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  • デイモン・ヒル F1王者直後にウィリアムズ放出「シューマッハとドイツ市場が影響」

    デイモン・ヒル F1王者直後にウィリアムズ放出「シューマッハとドイツ市場が影響」

    1996年のF1ワールドチャンピオン、デイモン・ヒルが、タイトル獲得直後にウィリアムズから放出された背景について、30年を経て自身の見解を明かした。

    ヒルによれば、当時のウィリアムズが見据えていたのは単なるドライバー交代ではなく、ミハエル・シューマッハの活躍によって急成長していたドイツ市場、ハインツ=ハラルド・フレンツェンの起用、そして後に実現するBMWとの提携までを含めた長期的な戦略だったという。

    王者になっても変わらなかったウィリアムズの決定
    F1ワールドチャンピオンの獲得は通常、ドライバーのチーム内での立場を決定的なものにする。しかし、1996年のデイモン・ヒルには当てはまらなかった。

    ヒルは1996年にウィリアムズ・ルノーを駆って自身初のF1ワールドチャンピオンを獲得したが、チームはシーズン終了を待たずして翌年のラインアップからヒルを外すことを決めていた。

    フランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッドが選択した1997年の布陣は、ジャック・ヴィルヌーヴとハインツ=ハラルド・フレンツェンだった。

    そのため、ヒルはディフェンディングチャンピオンでありながら1997年にアロウズへ移籍。前年にタイトルを争ったトップチームから、一転して後方グリッドを走ることになった。

    当時、この決定はF1界に大きな衝撃を与えた。ヒル自身も、なぜ自分がチームの構想から外されたのかを完全には理解できていなかったという。

    転機は1995年「将来を考える必要がある」と判断
    F1公式サイトの特集で、現在ではウィリアムズがフレンツェンを選んだ理由を理解しているのかと問われたヒルは、その起点はタイトルを獲得した1996年ではなく、その前年にあったとの考えを示した。

    「1995年だったと思う。1995年に起きたことを見て、フランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッドは、おそらく『将来について考える必要がある』と判断したんだと思う」

    1995年、ヒルはウィリアムズでシューマッハとタイトルを争ったものの、ベネトンのシューマッハに敗れた。

    ヒルは、その結果がウィリアムズに将来のドライバーラインアップを再検討させるきっかけになったと考えている。

    だが、後になって振り返ると、そこにはドライバーの純粋な速さや成績だけでは説明できない要素があったという。

    シューマッハが変えたドイツのF1市場
    ヒルが重要な要素として挙げたのが、ミハエル・シューマッハの存在だった。

    シューマッハの成功によってドイツ国内でF1人気が急速に高まり、テレビをはじめとするメディアや企業から大規模な投資が流れ込んでいた。

    「時間が経ってから分かってきたことのひとつは、ミハエルの存在によって、F1の市場がドイツへ向かう大きな動きがあったということだ」

    「テレビにも大きな投資が行われて、ドイツという市場そのものが重要になっていた」

    シューマッハは1994年と1995年にベネトンでF1ワールドチャンピオンを獲得。ドイツ人として初めてF1王者となったことで、母国に巨大なF1ブームを巻き起こしていた。

    その状況では、ドイツ人ドライバーを擁すること自体に大きなマーケティング上の価値が生まれていたとヒルは考えている。

    「だから、F1のマーケティングという意味でもドイツ人ドライバーを持つことが重要だった。そして当時、フレンツェンは少なくともスポーツカー時代にはミハエルと同じくらい速かったと言われていた」

    フレンツェン起用とBMWへの布石
    ハインツ=ハラルド・フレンツェンはシューマッハと同世代のドイツ人ドライバーであり、若手時代からその才能を高く評価されていた。

    ヒルは、ウィリアムズがフレンツェンを単なる後任ドライバーとしてではなく、ドイツ市場へ接近するための重要な存在として見ていたのではないかと推測する。

    そして、その先にはBMWとの関係構築もあったという。

    「彼らはフレンツェンを将来につながる存在として考えていたんだと思う。それに、将来的にはBMWのパワーユニットという可能性もあった。それは最終的に2000年に実現した」

