    「ニッキー・ヘイデン 1981-2017。我々全員が寂しく思うだろう」

    ウィリアムズ
    「ニッキー・ヘイデンの訃報に悲しみに包まれている。我々の思いと祈りは彼の友人と家族とともにある」

    マクラーレン
    「マクラーレンの全員がMotoGPのレジェンド、ニッキー・ヘイデンの訃報に悲しみに包まれている」

    関連:ニッキー・ヘイデンが交通事故で他界 … 遺族が声明を発表

  • ニッキー・ヘイデンが交通事故で他界 … 遺族が声明を発表

    ニッキー・ヘイデンが交通事故で他界 … 遺族が声明を発表

    ニッキー・ヘイデンが、イタリアでトレーニング中に交通事故に遭い、2017年5月22日に死亡した。享年35歳。

    スーパーバイク世界選手権に参戦していたアメリカ人ライダー、ニッキー・ヘイデンは、17日にイタリアのリミニ近郊でサイクリング中に交通事故に遭い、入院先のチェゼーナ市内の病院で集中治療が行われていたが、22日に病院側から死亡が発表された。

    トミー・ヘイデンからの声明

    「ヘイデン家と婚約者ジャッキーを代表し、皆さんの支援メッセージに感謝したいと思います。ニッキーがこれほど多くの人たちに、ポジティブな形で関与していたことを知り、私たちにとっては大きな慰めとなります。悲しいときですが、私たちはニッキーが最も幸せだったこと、オートバイレースを思い出として記憶に残してもらいたいです。彼は子供の頃にプロライダーになることを夢に見ただけでなく、ワールドチャンピオンという選んだスポーツの頂点に到達することができました。私たちはそれを大変誇りに思います。公的な記憶とは別として、家族の中心にあるケンタッキーの自宅には、ニッキーの素晴らしく、幸せな思い出があり、私たちは大変恋しく思います。私たちにとって、素晴らしい支援をいただいた病院の全ての関係者に感謝することは大切なことです。大変親切な対応でした。今後、関係当局の更なる支援により、ニッキーが直ぐに帰宅できることを願います。」

    2016年にMotoGPチャンピオン獲得。レジェンドライダーとして殿堂入り

    アメリカ・ケンタッキー州のオーエンズボロ出身のニッキー・ヘイデンは、1999年にAMA全米スーパースポーツ選手権でタイトルを獲得。2002年には、AMA全米スーパーバイク選手権で史上最年少のチャンピオンに輝き、2003年からホンダのファクトリーチーム、レプソル・ホンダ・チームからMotoGPクラスへの参戦を開始。1年目総合5位、2年目総合8位、3年目の第8戦アメリカGPで初優勝を挙げて総合3位に進出。4年目の2006年には第8戦ダッチTTと第11戦アメリカGPの優勝を含む10度の表彰台を獲得し、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝く。

    2009年、6年間所属したレプソル・ホンダからドゥカティのファクトリーチーム、マールボロ・ドゥカティ・チームに移籍。2014年からは、アスパル・チームから参戦。2015年11月、通算216戦目となった最終戦バレンシアGPで、キャリアの功績が評価され、レジェンドライダーとして殿堂入り。

    2016年、スーパーバイク世界選手権に転向。ホンダ・ワールド・スパーバイク・チームから参戦すると、第6戦マレーシア大会の第2レースで優勝を挙げ、2つの世界選手権で勝利を挙げる快挙を達成。同年には、MotoGPクラスの第14戦アラゴンGPと第16戦オーストラリアGPに負傷代役として参戦。

    2017年は、スーパーバイク世界選手権に継続参戦していた。

    『Kentucky Kid(ケンタッキー・キッド)』は、MotoGP世界選手権とスーパーバイク世界選手権に参戦中、サーキット内外で親しまれ、正真正銘のレジェンドとして、ライバルたちをはじめ、関係者、世界中のファンから尊敬されていた。

  • ホンダ八郷社長、ニッキー・ヘイデンに哀悼の意 「大きな驚きと悲しみ」

    ホンダ八郷社長、ニッキー・ヘイデンに哀悼の意 「大きな驚きと悲しみ」

    ホンダは、交通事故で他界したニッキー・ヘイデンに哀悼の意を表した。八郷隆弘社長のコメントを発表した。

    スーパーバイク世界選手権にRed Bull Honda World Superbike Teamから参戦中のニッキー・ヘイデン(アメリカ35歳)は、イタリアのイモラサーキットで開催された第5戦後に同国リミニ近郊で自転車トレーニング中、自動車との接触事故に遭い、地元の病院に緊急搬送された。