    実際、ウィリアムズは2000年からBMWとワークス提携を開始。ウィリアムズBMWとしてF1に参戦し、2000年代前半にはフェラーリやマクラーレンとタイトルを争う存在となった。

    ヒルは、1990年代半ばの段階ですでに、ウィリアムズがドイツとの関係を強める長期戦略を描いていた可能性があるとみている。

    フランク・ウィリアムズが語った「チームの未来」
    ヒルが放出を告げられた際、フランク・ウィリアムズから示された説明は極めて簡潔なものだった。

    「フランクから僕を放出すると言われたとき、彼は『チームの未来について考えなければならない』と言った。それが彼の答えであり、言い訳だった」

    ヒルにとって、その言葉は簡単には受け入れられなかった。

    「それで僕は『僕は未来じゃないのか。なぜなんだ?』と思った」

    しかし、年月が経ってから当時の状況を調べ直したことで、ヒルはその「未来」という言葉が何を意味していたのかについて、自分なりの答えにたどり着いた。

    「何年も経ってから少し調べてみた。そして、BMWへ向かう動きは戦略だったんじゃないかと思っている。そのためにはドイツ人ドライバーが重要だったんだと思う」

    「1996年に何をしても関係なかった」
    ヒルにとって最も皮肉なのは、1996年の成績が自身の将来を左右する材料には、すでになっていなかったという点だ。

    ウィリアムズはヒルがタイトルを獲得する前から、1997年のドライバーラインアップを事実上決めていた。

    「基本的には、僕が1996年に何をしようと関係なかった。フランクはすでに1997年に走る2人のドライバーと契約していた。だから僕が入る余地はなかったんだ」

    つまり、ヒルが1996年にF1ワールドチャンピオンになったとしても、その結果によって契約が覆る可能性はほとんどなかったということになる。

    ヒルは最終戦日本GPで勝利を挙げ、年間8勝を記録してタイトルを獲得。しかし、それでもウィリアムズで翌シーズンを戦うことはできなかった。

    シューマッハはヒルを成長させた最大のライバル
    一方、ヒルはシューマッハについて、ウィリアムズ放出につながった時代背景を生み出した存在としてだけでなく、自身をレーシングドライバーとして成長させた最大のライバルだったとも振り返っている。

    「彼は彼だった。それだけだと思う。競争相手だった」

    「人生のあらゆる細かい部分にまでプレッシャーをかけてくるような存在だった」

    そして、シューマッハとの激しい戦いがなければ、自分自身の限界を知ることもなかったと語った。

    「これは言える。ミハエルがいなかったら、レーシングドライバーとして自分がどこまで行けるのかを知ることはなかったと思う」

    ヒルとシューマッハは1994年と1995年に激しいタイトル争いを展開。特に1994年は最終戦オーストラリアGPまでタイトル争いが続き、両者の接触によってシューマッハの初タイトルが決まるという劇的な結末を迎えた。

    デイモン・ヒル(1997年)

    王者ヒルはアロウズへ ウィリアムズは連覇
    1997年、ヒルはカーナンバー1を付けてアロウズから参戦したが、前年とは対照的に厳しいシーズンを過ごした。

    17戦でポイントを獲得したのは2レースのみ。それでもハンガリーGPでは非力なアロウズ・ヤマハで首位を快走し、終盤のマシントラブルによって勝利こそ逃したものの2位表彰台を獲得した。

    一方、ヒルを放出したウィリアムズは1997年もタイトル争いをリード。ヴィルヌーヴがシューマッハとの争いを制してドライバーズチャンピオンとなり、チームはコンストラクターズタイトルも獲得した。

    フレンツェンもドライバーズランキング2位となり、少なくとも競技成績という面ではウィリアムズのドライバー交代は結果につながった。

    しかし、前年のワールドチャンピオンをそのまま放出するという決断は、30年が経過した現在もF1史に残る非情な人事のひとつとして語られている。

    ヒル自身は今、その背景には1995年の敗北だけではなく、シューマッハによって急成長したドイツのF1市場、フレンツェンの存在、そしてBMWとの将来的な提携を見据えたウィリアムズの長期戦略があったと考えている。