    その後、リミニ近郊の病院からチェゼーナにあるマウリツィオ・ブファリニ病院の集中治療室に移され、医師団が懸命の治療を続けたが、現地時間5月22日19時9分に逝去された。

    八郷隆弘 (本田技研工業株式会社 代表取締役社長)

    「ニッキー・ヘイデン選手の逝去の報に接し、大きな驚きと悲しみを感じています。ヘイデン選手は早くからロードレース界で活躍し、2006年にはHondaのワークスライダーとしてMotoGPでタイトル獲得を果たすなど、Hondaの二輪レース活動に大きく貢献してくださいました。アグレッシブな走りや明るい人柄は多くのファンを魅了しました。これまでのHondaライダーとしての多大な功績に感謝するとともに、ニッキー・ヘイデン選手ならびにご家族に対し、謹んで哀悼の意を表します」

    米国・ケンタッキー州出身のニッキー・ヘイデンは、モータースポーツ一家に生まれたことで幼少期からレース活動に親しみ、1999年に全米選手権であるAMAのスーパースポーツクラス(600cc)でチャンピオンを獲得。2002年にはAMAスーパーバイククラスにおいて史上最年少でチャンピオンを獲得した。2003年に、HondaのワークスチームであるRepsol Honda Teamから世界最高峰のMotoGPクラスにデビュー。2006年シーズンには最終戦まで激しい争いの末、年間チャンピオンを獲得した。2016年からはスーパーバイク世界選手権へ参戦し、年間総合5位を獲得。この年の鈴鹿8時間耐久レースにもMuSASHi RT HARC-PRO.から参戦するなど、豊富なキャリアを活かしたベテランとして今後の活躍が期待されるライダーだった。

    関連:ニッキー・ヘイデンが交通事故で他界 … 遺族が声明を発表

  • ニッキー・ヘイデンの軌跡 ~ケンタッキー・キッド~

    ニッキー・ヘイデンの軌跡 ~ケンタッキー・キッド~

    スーパーバイク世界選手権にレッドブル・ホンダ・ワールド・スーパーバイクから参戦していたアメリカ人ライダー、ニッキー・ヘイデンは、イタリアのイモラ・サーキットで開催された第5戦イタリア・イモラ大会に参戦した後、イタリアに滞在。17日にリミニ近郊で通常のトレーニングとして取り入れているサイクリングを実施中に自動車との接触事故に遭い、リミニ市内の病院に救急搬送され、治療と可能な手術を受けるために、チェゼーナ市内の病院に転送。深刻な臨床症状により、集中治療室で処置を受けていたが、22日の午後、入院先の病院で他界した。享年35歳。

    アメリカ・ケンタッキー州のオーエンズボロ出身のヘイデンは、1999年にAMA全米スーパースポーツ選手権でタイトルを獲得。2002年には、AMA全米スーパーバイク選手権で史上最年少のチャンピオンに輝き、2003年からホンダのファクトリーチーム、レプソル・ホンダ・チームからMotoGPクラスへの参戦を開始。1年目総合5位、2年目総合8位、3年目の第8戦アメリカGPで初優勝を挙げて総合3位に進出。4年目の2006年には第8戦ダッチTTと第11戦アメリカGPの優勝を含む10度の表彰台を獲得し、最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝く。

    2009年、6年間所属したレプソル・ホンダからドゥカティのファクトリーチーム、マールボロ・ドゥカティ・チームに移籍。2014年からは、アスパル・チームから参戦。

    2015年11月、通算216戦目となった最終戦バレンシアGPで、キャリアの功績が評価され、レジェンドライダーとして殿堂入り。

    2016年、スーパーバイク世界選手権に転向。ホンダ・ワールド・スパーバイク・チームから参戦すると、第6戦マレーシア大会の第2レースで優勝を挙げ、2つの世界選手権で勝利を挙げる快挙を達成。

    同年には、MotoGPクラスの第14戦アラゴンGPと第16戦オーストラリアGPに負傷代役として参戦。

    2017年は、スーパーバイク世界選手権に継続参戦していた。

    『Kentucky Kid(ケンタッキー・キッド)』は、MotoGP世界選手権とスーパーバイク世界選手権に参戦中、サーキット内外で親しまれ、正真正銘のレジェンドとして、ライバルたちをはじめ、関係者、世界中のファンから尊敬されていた。

    関連:ニッキー・ヘイデンが死去 … 元MotoGPチャンピオン