    1996年に世界王者になっても覆らなかった決定。その理由を示すフランク・ウィリアムズの「チームの未来」という言葉は、ヒルにとって30年を経てようやく具体的な意味を持つものになった。

  • デイモン・ヒル F1王座30周年 名車ウィリアムズFW18と感動の再会

    デイモン・ヒル F1王座30周年 名車ウィリアムズFW18と感動の再会

    1996年のF1ワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルが、2026年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで、自身を世界王者へ導いたウィリアムズFW18と30年ぶりに再会した。

    FW18は、エイドリアン・ニューウェイとパトリック・ヘッドが設計したF1史上屈指の名車として知られ、1996年シーズンに圧倒的な強さを発揮。ヒルの悲願だったワールドチャンピオン獲得を支えたマシンとして、現在も高い評価を受けている。

    なぜウィリアムズFW18は「史上最高傑作」と呼ばれるのか
    FW18は、エイドリアン・ニューウェイとパトリック・ヘッドの黄金コンビによって開発された、ウィリアムズF1の集大成ともいえるマシンだ。

    搭載されたのは、自然吸気3.0リッターV10エンジン「ルノーRS8」。最高出力710PS(522kW)を1万6000rpmで発生し、ウィリアムズ製6速セミオートマチック・シーケンシャルトランスミッションと組み合わせることで、当時最高峰のパフォーマンスを実現した。

    電子制御デバイスが現在ほど発達していない時代において、マシン本来の完成度だけでライバルを圧倒したFW18は、F1デザイン史に残る傑作として語り継がれている。

    1996年シーズンを支配した圧倒的な戦績
    FW18はデイモン・ヒルとジャック・ビルヌーブのコンビによって、1996年シーズン16戦中12勝という圧倒的な成績を残した。内訳はヒルが8勝、ビルヌーブが4勝。コンストラクターズランキングでは175ポイントを獲得し、1990年代を代表するマシンとして歴史に名を刻んだ。

    ライバルだったベネトンB196やフェラーリF310を常にリードし、シーズンを通して他チームを寄せ付けない速さを見せた。

    低重心設計が生んだ抜群のハンドリング性能
    FW18は前作FW17をベースに進化したマシンだったが、その最大の特徴はドライバーの着座位置だった。

    FIAによる安全規則の改定を受け、ニューウェイとヘッドはコクピット構造を見直し、ドライバーがより低い位置に座れる設計を採用した。これによってマシンの重心が大幅に下がり、優れた旋回性能と高い安定性を実現。ヒルは予測しやすい挙動と鋭いレスポンスを武器に、シーズンを通じて高い競争力を維持した。

    さらにニューウェイ独自の空力設計と組み合わさることで、FW18は当時のライバル勢を一歩も二歩も上回る完成度を誇っていた。

    9000km以上のテストが王者への土台となった
    マシンの完成度だけではなく、ヒル自身の努力もFW18成功の大きな要因だった。

    開幕前のプレシーズンテストでは9000km以上を走破。バランス調整やセットアップを徹底的に煮詰めたことで、FW18は細かなセッティング変更にも素直に反応し、決勝距離を通してドライバーが安心して攻め続けられるマシンへと仕上がった。設計陣とドライバーが一体となって作り上げた完成度の高さこそが、1996年シーズンの圧倒的な強さにつながったのである。


    30年後に蘇った世界王者の記憶
    グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでは、フリートウッド・マックの『The Chain』が流れる中、ヒルは1996年当時のロスマンズ・ウィリアムズのレーシングスーツ姿でFW18をドライブ。その後、リッチモンド公爵に迎えられてグッドウッド・ハウスのバルコニーへ姿を現した。

    1996年のタイトル獲得から30年を迎えた心境を問われると、ヒルは笑顔で「30年が経ったという感じはしない。まるで『こだま』のようだ。リッチモンド公爵のおかげで、この思い出は消えることがない」と語った。

    FW18についても「すべてが完璧だった。メカニックたちが素晴らしい仕事をしてくれた」と話し、マシンをレース仕様まで仕上げたスタッフへ感謝を送っている。

    また、1996年シーズンについては「人生には計画できないことがある。幸運にも、あの年はすべてがうまく噛み合った」と振り返り、この日がちょうど30年前に1996年イギリスGPを戦っていた日と重なっていたことにも触れ、運命的な巡り合わせだったと語った。

    家族との再会とボウルズ代表の称賛
    バルコニーでは妻と3人の子どもたちを観客へ紹介し、「子どもたちも、父親が仕事で何をしていたのか分かっただろう」と冗談を交えながら笑顔を見せた。その後は、2度のF1世界王者だった父グラハム・ヒルへの思いも静かに語り、会場は温かい拍手に包まれた。

    式典にはウィリアムズF1代表のジェームズ・ボウルズも登壇。「私はデイモン・ヒルを見てウィリアムズのファンになった。あれは本当に素晴らしいチャンピオンシップだった」と1996年シーズンを振り返った。

    さらにFW18については「30年前のチャンピオンマシンとは思えないほどシャープで、操作への反応も素晴らしい」と絶賛。これを受けてヒルは「僕が乗っていた頃より良くなっているよ!」と笑いを誘い、会場を沸かせた。

    デイモン・ヒル

    鈴鹿のトロフィーとグッドウッドの魅力
    イベント終盤には、ヒルの子どもたちが1996年日本GP優勝トロフィーをサプライズで持ち込んだ。このレースはヒルがワールドチャンピオンを決めた一戦でもある。

    トロフィーを見つめたヒルは「シャンパンを入れてくれないか?」と冗談を飛ばし、観客を笑顔にした。

    さらにヒルはイベントの舞台裏にも触れ、「さっきまでバレンティーノ・ロッシ、マリオ・アンドレッティ、ランド・ノリスと一緒に飲み物を片手に話をしていた」と明かした。

    異なるカテゴリーや世代のドライバーが自然に交流できることこそ、グッドウッドならではの魅力だという。30年の時を経ても、FW18とともに歩んだ栄光の日々は色あせることなく、多くのファンにF1黄金時代の記憶をよみがえらせた。

  • デイモン・ヒル ウィリアムズF1のアンバサダー就任 1996年王者が再合流

    デイモン・ヒル ウィリアムズF1のアンバサダー就任 1996年王者が再合流

    1996年F1ワールドチャンピオンのデイモン・ヒルが、アトラシアン・ウィリアムズF1チームの公式アンバサダーとしてチームに復帰することが発表された。自身がタイトルを獲得してから30周年という節目の年に、名門チームへ戻る形となる。

    ヒルは1990年代のウィリアムズ黄金期を支えた中心的存在だ。テスト兼リザーブドライバーとして2年間を過ごした後、1993年にレギュラードライバーへ昇格。同年ハンガリーGPで初優勝を飾ると、1994年にはコンストラクターズタイトル獲得に貢献した。

    ドライバーズタイトルは最終戦でミハエル・シューマッハとの接触により惜しくも逃したが、1996年には8勝を挙げ、最終戦日本GPでの勝利によって悲願のワールドチャンピオンに輝いた。父グラハム・ヒルに続き、親子2代でF1王者となった初の例でもある。

    ウィリアムズ在籍4年間で、ヒルは21勝、20回のポールポジション、19回のファステストラップを記録。英国ではBBCスポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤーを2度受賞するなど、国民的英雄として高い人気を誇った。

    歴史と未来をつなぐアンバサダー陣
    2026年のウィリアムズは、強力なアンバサダー陣を揃える。1996年にヒルとチームメイトだったジャック・ビルヌーブ(1997年王者)は2年目のアンバサダー契約を継続。さらに、Wシリーズ3度のチャンピオンであり、インディNXTおよびLMP2でも勝利経験を持つジェイミー・チャドウィックも名を連ねる。

    チャドウィックは、チームのF1アカデミー新加入ドライバーであるジェイド・ジャケのサポートと育成も担当する予定だ。

    ヒルは今回の復帰について次のように語った。

    「ウィリアムズは私にとって本当に特別な場所だ。キャリアを決定づける瞬間のいくつかはここで生まれた。このスポーツの一員となり、あのような成果を達成できたことを非常に幸運に思っている。アンバサダーとして戻ってくることは本当に光栄だ。チームの歴史を祝福し、そのレガシーと未来を支える機会になる」

    チーム代表ジェームス・ボウルズもヒルの復帰を歓迎した。

    「デイモンをアトラシアン・ウィリアムズF1チームのアンバサダーとして迎えられることは名誉だ。彼ほどこのチームを象徴する人物は多くない。デイモンは我々の歴史の中でも最も成功した時代を形作った存在であり、ウィリアムズでワールドチャンピオンとなり、今もチームにインスピレーションを与え続けるレガシーを残している。

    ジェイミー・チャドウィックとジャック・ビルヌーブが引き続きアンバサダーを務めることも大変うれしく思う。彼らはウィリアムズが大切にしてきた歴史、扉を開き才能を育てる姿勢、そして再び最高峰で戦うという野心を体現している。彼らのような人物が前進する我々を代表してくれることを誇りに思う」

    ウィリアムズ・レーシング F1 デイモン・ヒル

  • デイモン・ヒル 13年間務めたSky Sports F1の解説者を降板

    デイモン・ヒル 13年間務めたSky Sports F1の解説者を降板

    デイモン・ヒルが、2024年シーズンを締めくくる3連戦を前に、Sky SportsのF1プレゼンターを降板すると発表した。

    1996年のF1世界チャンピオンのヒルは、2012年シーズンにSky SportsがBBCからF1の放映権を獲得して以来、Sky Sportsチームの常連メンバーであった。

    64歳のデイモン・ヒルは「Sky Sports F1での13年間は素晴らしいものだったが、どんなに素晴らしいものでも終わりは来る」とソーシャルメディアに語った。

    「一緒に仕事ができた素晴らしいプロフェッショナルたちと離れるのは寂しい。新たな挑戦を楽しみにしている」

    このニュースはSky Sportsからも確認されており、F1ディレクターのビリー・マギンティは「Sky Sports F1チームでの13年間、素晴らしい仕事をしてくれたデイモン・ヒルに感謝したい」と語った。

    「彼は、比類ない洞察力、専門知識、情熱を我々の放送にもたらし、我々の報道に欠かせない存在であった。 伝説的なレースキャリアによって培われた彼のユニークな視点は、世界中のファンを楽しませ、興奮させてきた。 彼の次の章でのさらなる活躍を祈っている」

    デイモン・ヒルは、1992年から1999年にかけてブラバム、ウィリアムズ、アロウズ、ジョーダンで過ごしたキャリアの中で、22回のグランプリ優勝を果たした。

    最近、デイモン・ヒルは、現役チャンピオンのマックス・フェルスタッペンに対する「復讐心」を否定せざるを得なくなった。フェルスタッペンがランド・ノリスとメキシコGPで戦った際の行動を批判したためだ。

    レース序盤の動きにより、ノリスはトラックを離れて回避行動を取らざるを得なくなったことについて、デイモン・ヒルは「2回目の動きは、ただ愚かで卑劣なものだった」と述べた。

    「彼は加速してアペックスに到達し、ランドをトラックの外に追いやり、ランドには選択肢がほとんどなかった。それは愚かな運転だった」

    デイモン・ヒルの投稿には2枚の画像が添えられており、1枚はドライバーから解説者に転身したマーティン・ブランドル、もう1枚は2023年末にスカイスポーツのチームを離れ、今期はFIAのドライバースチュワードを務めることが多いジョニー・ハーバートの写真だった。

    このニュースを受け、アストンマーティンの元戦略エンジニアで、現在のスカイのラインナップの一員であるバーニー・コリンズは、「個人的にあなたがいないのはとても寂しいです! この2シーズン、あなたと一緒に仕事ができてとても楽しかった。 いつも応援してくれてありがとう。また会いましょう!」
    F1TVのウィル・バクストンは、「あなたの洞察力は常にユニークで、深く、そして刺激的だった。 スカイの素晴らしいチームにとって大きな損失だが、あなたのキャリアと人生から学んだ多くの教訓が世界に役立ったことに感謝している。 そして個人的には、13年以上もの間、私のヒーローが友人になってくれたことに感謝している」と付け加えた。

  • F1で最も不要なトロフィー?ヒルの1997年ハンガリーGP2位カップが出品

    F1で最も不要なトロフィー?ヒルの1997年ハンガリーGP2位カップが出品

    F1ハンガリーGPの2位は、1997年にアロウズに移籍したデイモン・ヒルの唯一のシーズンにおけるベストリザルトだった。

    しかし、ディフェンディングチャンピオンとしてこのシーズンに臨んだドライバーは、トロフィーを手にしたくないと思うのも無理はない。ヒルはアローズにとってF1での20年目のシーズンで初めてとなる衝撃的な勝利を収めるまであと1周と迫っていた。

    ヒルは10周目にトップに立ち、グッドイヤー・タイヤでトラブルに見舞われた元チャンピオンシップのライバル、ミハエル・シューマッハをセンセーショナルにパス。ブリヂストンを履いたアロウズは最終ラップまでトップをキープした。

    しかしレース後半、アロウズA18に油圧系のトラブルが発生。ファイナルラップでジャック・ヴィルヌーヴがヒルに襲いかかり、優勝は逃したものの、アロウズのドライバーはジョニー・ハーバートに11秒差をつけて2位でチェッカーを受けた。

    F1 ハンガリーグランプリ

    ヒルは翌年、ジョーダンで通算22回目、そして最後のグランプリ優勝を果たしたが、アロウズにとっては2位が最高位であり、これが彼らの8回の表彰台フィニッシュの最後となった。ヒルがチームのためにポイントを獲得したのはこれが2度目で最後であり、ウィリアムズが1996年のタイトル争い中、翌年はチームのためにドライブしないというサプライズ発表を行った後、チームに移籍した。

    ハンガロリンクの表彰台でヒルが受け取ったトロフィーは、彼が所属していたアロウズが保管していたようだ。その資産は2003年にオークションで売却された。開始価格1,600ポンドで売りに出しているザ・セール・ルームによれば、現在の所有者が同年に入手したものだとしている。

  • 元F1王者デイモン・ヒル 「オーストリアGPはトラフィックのカオスになる」

    元F1王者デイモン・ヒル 「オーストリアGPはトラフィックのカオスになる」

    1996年のF1ワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルは、今年のオーストリアGPでは周回を妨害され、多くのドライバーがフラストレーションを溜めることになるだろうと語る。

    レッドブルリンクはカレンダーの中で最も短いトラックのひとつであり、非常に高速で周回するため、ラップタイムは1分に近い。

    最近のレースでは妨害が問題となっており、速いラップでライバルの邪魔をしたとして何人かのドライバーがグリッドペナルティを科せられた。

    『F1 Nation』のポッドキャストで語ったデイモン・ヒルは、今回のシュピールベルクでも同じような状況になると予想している。

    「このとんでもなくタイトなショートトラックにすべてが詰め込まれることになる」とデイモン・ヒルは語った。

    「コーナーは多くなく、7つしかない。1分くらいで終わる」

    「これまで見てきたように、クリアラップを取れるマシンの数が問題になるだろう」

    「彼らは皆、ゆっくりとしたラップをしたり、不用意に人々の邪魔をしたり、スポーツマンらしくないと非難されたりするので、少しイライラしている」

    「クルマを消すことはできない。このクルマは巨大だ」

    マックス・フェルスタッペンはチームメイトのセルジオ・ペレスに69ポイントの差をつけ、ランキング首位でレースウイークを迎える。

    フェルスタッペンは過去4戦で優勝しており、そのうちの3回はポールポジションからのものであり、今年のタイトル獲得の最有力候補となっている。

    ヒルは今週末のレッドブルのホームレースでフェルスタッペンに挑戦できる者はいないと考えており、25歳のフェルスタッペンが5連勝を飾ると予想している。

    オーストリアでフェルスタッペンに勝てる者はいるかという質問に対し、彼は「非常に単純な答えあ。いない」と答えた。

    「私はレースを見たいし、挑戦を見たいが、すべての条件が同じであれば、マックスがこの1戦を制することになると思う」

    「マックスがオーストリアで優勝し、他のすべてのレースで優勝する可能性がある方向に進んでいる」

    「分からないが、もしかしたらシルバーストーンはもっと挑戦的なサーキットになるかもしれない。とても厳しいが、我々は前を向いて進んでいる」

    「我々はオーストリアについて話しているが、現時点ではオーストリアがマックスの新たな勝利を収めることになるだろう」

  • 元F1王者デイモン・ヒル 「ハミルトンは本能的なスピードを失いつつある」

    元F1王者デイモン・ヒル 「ハミルトンは本能的なスピードを失いつつある」

    元F1ワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルは、ルイス・ハミルトンの「本能的な」スピードが彼から離れ始めていることを示唆している。

    38歳のハミルトンは、フェルナンド・アロンソに次いでF1グリッドで2番目に年長のドライバーである。ハミルトンは、F1で比類のない成功を収めてきたが、過去12カ月間は先頭を走るペースのないメルセデスF1で困難な時期を過ごている。

    昨年、メルセデスF1にはジョージ・ラッセルがチームメイトとして加入したが、ラッセルはドライバーズ選手権でハミルトンを上回り、ハミルトンはF1史上初の未勝利キャンペーンを経験した。

    『F1 Nation』ポッドキャストに出演したデイモン・ヒルは、メルセデスのコンビ間の状況を次のように説明した。

    「我々は競争的であり、政治的でもある。新興勢力や帝国の台頭に注意する必要がある」

    「ジョージは、自分自身をチームの戦力とするために懸命に働かなければならない。それが彼が行っていることだ。彼はハードワークをしなければならない。ルイスはその必要はない」

    「彼らはルイスが何を持っているかを知っている。半分でもチャンスがあれば、彼は絶好調に戻り、並外れたレースをすることができることを知っている」

    「彼らはジョージにもそれができることは分かっているが、まだそれを証明できていない」

    「ルイスはそれを察知する能力に長けていて、『大変な仕事はジョージに任せよう、疲れるから』と思っているはずだ」

    「GPDAの会長として、ジョージは大きな仕事量を抱えている。ルイスの戦略は、気を散らすものを取り除き、ダウンタイムの時間を確保することだ」

    「バルテリ・ボッタスがいたときも、ルイスはシーズンのスタートにリラックスしたアプローチをとっていた。彼は物事の展開に身を任せ、やがてチャンスを見つけると、アクセルを踏み込んで遠くに消えていく」

    デイモン・ヒルは、ハミルトンとラッセルのパートナーシップは歴史が繰り返されるケースだと考えており、ハミルトンがピークパフォーマンスを超えていることを示唆した。

    「ニキ・ラウダにはアラン・プロストがやってきた。年長の経験豊富なドライバーが若い到着者のスピードに直面したとき、彼らはそのことで落ち込むこともあれば、レースでの結果が重要であることを確認するためにエネルギーを注ぐこともある」とデイモン・ヒルは語った。

    「予選で少しあきらめるかもしれない。30代後半になると、彼らはもう超越的なラップをすることができなくなる。彼らは周回に集中する」

    「例えば、20歳のときにバイクのテストをしたことがある。サーキットを飛び回ったものだ」

    「年齢を重ねると、クラッシュの経験もあり、脳が『もっと慎重にならなければならない』と思うようになる」

    「ジョージは超速いし、キャリアの初期を謳歌している。 ルイスがそれに匹敵できないことを認めているかどうかはわからない。だが、いずれはそうなるんじゃないかと思う」

    「本能的で無意識のスピードが、彼から離れ始めている可能性がある」

  • 2019年 F1日本GP | デイモン・ヒルのトークショー出演が決定

    2019年 F1日本GP | デイモン・ヒルのトークショー出演が決定

    2019年のF1日本GPで、1996年のF1年間チャンピオンであるデイモン・ヒル、2017年第101回インディアナポリス500優勝ドライバーの佐藤琢磨、2018年ル・マン24時間優勝ドライバーの中嶋一貴のトークショーへの出演が決定した。

    また、佐藤琢磨、中嶋一貴は場内実況での解説を行う予定。その他出演イベント、出演スケジュールの詳細については、決定次第鈴鹿サーキット公式ウェブサイトに案内される。

    また、各入場ゲートのオープン時間も決定。メインゲートは10月10日(木)・11日(金)は8:00、10月12日(土)、10月13日(日)は8:30からオープンする。なお、F1日本グランプリの3日間通し券(西エリアチケット含む)には10月10日(木)から10月14日(月・祝)まで有効な鈴鹿サーキットのゆうえんち「モートピア」のモートピアパスポートが付帯されている。

    鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)は、10月10日(木)~14日(月・祝)に「2019 FIA F1世界選手権シリーズ第17戦 日本グランプリ
    レース」を開催する。

  • デイモン・ヒルの息子、ジョシュ・ヒルがレースを引退

    デイモン・ヒルの息子、ジョシュ・ヒルがレースを引退

    デイモン・ヒルの息子ジョシュ・ヒルが、レース引退を発表した。

    1996年のワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルの息子で、2度のワールドチャンピオンであるグラハム・ヒルの孫であるジョシュ・ヒルは、今年ヨーロッパF3選手権に参戦して10位につけていた。

    しかし、22歳のジョシュ・ヒルは“他の分野での夢”を追いたいという理由でレースから引退することを発表。史上初の3世代F1ワールドチャンピオンになるという挑戦に終止符を打った。

    「ヒル家の一員として生まれ、僕がレースに惹きつけられるのは必然的だった」とジョシュ・ヒルは Reuters にコメント。

    「多くのことを学んだし、本当に楽しい経験だった。でも、100%専念できない限り、戦いたくない。僕には他の分野での夢があり、レースを引退することが正しいと感じている」

    父親のデイモン・ヒルは、他の目標に向かうという息子の決断を心から支持すると述べた。

    「レース一家に生まれるということは、全ての人間がそう簡単に馴染めることではない。ジョシュが、レースを本職とするかどうかを見極めなければならなかったのはとても良く理解できる」とデイモン・ヒルはコメント。

    「若干の寂しさはあるが、今回の発表に至った。多くの“ヒル”ファンは落胆することだろう。しかし、理解していただきたい・・・続けることより止める方が勇敢なこともなる。私は今まで通り彼を全面的に応援していく」

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  • デイモン・ヒル、レッドブル RB6をドライブ

    デイモン・ヒル、レッドブル RB6をドライブ

    デイモン・ヒルは、バルセロナでレッドブル RB6をドライブ。1999年にF1を引退して以来となるF1カーのステアリングを握った。

    1996年のF1ワールドチャンピオンであるデイモン・ヒルは21日(日)、ワールド・シリーズ・バイ・ルノーのイベントに出席。同シリーズのフォーミュラ・ルノー・ユーロカップには、息子のジョシュア・ヒルが参戦している。

    デイモン・ヒルが、F1カーを走らせるのは、ラストレースとなった1999年のF1日本GP以来となる。

    「ルノーにジョシュアがレースをしているので行くつもりだと話をした。そこから雪だるま式に話が膨らんで、最終的にレッドブルをドライブすることになった」とデイモン・ヒルは AUTOSPORT にコメント。

    「実際、断ることはなどできないよね? ルノーとレッドブルに心から感謝したい」

    先月、ウィリアムズ時代のチームメイトであるアラン・プロストもポールリカールのワールド・シリーズ・バイ・ルノーのイベントでレッドブル RB6を走らせている。

    「アランがドライブした後、彼と話をした。彼が93年に引退したときから状況はちょっと進んでいるが、クルマは私が99年に乗っていたものとかなり似ている」

    「ハンドクラッチのようなものは、すでにジョーダンでにあった。クルマは微妙に変わっているが、基本的には同じものだ」

    「レースではないし、チャレンジでもなかった。テストをしたわけではない。単純に自分自身のための経験だったし、楽しむためのものだった」

    またデイモン・ヒルは、シーズンを通して多くのデモ走行を実施しているルノーとレッドブルに敬意を表した。

    「彼らがやっていることをは素晴らしいことだ。多くの観客が観てくれたし、その多くは我々のスポーツをそれほど密接にフォローしていないだろう。彼らは我々のスポーツを広めてくれている」

    「レッドブルが数周走ることでファンにスポーツ全体を売り込める。年配の方もいる中で、彼らのためにマシンが数周走るところを見せられた。彼らがもっと広くこのスポーツをフォローするきっかけになることを願っている」

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